きもの製作現場から vol.2
◎言葉の使い方
1.同じ日本語なのに……
キモノ製作現場に長い間います。後染めの分野です。
産業自体は、随分昔から続いていますから、大なり小なり、今でも多くの人々が従事しています。
いろいろな立場の人達と仕事で同席すれば、楽しいことも大いにあるのですが、困ったことも、時々起きます。
話し合いの途中で、気付きます。
使う言葉の意味合いが、違うのです。
その結果、コミュニケーションが歪み出します。
会話を止めてみても、戻してみても、同じところをグルグル回り出します。
当惑してしまいます。
(会話って難しい。日本語なのに。あー、通じないなぁ。)
なんて心の中で思うのです。
2.言葉の行き違い
キモノ製作現場で生じる専門的な出来事でも、丁寧に伝え示す機会さえあれば、一般の方と深く理解し合うことは、そんなに難しいことではないと思っています。
たとえ言葉の上での思い違いが見つかっても、解決に向けて、ひも解くことは出来ます。
産業界の中で誤った言葉を使っている場合でも、個人を対象に指摘したり、異議を唱えたりすると、その場、その場の瞬間では、解消され、改められたかのように見えました。
しかしながら、マジョリティの中にその人が立ち戻ると、慣れ親しんだ言葉の使い方を結局改めることが出来ず、元の使い方に引き返す傾向にあるようです。
3.2つの言葉
今回、2つの言葉を再定義し、共有したいと思います。
「誂える(あつらえる)」という言葉の意味と、
「仮絵羽(かりえば)」という言葉の使い方です。
◎「誂える」とは?
1.「誂える」という言葉の意味
「誂える」という言葉は、通常、「注文して自分の思いの通りに作らせる」という意味です。
ですから、「キモノを誂える」と言えば、
「一般ユーザーが、自分の好きな柄や望む色合いのキモノとなるように、業者に注文して、自分の思い通りに作らせる」
という意味になります。
業者は、ユーザーの思いに沿うよう、また、体つきに適すよう、キモノを考案します。
ユーザーの承諾後、キモノの色と形を作り始めることになります。
業者が勧める既存の商品が、作られるのではありません。
お仕着せのキモノが、作られることではありません。
「誂える」現場では、ユーザー自身が欲しいと思うキモノ作り、ユーザー個人が求めるキモノ作りが、執り行われるのです。
「誂える」ならば、ユーザーは、自分好みの色や柄のキモノを、自分だけのために、業者へ作らせることが出来るのです。
そのほか、ユーザーは、自分の着こなしを加味した柄付けを求めることが出来ます。
ゆったり目に纏う人、タイト目に着用したい人など、それぞれのユーザーは、自身の好みに応じて柄の配置を希望出来ます。
それらのことを、業者に予め想定させて、作らせることが出来るからです。
繰越し、抱き巾、衿肩アキ、身巾、合褄巾、着丈、袖丈、裄丈、掛け衿丈、褄丈、袖丸、袖付け、身八ツ口などの寸法と、着こなしに応じた、柄の配置や配色を作らせることが出来るということです。
ユーザーは、自分の好みを業者へたくさん伝えることで、他人が手に入れることの出来ないキモノ、自分の思いを投影する自分独自のキモノを手に入れることができるでしょう。
このことこそが、「誂える」楽しみだと思います。
レディーメイドのキモノ品を購入するときには、味わえない気持ちではないでしょうか。
ここで、少し注意が必要です。
「誂える」という言葉が、洋服に関して使われる場合、キモノと別のイメージを指し示す言葉として、存在します。
混同しないことが、求められます。
2.洋服では、同じ言葉でも意味が違う
テーラーの様な国内にある洋服屋さんでの、「誂える」という言葉の接し方について思い起こしてみます。
