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きもの屋さん、職人さん。中高生の時、美術って好きでしたか?

~よりよくなってほしいという願いを込めて~


呉服屋さん、問屋さん、職人さん。様々な方が、キモノ産業に携わっています。
私も、その産業の中にいます。ただ、随分前から、この産業界に疑問があって、モヤモヤしていました。
その疑問といいますか、個人的には問題だと思っているのですが、一度、言葉にしてみようと思いました。

そして、キモノ作りの環境が、よりよくなってほしいという願いを込めて、大きく分けて2つの話題にまとめてみました。

とりわけ自分が「後染め」と呼ばれる分野に属していますので、その見地から述べてみます。

よろしくお願い致します。


お題は、
きもの産業の中にある問題~後染め~
です。

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きもの産業の中にある問題~後染め~


キモノ産業界、とりわけ後染め業界の問題は、「自分だけは、文化を守るために偽ることも、惑わすことも、何をしても構わない」という自分勝手な気持ちがあるということ。

また、「古典」や「伝統」、「職人技」や「手仕事」という言葉を隠れ蓑に、欺瞞をすることと言えるのではないでしょうか。

このことは、キモノ産業従事者が、かつて学んだであろう工芸や美術の習熟度、に関与していると思います。

(染め、織り分野は、中学校では美術科目として、高等学校では芸術科目として位置づけられています。)
中学校や高等学校に通っていたころを思い起こしますと、手を動かして何かを作ったりすることや、絵を描いたりすることが得意な生徒も、苦手な生徒も半分半分ぐらいだったような気がします。

どのような職業でも10年間やり続ければ、ベテランです。

キモノ産業に10年以上従事する方ならば、昔、苦手だったとしても、今の十代の子ども達が学ぶこと、特に、基礎美術について、習得済みである必要性を感じます。

(呉服屋や染色の職工人が、大学や専門学校、カルチャースクールなどで座学、あるいは、実技の講座で、教える立場になることがあります。そのような時に、その呉服屋や職工人本人に対して、基礎美術の修練度について、しばしば疑問の声が上がるようです。このことから、キモノ産業従事者の中には、高等教育機関で実践されている表現や創造制作、中等教育での美術、芸術科目が目指す方向、昨今のアートにまつわる考え方について、学んだ経験がなかったり、関心すら持たなかったりする方々が、相当数いるのではないだろうかと推測することができます。)

しかしながら、何十年ものキャリアを積んだ職人も、大きな商いをしたことのある呉服屋や問屋も、モノ作りの基礎(実践と鑑賞)を十分に体感出来ていないような気がします。

さらに、知性や感性、そして徳性の涵養までもが、未熟な状態にあるのではないかと疑ってしまいます。

この様な問題を具体的に挙げ、解決の糸口を見つけながら、少しでも業界に貢献できればという願いを込めて、述べさせて頂こうと思います。

(勿論、きもの産業従事者の全員が、このような問題を抱えていると思っているわけではありません。)

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問題を引き起こす原因

①呉服小売店や卸売り問屋に蔓延する学びの狭さ


⑴キモノの流通業者

小売店や卸売店は、そもそも流通業者であり、製造業者ではありません。
消費者に商品を売るのが小売業。
商品を小売業に卸すのが卸売業。
両者とも流通業者であり製造業者ではありません。

しかしながら、呉服小売店や卸売り問屋の中には、自分は作り手だと標榜する方がいます。

"染め出し"と呼ばれる、後染めのきもの業界特有の商売手法が、彼らを誤った感覚に陥らせるのでしょうか。

あるいは、熟練工と同じ様に、高度な経験を積んでいると錯覚しているのでしょうか。

いずれにせよ、彼らは、単に、稚拙な言葉使い遣いをしているに過ぎません。

外注発注と自社製造の意味を理解出来ていないということです。

キモノの商いに携わる人の中には、「外注発注して、他人に作ってもらう」ことを「作る」と言って、ワザワザ自らを作り手として、振舞う人がいます。悪意があります。
 
メディアなどに向けて、自分の仕事や自分の会社の説明をする際に、自分達の立場を「仲買キモノ商社です。」とか、「呉服小売店です。」と言わずに、「柄を好んで、出来上がったものを売っています。」などと、意味不明なことを述べて曖昧にしてしまいます。

自分自身は作り手だと、偽ったイメージを植え付けようとする意図があります。

一般消費者を騙そうとするものでしょう。

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⑵他業種では

ボタン問屋が、メーカーに材質や色、大きさや個数、形や用途のデザインを指定して製造発注する場合です。
出来上がったボタン製品をメーカーから受け取り、小売業者へ卸販売するとき、誰がどう見ても、ボタン問屋は流通業者であり、製造業者ではありません。

