若いピアニストは演奏を終えた
彼はそのまま鍵盤の上にうずくまるような姿勢でなかなか動かない。
聴衆も拍手のタイミングを失っている。
コンサートと言っても小さなカフェでの小さな手作りのコンサートである。
ようやく立ち上がった彼は聴衆を前にして、いつものようにもじもじと手を動かし、視線も覚束ない。
聴衆は固唾をのんで彼の言葉を待った。
彼は意を決したように、話し出した。
「今日の演奏をもって、私はこのような演奏会を辞めたいと思います」
たどたどしく絞り出した彼の言葉に、聴衆はざわめいた。
その日の演奏会は素晴らしかった。
特別だった、と私は今一度思い直す。
演奏中、彼は何度も間違えた。それでもそのことを誰も気にはしなかった。
それをも超える彼の世界観とオリジナリティが聴衆を魅了したはずだ。
訊いたことはないが、彼はおそらく発達障害である。
面と向かって話していれば自ずとそれはわかった。
その中で、彼が東京の生まれで、ある有名私大を中退し、子供の頃から好きだった音楽の道を目指したいと、これもまた音大としては有名な私大に入り直し、古楽を勉強してきたのだという。
人生の中で、彼が味わう葛藤や苦悩は私には測りかねるが、音楽は彼にとっては他の人以上に大事なものであることは想像できる。
その彼がどういう経緯かは知らないが、八ケ岳の麓に移住してきて、偶然、私と出会ったのである。
出会った時は傍らに女性が同行していた。
彼女もまた、音楽をやっていて、当地で出会ったらしい。
二人は今、仲間と農園をやりながら、将来、音楽が出来るカフェを開きたいのだ、と目を輝かせた。
よくある話である。
だが私はその話を聞いて、彼らの夢が実現することを、しんから願った。
「何故辞めちゃうんだ。辞める必要はないだろ」
彼らに農業を教えているという、おじさんが背後から叫んだ。
「私にはとてもあんなふうには演奏できない」と、呟いた市民楽団の演奏家が同調した。
彼は何かを話そうとして話し出せず、再び天を仰いだ。
「みなさんの期待に応えられないのが、辛いんだそうです」
彼女が彼の気持ちを代弁した。
「ドビッシーを弾いてくれと言われれば、そうしたいし、バッハやモーツァルトのような演奏を求められれば、そうしたいけど、自分の指はそれとは逆に勝手に違うように動いてしまう。一生懸命やればやるほど、みなさんの期待に反した演奏になる。自分が考える音楽がこのような形では表現できない」
私には彼のいわんとすることがわかるような気がした。
その夜のコンサートのプログラムには、彼が作曲した作品がいくつかあった。
そのどれもが素晴らしかった。
だがそれに比べて他の演目は普通だった。
ドビュッシーやバッハを弾くなら他にもたくさん上手い演奏家はいるだろう。
平たく言えば、彼は決して演奏家としても、エンターテイナーとしても際立っていなかった。
私は思った。
恐らくは日常生活の中では混乱しているだろう彼の世界が、いったん音楽を通すと、素晴らしい作品となって、それが曲になって、静かに統一されるのではないか?
彼のオリジナル曲である、ピアノソナタ「バラード」はそうした意味でなにより明晰で輝かしく、私には、ドビュッシーよりもバッハよりも、心に染みた。
人は誰しもそれぞれに違う世界を見ている、という私の思いは近頃ますます強くなっている。
それは決して人はしょせん交わることなどできないのだという悲観的な思いではなく、自分が持ち合わせていない世界に触れた時の、ささやかな驚きと喜びに似ている。
若いピアニストが、惜しげもなくさらけ出した世界は、私の世界をもきっと拡げてくれたに違いない。
私は思わず忘れていた拍手をぱちぱちと始めていた。
それはやがて称賛となって大きくなりコンサート会場を満たして、彼はまた少し顔を赤らめた。