洋服の場合、大抵の人は、「誂える」という意味を、サイズを測ってもらうことと、仕立て方法や洋服の形を選ぶこと、そんな風に認識しているのではないでしょうか。
採寸と裁断パターンやシルエット選択の決定で、自分の思い通りに作らせることを「誂える」と感じてしまうということです。
“服地の柄や配色そのものを、自分の思い通りに作らせる” という楽しみが、抜け落ちています。
でも、「誂える」という言葉を使います。
洋服での「誂える」は、服地の色、柄の形や色を、自分の思い通りにさせて、業者に作らせることを含んでいません。
洋服屋さんが主導で提案するシルエットや素材を、ユーザーが受け入れて注文し、仕立てさせることを「誂える」という言葉で表すのです。
洋服と和服では、「誂える」の意味が、全く異なります。
同じ言葉でも意味が違うのです。
注意が必要です。
3.和服と洋服での比較
キモノ業界全体に照らし合わせて、この「誂える」という言葉に焦点を当ると、面倒なことが起きています。
「洋服を誂える」場合の意味合いで、「誂える」という言葉を標榜する、そんなキモノ業者がいるのです。
困ります。
呉服屋、問屋、悉皆屋などの流通業者の中には、喧伝する者までいます。
残念です。
特に、ブックと言われる見本帳に、出来上がった既存のキモノや帯の資料を携え、商売しようとする業者が散見されます。
見本帳から、ユーザーに気に入ったキモノを選び出させ、柄の形や色を少し変える希望を聞き入れることを、「誂え」と呼んでいる場合があるのです。
これらは、「誂え」ではありません。
今から大昔、昭和の時代の頃に流行った言葉の使い方です。
カタログを使って、顧客へ販売促進する商売様式の中で、キモノに使われていた言葉の類です。
半世紀ほど前の、大量生産型のキモノに対して使用されていた、追加変更品を指す意味と同じでしょう。
4.「誂える」という言葉の定義
繰り返しになりますが、「誂える」という言葉は、キモノの場合、
「一般ユーザーが、自分の好きな柄や色合いで、この世で初めて、そして、世界に一つだけ作られるキモノとなるように、業者と打ち合わせを重ねながら注文をつけて、自分の思い通りに作らせる」
ということです。
この意味合いの品物が、「誂え」品として、定義づけられます。
◎「仮絵羽」とは
1.「仮絵羽」の使い方
「仮絵羽」という言葉は、製作現場のプロの間では、あまり使われない言葉です。
なぜなら、その言葉の意味合いが、誤解を生じやすいものだからです。
また、洋服での仮縫いと、発話音が似ているので、間違って使われやすいからです。
一方、問屋を中心とした既成品を扱う流通業者間では、「仮絵羽」という言葉を、頻繁に使用するようです。
モノ作りに関わることが、無いからでしょう。
2.「仮絵羽」という言葉の意味
そもそも、「仮絵羽」とは、キモノを、「暫定的に、絵羽縫いした試用品」です。
「仮絵羽」は試み状態のことです。
「仮絵羽になっている」とか、「仮絵羽である」とか、状態を表す場合に、「仮絵羽」という言葉を使用します。
言い換えますと、
「このキモノは、絵羽縫いされていますが、仮の状態です。柄付けの全体像が分かるように、反物から絵羽の状態へ、裁たれて縫われたものです。本仕立てされて、着用が実際に可能になっているのではありません。試しに、纏ったり、羽織ったりすることが出来る状態に過ぎません。」
ということです。
「仮絵羽」は、あくまでも状態を表す言葉なのです。
3.「仮絵羽」という言葉の使い方
「仮絵羽」は状態ですから、「仮絵羽をする」のような動作を表す言葉として、使用するのは間違いとなります。
動作を伴う場合には、「絵羽縫いをする」という言葉にします。
「仮絵羽にする」は、ギリセーフのグレーゾーンですが、「バラバラにならないように、マチ針などで合口を留めて、柄を合わせた状態となっている」という意味に聞こえてしまいます。