キモノも同じです。
呉服問屋が呉服小売店から製造依頼を受けた場合を考えてみます。

白生地を下請け業者や職人、工場や工房に渡し預け、色や柄、装飾や紋入れの加工を外注先へ「発注指示」した後、出来上がった品物を依頼主である呉服屋に卸せば、呉服問屋は流通業者です。

製造の依頼を受けていても、製造業者としての意味は微塵もありません。

また、依頼がない場合でも同じです。

問屋が商材として手に入れるための品物を、仕入れた白生地に柄を外注先に染めてもらうとしましょう。

どれ程気に入っていても、外注して出来上がってきたのなら、自分自身は、流通業者です。

作り手ではありません。

「発注指示」するだけの立場では、製造業者足りえません。

何故ならば、後染めキモノ流通業者の「発注指示」内容が、初歩的なことや、事務的なことの場合が多いからです。

作り手だからこそ出来る専門性の高い指示、ではないからです。

(アウトソーシングをするしないとか、ファブレスが可能か否かという、そんなレベルではないという意味です。)

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⑶「発注指示」という言葉の重みについて

一般的に「発注指示」と言いますと、発注者は、外注先が引き受ける仕事内容について十分に理解し、また、指導出来る力量があるとは思われます。

機械メーカーが、別の精密機器工場に部品を外注する場合を思い浮かべてみます。

機械メーカーは、その部品のおおよその設計も出来るし、製造過程のノウハウや原料素材についても把握しています。

また、自社や関連協力工場で、同じような部品の製造と販売も出来ます。

しかし、外注先である、その精密機器工場ならではの得意分野や経済効果、取引条件を深く理解した上で、より良い製品づくりを求めて分業、協業し、製作していることを想像することは容易いでしょう。

残念ながら、後染めキモノの場合、染色にまつわる実際の製造を全く経験していない立場の者が、発注者の役目を担って「発注指示」している場合があります。

「発注指示」という言葉の重みが、他業種とは異なるのです。

野球で例えるならば、キャッチボールすら経験のない人が、マウンド上のピッチャーに投球フォームやボールの握り方をああしろ、こうしろと指示するようなものです。

あるいは、音楽で例えるならば、キーボードやギターなどの楽器を触ったこともなく、譜面を読むことも、音程を取ることも出来ない人が、オーケストラのタクトを振るようなものです。

無論、野球観戦や音楽鑑賞を何十年もしてきたからと言って、実際の選手や演奏家に向かって、より良い成果へ導くような指示ができるとは思えません。

実際のモノづくり、つまり、5寸刷毛で地色を染めたり、片羽刷毛で柄を挿したり、生地を蒸し器にかけたりすることの経験が無いにも関わらず、「発注指示」を出す、そんな糸へんの発注業者がいるようです。

この場合には、自分が本当に出来ることは、指示や指導ではなく、「外注先へ依頼するお願いである。」という自覚を持つ必要があります。

彼らは「作る」という言葉のイメージを利用して、自分達があたかも製造に関与しているかのように振舞っているに過ぎません。

「この品物は、私が考えた着物です。オリジナル商品として作りました。良い色でしょう。刺繡も入れておきました。いかがですか。」てな具合です。

愚の骨頂です。

自分の立ち位置が全く理解出来ていない水準です。

仕入れの出来合いの白生地に、外注発注をして、他人様に作ってもらった品物を、あたかも自分が実際に作り上げたかのように嘘をつきます。

いかに学びが狭いかが分かります。

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⑷消費者が使う言葉について

理解を深めるために、もう一つの例、注文建築の場合を想像してみます。

一般消費者である個人の施主さんなら、出来上がった家を指して、「数寄屋風のこの家は自分で建てたんだよっ!」と、喜ぶことがあると思います。

自分の好きな工法で、自分の好きな設えやインテリアで、自分の好きな材質で作られた、思い入れのある家ならばなおさらでしょう。

工務店の設計施工で、何人もの大工さんの力を合わせて「建ててもらった」にも関らず、「自分で建てた」と言います。

この場合、世間の誰もが、実際に家を建てたのは、施工者、大工であって、施主ではないことを十分理解しています。

あくまでも一般消費者であるがゆえに、アマチュアである人々が習慣的に使う言葉の、「建てた」であり、違和感を抱くことはありません。

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⑸「制作」や「製作」とという言葉の使い方

プロの呉服屋や問屋が、「作った」という言葉を使えば、一般の人は騙されます。

彼らをメーカーだと思ってしまいます。

プロであるはずの業者が、アマチュアのように、あいまいな言葉使いをするほど浅はかだとは思っていないからです。

さらに、人の手を集めて作ることを示す「製作」という言葉ではなく、「制作」の言葉を使って自らを示したならば、何から何まで自分で作り上げる能力を持った一人の作家、あるいは作家工房なんだと、誤って認識されてしまいます。

