小さなお葬式
「プチ旅行にでも行きませんか?」
そう誘われて、心が揺れた。
旅行と言わずに、プチとつけたのが、何だか生々しく、秘密めいた匂いがするが、別に妙齢の美人に誘われたわけじゃあない。
誘ってくれたのは40代の男性で友人のIさんである。
「ついでに神社巡りでもしましょうよ」
「神社ねえ・・・」
「Nさんの弔いのためにも・・・」
そうなんだ。近頃、私が引っかかってたものは、Nさんのことなんだ。
私とIさんとNさんは、同じ職場の同僚で、グループラインで繋がっている。
もっと詳しく言えば、Iさんは正社員で私より20以上も年下だが、直属の上司で、Nさんはパートの私より後に入った40代の男性だが、すぐに契約社員になった。
歳も立場も違うメンバーだが、妙に馬が合い、一緒にランチをしたり、お酒を飲んだりした。
IさんとNさんは、お互い神社巡りが趣味で、御朱印帳に訪問した神社の御朱印を集めていて、私は私で、若い頃放浪中に、神社の軒先を旅寝の宿にしていたという、神社つながりがあり、さらに絆が強まった。
それに、三人とも、悲惨というほどではないが、どっかで世の中から落ちこぼれていた。
Iさんはもともと、違う会社にいたのだが、そこが今の会社に合併吸収された。
多くの同僚はその時点でやめていったが、Iさんは残った。いわば外様である。
今の会社の生え抜きではないから、いいように使われて、家族もあるのにあちこち転勤ばかりさせられている。
「全く引っ越し貧乏になりますよ」と愚痴りながらも、今は開き直って、スピリチュアルな方面へと興味の対象をひろげて、神社めぐりばかりでなく、時間があれば色々なセミナーに参加している。
正直、今の会社にいれば、出世の道は絶たれたようなものだが、本人は至って元気で、最近はセミナーの先生から言われた、インスタグラムを1000日続けることを目標にして写真を撮りまくっている。
Nさんは普段は寡黙であまり多くを語らなかったが、お酒をのむと豹変して、爆発したように、跳ねた。
その話をつなぎ合わせれば、離婚して家族を都会において、自分だけ、八ヶ岳の麓に移住してきたらしい。まだ幼い女の子がいるが、親権は奥さんがとり、二人は都会で暮らしているという。
「もともと山が好きだったし、心機一転、新しい生活を始めようと思って・・・」
「新しい生活」のところをことさら強調した。
こちらで落ち着いたら娘と山登りでもしたい。そう言った。
酒が進むと、Nさんは今度は泣き上戸になって、
「自分は人間失格だ、ずっとこれまで親不孝だし、結婚は失敗して、娘とは離れ離れになって、借金があるから養育費も満足に払えないし、つまりは、○○さん、子供として失格、夫として失格、親として失格、これだけ三拍子揃ったらそりゃあ、人間失格でしょう?え、その気持ちわかるって?あんたに何が分かるの、いいかげんな事をいうんじゃないよ」と喜怒哀楽の行ったり来たりを繰り返す。
かと思うと、急に素面に戻って、「あれえ、三拍子揃うというのは、そういう時には使わないのか?」と自分の発言を分析したりする。
そして最後はいつも「色々あったけど、今が一番大事。俺はねえ、○○さん、やり直すんだ、今の会社で今度こそずっと働きたい。そういうもんでしょ、人生って・・・」と20歳も年上の私に人生を語って終わる。
私もIさんもそういう席では素直に酔っぱらおうと思っているから、「そうだそうだ、その調子だ」と無責任にはやしたて、そこそこ仲良く三人で楽しい時間を過ごしていた。
どうやらIさんも、Nさんも、私の事を、これから20年経ってもこんな風ではいたくないという反面教師として見ている様子だし、また一方では、20年経っても、こんな風に生きていられるんだ、という妙な安心感を覚えて、たとえは下手だが、霧の日の灯台のような存在として感じていたのかもしれない。
少なくとも三人は危うげではあるが、微妙なトライアングルで、このまま続いていくものと思っていた。
