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きもの と メディアリテラシー

〈きもの屋さんって…〉

ネットで何でも手に入れることが出来る昨今、対面販売が根強く残っているのが、キモノ屋さんではないでしょうか。

店によっては、靴を脱いで、和室で、畳に座って、お茶でも頂きながら、お買い物をする。
こんな習慣も、まだまだ残っています。

個人的には、対面での商売があるから、キモノの商いに魅力を感じます。

人と人とが、品物を介して、膝を突き合わせる。これが楽しいからです。

膝の距離には、気持ちの身近さが実際に面前で表れますが、対面の楽しさは、直接でも、リモート画面利用でも、同じように享受できると思います。

買い手と売り手の内面の関りが存在するならば、空間的な制約は問題とならないと感じるからです。

商品を媒介にした、コミュニケーションを深める機会がある。
時には、偶然としか思えない体験がある。

そんな中で、ある種の興味が湧き起こるのです。

 ここでのコミュニケーションには、値段の交渉という意味はありません。
値切りや甘い蜜、ディスカウントや儲け話の様な、ゼニ金を連想させるものはありません。

 情緒としての、好き嫌い。
相対評価の良し悪し。
本当のような架空のような偶然の出来事。

どの様な場所で、どんな時に着用するかのライフスタイル。
どんなコーディネートを求めていくのか。
着こなしはどのようにするのか。

自分の体験。
聞いたこと。
もしもの話。

こんなことを、買う方も、売る方も、互いに絡み合わせ、紡いでいく。

そんな中に、新しい発見や好奇心の広がりがあるので、興味をそそられるのです。

 一方、この種のコミュニケーションを嫌うお店もあるでしょう。

特徴としては、ネットやメディアの情報発信に傾倒しつつ、作くられたイメージを煽って、商いをする。

そんなお店です。

勿論、ネット販売を否定するつもりは、全くありません。
むしろ、それを重要だと考えています。
ネットを通じても、顧客との間に信頼感(エンゲージメント)を十分に獲得されているお店も多々あると思うからです。

ただ、商いの道徳から逸脱する、そんな意図を感じる場合があるのです。

☆☆☆☆

〈きもの屋さんに惑わされないために〉

ホームページ画像やSNSから、全国様々な場所に構える、糸へん(キモノの流通業者)のお店を思い浮かべることが出来ます。

中には、
実際には手元に無い商品を、あたかも今、自社に存在するかのような、架空のイメージを植え付けようとするお店。
他社の商品であるにも関わらず、店内の自社商品として並んでいるかのような虚構を飾るお店。
過去に販売し終わった商品画像を掲げ続けて、今でもいつでもどんな時でも販売できるように装うお店。
があると聞いています。

 実態から離れた幼稚な見せ掛けをしているお店です。
何をしたいのか、不明です。
他人から認められたい、というような、些末な承認欲求を持つからでしょうか。不思議です。

 他に、こんなお店があるそうです。

仕入先のエピソードを並べて、それが自社の考えや、アピールのように発信するお店。
自社の立ち位置を明確にしないで、他人の行為を利用するお店。

「売れればいいんだ。売れるなら方法は何でもいいんだ。中身よりも、イメージだ。」この種のお店には、
意図的な悪意を感じます。

 
制作現場で行われていることを受け売りにして、あたかも自社のアピールポイントのようにすり替え、ストーリー仕立てにする方法。
芸能タレントさんなどの発信を通じ、恣意的、作為的に切り取ったテキストをリンクする方法。
他社のイメージを利用し、自社のイメージを高めて壟断しようとする方法。

 こんな方法だと、商いの徳性を疑ってしまいます。

  個人的には、この様なお店には、縁があったとしても、出来るだけ近寄らないようにしています。

「自分自身の考え方や意見を述べたくない。自分自身のモノの捉え方を発信したくない。」と感じるので、魅力がありません。

コミュニケーションを図れないからです。
退屈なお店に見えるからです。

 ネットや雑誌から話題や情報を、得ようとするときには、高いメディアリテラシーが必要だと言われています。

情報を手に入れているようで、嘘に絡めとられている場合があるからです。

☆☆☆☆

〈不思議な きもの屋さん〉

糸へん(キモノの小売り屋、問屋、悉皆屋)の方々は、商売のときに、どうして自分自身を語らないのでしょうか?
本当に不思議です。

 小売り屋や問屋が、自社の商品を販売するとき、

 誰が作っただとか。
どこで仕入れただとか。
どんな素材特徴があるだとか。

そんなことばかりアピールしているように見えます。
これらすべて、自分以外の他人の行為についての話題です。

 売り手として、どの様な付加価値を、自ら加えることが出来たのか。
買い手に対し、どの様なサービスを、自ら与えることが出来たか。

この様な、自分の行為についての話題が見えません。

 手元にある商品を、なぜ仕入れたのか。
買い手の要望について、何を調べたのか。
その結果として、どの様な方針を立てたのか。
消費者であるユーザーが楽しめる方法を、どのように提示するのか。
などなど。

自分自身から発信することについては、口を閉ざしています。
あえて、自分の考えや意見を述べないで、商いをしたいように見えます。

 他人のことよりも、自分自身のことを話題にする方が、よっぽど自然で、簡単なはずです。

 糸へんの方々の一部には、自分自身が空っぽで、何も意見が無いような、そんな姿が見えるようです…

例えば、
「真夏の婚礼に着用する振袖や留袖について、どんな生地やどんな仕立て方が適切でしょうか?」
と質問すれば、流通業者の考えが表れます。


①真夏なので、当然、絽の振袖に絽の留袖だ。単衣仕立てだ。
②真夏でも、空調が効いているのだから、袷仕立てでいいのだ。
 冬モノと同じキモノ生地の綸子や逸越でよいのだ。
③着用される方の個性や状況を優先し、好きなように何を着てもよいのだ。

①②③それぞれ内容が全く異なります。

この種の問いにハッキリと明言してほしいと思います。
そして、その自分の発言に基づいた商いを実践してほしいと思います。

つまり、自分の言ったことに対して、嘘をつかないでほしいということです。
「商売なんだから、客を喜ばせるためには、嘘をついてもいいんだ」、なんていう、欲深くて、さもしい考えに陥らないでほしいのです。


客によって、話をコロコロと変えたり、手のひらを反すような受け答えをしたりするのでは、”しょーもない風見鶏”と思われても致し方ありません。
立場の異なる人に対して、信念を持って同じ返答ができる、そんな業者さんが、多くいてほしいと願います。)

6月からは単衣ですよーって公言する小売店さんが、ジューンブライドで袷の振袖や留袖を販売するならば、どの様に感じられますか?

〈おしまい〉


PROFILE
中井 亮 | nakai ryou
1966年生まれ。京都在住。模様染め呉服悉皆業を営む。
友禅染めを中心に、古典柄から現代作品まで、様々なジャンルの後染めキモノ製作に携わる。また、中高校生へ基礎美術の指導を行っている。

個人制作では、日常で捉えた事物を空想視点に置き換えて繋ぎ合わせ、着るキモノから見るキモノを主題に作品づくりする。

 

 

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