見出し画像

あの花の咲く丘でまた君と会おう

生きたくても生きれない・・・
生きたくても・・・

私の頭の中で繰り返されるその言葉は、さしずめ医療の現場では日々感じられる事に違いない。

そんな思いを受けて、葛藤しながらも、働き続ける医師や看護師らの皆さんにはいつも尊いものを感じているが、私が今、反芻している感情は、若い友人のKさんとの話である。


以前、「花の死生観」という投稿で、ご紹介したのがKさんで、彼は四十代にして余命宣告を受け、私に遺言書の証人を依頼して来た男性。

あれが今年の3月半ばの話で、それが9月の半ばになった。

余命宣告当時は長くて3カ月、短ければ1カ月と言われていたが、彼は抗がん剤の種類を変えながら、入退院を繰り返して、半年を生き続けていた。


そんな折、彼の姉からメールが入った。
いよいよ万策尽きて、「今の体力ではこれ以上の治療はできない」と、医師に再びの余命宣告を受けたのだと言う。
この1週間が山だとも言われた。


翌日、私は彼の自宅を訪れた。

意外にも、入院してるものとばかり思っていたが、彼は自宅に戻っているという。
「会ってください」と、彼の母が言った。
「本人は何も知らずまだ治療を続けたいと思ってる」と、姉が言った。

治療を始めてからも何度か会っていたが、その憔悴は思わず目を逸らす程だった。

「仕事で近くまで来たんで寄ってみたよ」と、私は他愛ない嘘をついた。
ベットに横たわった彼は私を認めると弱々しく笑った。

お別れする前に何か大事な話があるようで、それでも糸口が見つけられずに、私はいつまでも他愛ない話を続けた。

ふと見ると、閉ざした部屋のカーテンのあたりで外の光が揺れている。
その光にも季節の移ろいが感じられた。
彼が余命宣告を受けて半年が経っていた。

長くても3カ月と言われたものを・・・それを乗り越えて・・・彼は生き抜いたのだ。
それだけでも大変な苦労があったに違いないが、彼はまだ生きようとしていた。

「じゃあ、また来るよ」と、私は言いかけ、何かを間違えた気がして、「いや、また来てもいいかな?」と、何故かそう言った。

別れ際、彼は私に向かっておずおずと痩せ衰えた手を伸ばしてきた。
私はその手を握った。

握り返したその手が意外にも力強くて戸惑っていると、彼は不意に身体を少し起こし、何かを言おうとした。

「え、なに?」

だが、彼の口から言葉は発せられなかった。
その代わりに何かを諦めたように弱々しく微笑んだ。

生きたくても、生きれない…
生きたくても…

それでも姉の言葉を借りれば彼はまだ生きようとしてるのだ。

私の脳裏でその言葉はしつこいほどに繰り返された。


数日後、私はPrimeVideoである映画を観た。

近頃では日常の些事に追われて、好きな映画をゆっくり観ることもなかったのに・・・

「あの花が咲く丘で君とまた出会えたら」

現代を生きる女子高生がタイムスリップして、戦時中の特攻隊員と恋に落ちる話である。

不意に思い立ってその映画を観ようと思ったのは、多分、Kさんの事があったからかもしれないが、他にも思い当たることがあった。

映画の原作者は鹿児島出身の若い教師らしく、現代に生きる教え子たちの葛藤を知った上で、先の大戦で故郷の知覧から若くして命を賭して旅立った特攻隊員に思いを馳せた。

特攻隊員

まさしくそれは生きたくても生きれない、そんな世界で、それでも生きた人々・・・

彼らは家族にお別れの言葉として心を打つ遺書を残していて、それはいみじくも、私を証人として遺言書を残したKさんが、事務的な遺言の後に、付言事項として、どうしてもと母への思いを語ったのと、重なった。


個人的な話だが、特攻隊員について意識したのは、私が二十歳の頃である。

車の免許を取り、友人の車を借り、両親をドライブに誘った。

平穏ではあるが、ろくに家族旅行などしたことのない貧乏な家庭である。
決めたはいいが、行き先も思いつかず、困っていると、いつもは寡黙な父が、「四国の松山に行きたい」と、そう言った。

意外だった。

そこにかつて戦時中に入隊していた兵舎跡があるという。

道すがら、車中で父はその当時の話をした。初めて聞く話ばかりである。

その頃の父は特攻隊に入るため、松山でその日を待っていたのだという。
それがもうすぐというときに、航空機の整備の際にヘマをして、飛行機を損傷させて、順番が後回しになったのだという。
そのうちに終戦になった。

父の話には多少の創作はあったのかもしれないが、生真面目な性格から概ね事実に違いない。
私はそのドジ話に笑いながらも、若い父の意外な一面を感じた事を覚えている。

無論、父が、その時、特攻隊員になっていれば、私はこの世に存在していない。
その父ももうこの世にはいない。
そんなしみじみとした思いを感じるのはそれからずっと後のことである。

過去に生きた先人たちが命を賭して守ろうとした未来は、今、私たちが生きている現在である。

どんな形にせよ、私たちが、今、ここに存在するのは、多くの命の想いが集まって生まれた奇跡のようなものだ。


10月初め、Kさんは亡くなった。

私の手を取り、何かを言いかけたKさんの思いを、私もまた、死ぬまで考え続けなければならないのかも、しれない。












いいなと思ったら応援しよう!