だが、あっけなく三角は崩れた。
その日は、一日中雨が降ったり止んだりして、重苦しい空気が町を支配していた。
仕事の終了時間も近づいて、私はウインド越しにもうすっかり暗くなってきた外の景色をぼんやり眺めていた。その時だった。
そんなことはありえないのに、植込みの薔薇の花が一輪ぽきり花ごと折れて闇の中へ消えていく錯覚を感じたのである。椿の花ならそれもあるだろうが薔薇の花では・・・ふと悪い予感がした。
その時電話が鳴った。
「そちらにNさんという方はいらっしゃいますか?」
「はい、在籍していますが、今日お休みの日で・・・」
「ええ、実は先ほどNさんが緊急搬送されて来まして・・・」
電話の主は近くの病院の医師だという。 くも膜下出血で手術の必要があるのだが、家族への連絡先も分からず、本人の持ち合わせていたものに、職場の緊急カードが入っていて、連絡したのだという。
私は狼狽して、Nさんの直属の上司に電話を繋いだ。
「とりあえず様子を見てきますよ」
「大丈夫でしょうか?」
「救急車は本人が呼んだらしいから、大丈夫だとは思いますけど、何とも」
「私も仕事が終わり次第、病院の方に行きます」
私はすぐにIさんにも連絡を入れた。
Iさんは病院に行った上司のデスクをいじりまわして、Nさんの入社時の履歴書を取り出した。それからおもむろに何処かに電話をかけ始めた。
「だめだ、繋がらないなあ」
「どうしました?」
「履歴書には一応緊急連絡先として、父親の電話番号があるんですが・・・」
「繋がりませんか?」
念のため、私も自分の携帯でその番号にかけてみたが、虚しく呼び出し音が続いて、私の不安を煽った。
仕事が終わり、病院に駆けつけたが、Nさんはそこから一時間ほどかかる高度医療の病院に再搬送されていた。
翌朝、一応手術は成功したとの一報が入り、安堵したが、その数時間後に、今度はNさんの死を知らされた。呆気ない幕切れだった。
葬儀の日はしとしとと雨が降り続く陰気な一日だった。
私とIさんは、Nさんの直属の上司と三人でぬかるむ足元を気にしながら、葬儀会場に向かった。
「どうかしました?」
しんとした会場を見回す私にIさんが訊いた。
「いえ、前の奥さんと娘さんが来ていないか、と」
いるはずはなかった。見回しても会場にいるのは、私たちと忙しく立ち回る葬儀社の社員らしき人だけだった。
「他に参列者は?」
私は葬儀社の社員に訊いた。
「あとは役所の担当者です」
「身内の人は誰か来ました?」
「いえ、誰も」
「このお葬式は町が主催するものです。こうして弔ってもらうだけでも、いいほうですよ」
「そんなもんですか」
質素なテーブルに柩が置かれ、その上に白い花束が置かれてはいるが、遺影すらもない、小さなお葬式だった。
それから数週間が経った。
私もIさんも、慌ただしい日常に戻り、特にNさんのことを話し合うこともなかった。
「プチ旅行にでも行きませんか?」
そう誘われて、返事を保留していたが、何とはなしに以前のグループラインを読み返していたら、ふとある衝動が湧き上がってきた。
それはかつてNさんが一人で箱根に行ったときに送ってくれた写真であった。その下にコメントがあった。
「不思議なことがありました。箱根神社に参拝したときの事です。手を合わせていたら不意に私のほほを心地よい風が撫でたのです。祝福されているのでしょうか?(笑)」
私は慌ててIさんにラインを送った。
すぐにIさんから返信がきた。
「箱根ですね。○○さんなら、きっとそう言うと思ってました・・・」
Nさんはきっと、今の会社でずっと働きたかったのだと思う。今までのことを忘れ、この地でやり直しかったのだと思う。娘と山登りもしたかったのだと思う。そして。もっと生きたかったのだと思う・・・。
そんなささやかな望みさえも叶わないほど、人生は時折残酷だけど、Nさん、私はたとえ地に這いつくばってでも、もう少し生きるよ。
小さなお葬式の時には言えなかったお別れが、その時ようやく言えた気がした。