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喪のある景色

これは特定の人たちをディスるものではありません、決して、断じて、だから、ご容赦を!

コンビニを毎日利用する。

おのずとコンビニ店員と接することになるわけだが、私は特定の店を決めて利用しているわけではなく、その日の都合で利用する店も違う。

お店にもそれぞれの色があって、店員もそういう人たちが自然と集まるのかもしれない。

最近コンビニ店員は若い人ばかりでなく、中高年も増えた。

ふたりのおばちゃん店員の話をしたいと思う。

パート仕事の夜勤明けに、ワタシは仕事場の近くのローソンに寄る。まだ朝の早い時間だ。

その日は馴染みになった若い男性店員の横に、見知らぬ中年女性がいた。年の頃なら四十代。影が薄いな それが第一印象だった。

ユニフォームの胸ポケットに初心者マーク🔰を付けているので、明らかに新人とはわかるのだが、それにしても、その視線は不安げに泳いでいる。

何より驚いたのは、声があまりに小さいことだ。

買った品物を持ってレジカウンターに行くと、その女性がなにかを言った。コンビニでの応対は大抵マニュアル化されているので、別に聞き取れなくても雰囲気でわかるのだが、あまりにボソボソ聞こえたので、大事な暗号でも言われたような気になって、私は耳の遠い老人みたく、はあ?とつい大きな声で聞き返してしまった。と、それまで俯きがちだった女店員の顔が、みるみる赤くなるのがわかった。

あ、しまった!

私は自分が万引きでもしたかのように、大慌てで店を飛び出した。


もう一人のおばちゃん店員の話をする。

これはまた別のローソンでのこと。とにかくこのおばちゃん明るくて声が大きい。日焼けしていて髪も薄っすら金色に染めているので、ちょっと見にはサーファー女子で、着ているコンビニの制服も時々アロハシャツに見間違えたりする。

応対の時、「はあ~い」とつけるのが癖だ。

「ポイントカードはありますか?」「 ありません 」「はあ〜い お箸はどうしましょう?」「 要りません 」「はあ〜い 袋は? 」「つけてください 」「あ、はあ〜い」

とにかく声が大きい。

レジを離れて店を出ようとしたとき、背後でおばちゃんの声がした。

「あっりがとございました~」

今度はガソリンスタンドの店員風である。

私も、負けじと、心の中で、「あ、はあ〜い」と呟く。

印象は甚だがさつだが、いつぞや、そのおばちゃんが、駐車場の掃除をしているのを、見かけたことがある。

意外にも小さなゴミの一つも見逃さないと真剣である。大波を目前にしたサーファーのように。


声の小さいおばちゃんに戻る。

一週間経ったが、相変わらず、声は小さい。こちらは図書館司書風だ。

その店の若いオーナーとは知り合いなので、何気にその女性の話をしてみた。

「あーあ、あの人ね。色々と大変らしいですよ」

「毎日夜の10時まで他の仕事をして、ろくろく休みもせずに、うちに来るみたいで。子供も多くて、それに色々とあるらしいし」

色々とについては、しつこく聞きもしなかったが、何気に女性の生活背景のようなものが見えた気がした。

「でも、うちもとても助かってますよ。毎日来られるからおわかりでしょうけど、近頃お店の床がピッカピカで」

私はふたりの女性店員を見ていて、ふと、一つの詩を思い出した。


喪のある景色

                                                             山之口貘

うしろを振りむくと                            親である                                親のうしろがその親である                       その親のそのまたうしろが またその親の親であるというように          親の親の親ばっかりが                          むかしの奥へとつづいている                     まえを見ると                             まえは子である                             子のまえはその子である                               その子のそのまたまえはそのまた子の子であるというように         子の子の子の子の子ばっかりが                     空の彼方へ消えいるように                         未来の涯へと つづいている                       こんな景色のなかに                         神のバトンが落ちている                        血に染まった地球が落ちている     


人には誰しもそれぞれに天から授けられた良知があるのだという。

疑うことなくそれを無邪気に信じて、今を懸命に生きることこそ、自分の存在意義にかなうことなのかもしれない。きっと自分の親たちがそうしてきたように。そして、子供たちがそうしていくように。

詩集を閉じた後、灯りを落とした部屋で、寝る間際、ベッドに横になって、柄にもなく追憶に浸った。

思えば親不孝の極みを尽くした人生だった。もう長い間会ってないが、今も故郷で一人で暮らす高齢の母親のことを思った。おのれの余生をも考えなくてはならないほど歳を食った私だが、その夜、暗い天井に小さな声でふと呟いた。

「おかあちゃん」

思いがけずその声が静寂に響いて、胸の奥をこらえきれないほど熱くしていった。


             







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