このキモノは「制作〇〇〇」です。

と雑誌などに掲載されれば、本当の姿は問屋や小売屋の流通業者であるにも関わらず、一般の消費者は、〇〇〇をメーカー機能のある工房や工場に違いないと、誤解してしまうということです。

(「制作」や「製作」ではなく、「提供」や「販売」という言葉を使う必要があります。その様にすれば、商品と業者との関係は理解されやすいと思います。)

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⑹「作る」と「作る振りをする」の違い

言葉の使い方を指導されなかった流通業者は、自分の仕事が何であるかを、もう一度はっきりと認識する必要があります。

自分勝手で邪な心は、他人を騙し、ひいては自己欺瞞を起こします。

他人へ発注する行為そのものは、ピザ屋へ注文し、宅配してもらう様に、アマチュアの方でも、幼い子供でも誰にでも出来る行為です。

染め出しというキモノ業界特有の行為も、それほど遜色ないことで、特別な能力やセンスは全く不要です。

大工に柱を立ててもらったりするように、製造業者に生地を染めてもらったり、縫ってもらったりするからです。
 
稚拙で残念な業者の場合、「作る」という言葉の意味は、他人に加工をお願して、「作ってもらう」ことであり、「作り手として見られるよう、作る振りをする」という意味です。

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②ベテランと言われる職人達の未熟なモノづくり感覚


⑴既存の美術品の柄をコピーする?

過去の著名な作家がいます。
雪舟や応挙、宗達や若冲らです。

彼らは日本美術史上の天才です。

彼らの作品を模写したり、研究したりすることは非常に刺激的で新しい発見のある有意義なことです。

しかしながら、彼らの作品を下敷きにして何かを作る行為は、いかかがなものでしょう。

例えば、若冲の掛け軸を参考にして、キモノが製作されたとします。
若冲の掛け軸が存在して初めて成り立つキモノです。

このキモノに一体何の意味があるのでしょうか?

ただ単に、若冲の掛け軸を盗用して、コピーされた、まやかしものに過ぎません。

どれほど一般消費者に人気があるキモノになったとしても、また、どれほど高値で買いたい人が現れたとしても、キモノ作品としての価値はありません。

価値は、若冲の中にあるからです

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⑵未熟なモノ作り感覚

この点を勘違いしている下品な人がいます。
若冲に関わらず、過去に制作された絵画や工芸作品(現代の作品を含む)の図柄を真似て加工されたキモノや帯を、あたかも自分自身が初めて世に送りだしたかのように振舞うペテン師がいるということです。

