大丈夫の極意
どうしてクラッシック音楽が好きになったの、と人に訊かれたら、まあ子供の頃から、家には音楽が溢れてたし、両親もピアノを嗜むんで、僕も自然とクラッシックに親しんだのかな・・・
普通はそんなとこじゃない?
なんてことを言いたいけれど、生憎、こちとら育ちが悪くて、子供の頃から嗜む中に、クラッシックのクの字もありゃしない。
私はここでの投稿で度々書いたように、生粋の労働者一族の出自だ。
今いかにも精通しているように人に知ったかぶりをしているジャズやクラッシックだって、故郷を離れて初めて触れたのであって、子どものころの娯楽と言えば、時代が時代でもあり、テレビ以外では炭坑社宅の集会所に来る民謡歌手か、はたまた、浪曲師か、せめてドサ回りの大衆演劇が関の山だ。
親に連れられて見に行ったとはいえ、浪曲なんぞの中身が幼い子どもに理解できたかは甚だ疑問だが、それはそれで、私の中にはそれらは懐かしい思い出として残っているのである。
育ちがそうだから、歳を取って、配信サービスで様々な分野の音楽が聴けるようになった現代でも、私は時々三波春夫の映像や島津亜矢の歌謡浪曲を聴きながら、うっすら目尻に涙を溜めて、繰り返し繰り返し、聴いている始末である。
有名な歌謡浪曲に元禄 名槍譜 俵星玄蕃という作品がある。
主人公の槍の名手、俵星玄蕃は創作上の人物らしいが、筋立は赤穂浪士の討ち入りを題材としたもので、玄蕃は助太刀を申し出るくらいに、赤穂浪士に肩入れしている。
8分を超える大作だが、その中に浪曲の語りもあって、ドラマチックに進んでいく。
時に元禄15年12月14日、江戸の夜風を震わせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓しかも1打ち2打ち3流れ・・・
その太鼓の音を聞きつけて俵星玄蕃は赤穂浪士の討ち入りを知るのであるが、映画なんかで大石内蔵助役の俳優が手にしている、アレである。
この太鼓にも諸説あって、創作上のものという意見もあるが、赤穂のサムライたちが、山鹿流兵法を学んでいたのは確かである。
周知の通り、その兵法の生みの親、山鹿素行は一時期赤穂藩で兵法を教えていた。
山鹿素行は幼い頃から書に親しみ、8歳の頃には既に四書五経を読み覚え、9歳のときには林羅山の門に入っている。
15、16歳の時には、士人に論語や孟子を講釈すらしている。
そんな天才ぶりは多くの御殿様たちの注目を集めたが、彼の父が大成を願って許容しなかったという。
だが、そんな天才が天才であるがゆえに、幕府からの猜疑を受けて、流されたのが赤穂だった。
しかし、皮肉にも、この時期、素行にとっては幸せな配流な時間だった。
彼はこの時期、悠々と読書をし、瞑想し、多くの書を残している。
無論、赤穂でも多くの武士たちに山鹿流兵法を教え、それが後の赤穂浪士にも繋がるのである。
ただ兵法といっても、この頃は戦国時代も既に終えて、一応の戦術等も教えるだろうが、むしろ、素行は、儒学をも鑑みて、武士がどう生きるべきか、
を展開して行く。
無論、山鹿素行は武士に向かって言うのだが、その教えはきっと現代社会においても、通じるものかもしれない。
「山鹿語類」の中に、こんな言葉がある。
大丈夫
唯だ今日一日の用を以て
極となすべきなり
ここでの大丈夫は近頃使われるOKの意味でも、人から訊かれた時に、返答を紛らすために、当座発するものではない。
大丈夫、とは、例えば「士道論」で言えば、利己心を抑制し自己統御ができ、命に安んずる事の出来るもの。
その精神において、「度量」、「士気」、「温籍」、「風度」、「弁義利」、「安命」、「清廉」、「正直」、「剛操」、の徳を持つ武士の理想像てもある。
ここで、敢えて、重ねて知ったかぶりすれば、江戸時代前期に出てきた「武士道」には二つの類型があり、ひとつは「武士道と云は死ぬ事と見つけたり」の言葉で有名な「葉隠」的なものであり、もうひとつが山鹿素行が牽引する儒教的な「士道論」である。
戦国時代が終わり平和な時代になっても、潔さをその中核に据え、死をさえも厭わない前者に対して、五倫における人倫の道の自覚を根本として武士の職分を全うするという、いささか合理的に武士のあり方を捉えたとも言える後者ではあるが、いずれも武士としての覚悟を問うたものであるのはまちがいない。
さて改めて、今一度「山鹿語類」での先の言葉を見てみよう。
甚だ「なんでも鑑定団」風になるがふざけているのではない。
大丈夫
唯だ今日一日の用を以て
極となすべきなり
既に述べたように、大丈夫、とはしっかりとした信念を持ち、すっくと立ち、しっかりしたさまで、武士として人としての己の職分を弁えていることである。
それはあくまで前提である。
その上で、今日一日の一分一秒をもおろそかにせず、「一日だけの命」かもしれぬ覚悟を持って生きる。
日常の小事を決してないがしろにせず、大事に生き、それを積み重ねていくことで、己の道を作り上げていくのである。
それは武士に限らず、現代を生きる私たちにも通ずることは当然の事だ。
私は、若い連中によく思われようとして、あいさつ代わりに「大丈夫?」と訊きがちだ・・・相手もこだわりなく「大丈夫ですよ」と即答する。
そのやり取りが相手を思いやった現代風のコミュニケーション能力なのかもしれないが、そんな浮ついた優しさの馴れ合いはその場しのぎで、きっと本当の大丈夫の心からは外れている。
「大丈夫?」と訊くべきは、まず、先に、己の心に対してなのかもしれない。
幼い頃の生育歴は確かに後の人生に影響を与えることはまちがいない。
山鹿素行のように幼い頃から漢籍にしたしみ、「栴檀は雙葉より芳し」の言葉通りに後に吉田松陰をはじめとした多くの志士に影響を与えた人もいるだろうし、幼少よりクラッシック音楽を嗜み、一生を豊かな音楽環境で暮らす恵まれた人もいるだろう。
だが、それはそれ・・・私とて、親に感謝こそすれ、自分の出自を決して嫌悪することなどない。
育ちがどうあろうと、結局は、大丈夫の心を持って毎日を大切に生きてさえいれば、人としての道は誰にでも開かれているに違いないし、逆を言えばそうして自分自身の命に殉じた「道」ができるのかもしれない。
大丈夫
唯だ今日一日の用を以て
極となすべきなり
三回言ったが、決してCMを真似て、ふざけているわけではない。
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