特に、下絵や友禅工程に関わる職人の中には、他人のふんどしで相撲を取っていることを誤魔化す輩までいるようです。

ひどい者になると、和歌技法の本歌取りと同じ手段をとっていると言い張って、奥行きある表現者であるかのように偽装します。

彼らは、盗古歌や剽窃を行っているということも理解できないでいる、稚拙な考えの持ち主です。

モノづくり感覚が極めて未熟だと言わざるを得ません。

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⑶プロデューサーを騙る

さらに拍車をかけるように、流通業者がはびこります。

小売業者まがいのイベント屋が、「私はプロデューサーだ。」と、のたまい、真似しの企画を練り出します。

過去の芸術家達の創り出した作品の中から好きなものを選び、土台とします。
そして、協働します。

職人と呼ばれるコピー屋たちが、協同で、分業、協業し、製作します。

出来上がった後、まるで自分達が過去の芸術家達に匹敵するかのような、出まかせの語りで、暴利を貪ろうとする構造を作ります。

最後には、自らを共創する担い手だと標榜します。

このようなやり口を見逃すことが出来るでしょうか。

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⑷コピー商品の価値

無から有は生まれません。
しかし、過去の芸術家の作品を真似て、自分が手掛けたモノにしてしまうことでは、何も生まれません。

無意味です。

己自身のモノの捉え方や考え方の代わりに、他人が生み出した世界観を自分が初めて世の中に発信しているかのように振舞うと、人は騙されてしまいます。

過去の芸術家が制作した作品を所有してようがしてまいが、他人の作品を真似てキモノや帯を作れば、模倣です。

その模倣は、新しい作品ではありません。コピー商品です。
 
一方、例えば、ラファエロの天使の絵を摸したTシャツが、販売されることには、疑問を感じません。
明らかなコピーであってもです。

普段着となるTシャツを通じ、あどけない表情の天使を身に着けることで、自分の日常生活に少しだけ豊かさを感じられるようになるのではと思うからです。

しかし、リーズナブルな価格であるはずのTシャツが、何十万円もするのならば、人を謀る行為だと感じてしまいます。

コピーされたモノに、それほどの価値を見出せないからです。

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⑹オリジナルの価値と真似しの価値

若冲オリジナルの絵をヒントに作られたキモノが、Tシャツぐらいの大衆価格で販売されることには、大賛成です。

若冲が持つ美意識や、その時代の文化的背景を身につけることができる、そのようなキモノが、安価で手に入るなら、本当に支持したいと思います。

若年層を含め、多くの人が享受できる機会があればと、切に願います。

しかしながら、メイドインジャパンだとか、手作りだとか、伝統産業の職人の手によるものだ、というそんな理由だけで、何十万あるいは、さらに桁の違う価格で販売されることには反対です。
真似しだからです。

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まとめ~願い~


流通業者が作り手の振りをすることも、他人の模倣を自分が初めて作ったかのように振舞う職工人も、同じモノの見方をしているように思えます。

共通した考え方が、問題を引き起こしているように見えます。

美術工芸作品のエッセンスを抽出して、印象を少し操作しただけの、その様な意匠を投影するキモノの作り手を評価する意味はありません。
たとえ品物に人気があってもです。

コピーアンドペーストしたモノと、同じモノだからです。

創造性に欠けた作り方だからです。

新たな表現を生み出したモノではないからです。

過去の美術工芸作品からは、ゼニ金や儲け話を見つけようとするのではなく、自分の中にある、内面の世界を覗くきっかけにしてほしいと思います。

内なる己自身の世界観が重なっていけば、他人作品の既視感は無くなり、発展的な創造が呼び起されるでしょう。

また、自分自身の手を実際に動かして作ることと、他人に作ってもらうこととの、意味の違いを受け入れることにつながると思います。

そして、新たなモノの見方や捉え方が生み出されれば、キモノ産業にはびこるパラダイムにも変化が現れてくるのではないでしょうか。

そのために、現代の子ども達が学ぶ美術の基礎、つまり中学校や高等学校で実践されている今の美術や今の工芸の学び直しを共有できればと願っています。

〈おわり〉

PROFILE
中井 亮 | nakai ryou
1966年生まれ。京都出身。
誂呉服模様染め悉皆経営。染めもの屋。
友禅染めを中心に、古典柄から洒落着まで、様々なジャンルの後染めキモノ製作に携わる。
また、中高校生へ基礎美術の指導を行っている。

京都市立芸術大学  大学院   美術研究科  中退   
個人作品では、日常で捉えた事物を空想視点から置き換えて再構築し、
「着るキモノから見るキモノへ」を主題に制作する。

<ひとりごと>
◎流通業者が、製造業者のフリをすることは、問題です。
 欺瞞が生じ、消費者を惑わすからです。
 このことは、今後のトピックとして深めたいと思っています。

◎職工人など、製作に関わる人々の「腕」そものもについては、ここでは述べませんでした。
このことも深めて行こうと思います。

ここでは、少しだけ、話題にしておきます。

「腕」とは、出来の良し悪しのことです。
より優れた出来か、より劣った出来かを指し示す言葉です。
残念ながら、彼らの「腕」には、問題があると思っています。

仕事の価格と仕事の「出来」に整合性がない場合に出会うからです。

職業人ですから、「腕」には、価格が付きまといます。
実際には、価格に見合うだけの価値が無い、そんな「腕」に出会うことが多いのです。

「腕」は、イラストレーター、画家、漫画家、アニメーター、工芸家などに代表される、メジャーな別の業種のアーティストやクリエーターと比較して評価されるほうが分かりやすいと思います。

しかし、多くの職工人は、そのような別業種の人と交流するどころか、隔絶することを望みます。
それだけでなく、同業の内輪だけで誉め合おうとします。
つまり、自分の「腕」を外部にはっきりとさせないでおこうとする行動が見受けられるということです。

今後のトピックにしていこうと思っています。

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キモノに関わる人々が、より活性化し、わずかでも、ゆっくりでも、発展していってほしいと、本当に願っています。

<おしまい>

#若冲
#伊藤若冲
#琳派


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