針がたくさん付いている仮縫いを想像してしまいます。
「仮絵羽縫い」は、動作を暗示させる言葉ですが、微妙にセーフでしょう。
ただ、「絵羽縫い」を仮にやってみた。「試しに、絵羽縫いしてみた」といようにも聞こえてしまいます。
「仮絵羽」は、その状態によって、「下絵羽」「中絵羽」「上げ絵羽」「中絵羽上げ絵羽」など、大きく4種に分けられます。
(細分化すれば、祝い化粧上げ絵羽など他にもあります)
「仮絵羽をする」や「仮絵羽縫いをする」の言葉では、この4種類の内、どの縫い方をするのかが判りません。
ですから、動作を表す言葉として適さないのです。
ちなみに、4種の言葉は、状態を表す場合も、動作を表す場合も、両方に使えます。
なので、製作現場では、意思疎通を正確にするために、4種の言葉を優先して使い、「仮絵羽」という言葉をあまり使わないのです。
4.絵羽の種類
下絵羽…反物を、仕立て寸法通りに絵羽縫いをするのが基本。
生地の種類によっては、広め、狭いめに絵羽縫いする場合がある。
キセを考慮する場合もある。
裾の返りを作らない。フキを作らない。
中絵羽…反物を、仕立て寸法通りに絵羽縫いをする。
柄が既に施されている場合には、柄合わせを優先することもある。
裾の返りを作るかどうかは、後の加工によって決められる。
上げ絵羽…反物を、仕立て寸法より広げて、絵羽縫いする。
裾フキを見せる。
仕付けを付ける場合と、付けない場合がある。
中絵羽上げ絵羽…加工済の反物を、仕立て寸法通りに絵羽縫いする。
柄合わせを優先して絵羽縫いする場合もある。
裾フキを見せる。
仕付けを基本付けない。
5.「仕立て」と「仮絵羽」は無関係
ところで、「仕立てる」という言葉があります。
「仕立てる」動作が終わった状態は、「仕立て上った」です。
「仕立て上った」状態は、衿肩アキを裁った、完成品の絵羽状態です。
衿肩アキを裁たない特徴を持つ半製品の「仮絵羽」状態と、同じ範疇ではありません。
従って、「仮絵羽に仕立てる」という言葉の使い方は、あり得ません。
6.「仮絵羽」という言葉が間違って使われると…
繰り返しになりますが、「仮絵羽」という言葉は、状態を指します。
「仮絵羽である」という文は成立しますが、「仮絵羽をする」という文は、成立しません。
どの種類の仮絵羽状態を指すのか、判らないからです。
ですから、キモノの反物を前にして、
甲:「この反物を仮絵羽にしてほしい。」と発注業者さんが言いました。
乙:「分かりました。どうするのですか?」と受注業者さんが尋ねます。
甲:「どうって。仮絵羽は、仮絵羽だよ。
仮仕立てだよ。そんなことも知らないのかい?
何年この業界にいるのさ?」
なんて答えでもしたら、
残念ですが、甲さんの方が、もの知らずで、ポンコツの業者さんだ、とモノづくり現場では思われてしまいます。
例えば、甲さんが、
「上げ絵羽で、縫い目は細かめ。合口は3分で、仕付けは、共。」と、
どの様な状態にしてほしいかの要望を伝えることができると、業者間のやり取りは、気持ち良く、そしてスムーズに進み、秒で分かり合うことが出来ます。
業者の乙さんは、安心して受注することができるのです。
「袖付けはどうします。返しますか?」
と、乙さんから甲さんへ、さらに質問するかも知れません。
ここでは、甲さんは、
『この反物を、上げ絵羽縫いして下さい。針目は通常よりも、細かくして縫ってください。合口を、仕立て寸法や柄合口から3分広げて、柄をずらして下さい。そして、脇や袖の、仕付け糸は、白色ではなく、地色や柄色と同じような共色にして下さい。』
という意味になります。
そして、乙さんからは、
『袖と身頃の付けの縫い方は、どうしますか?針目を細かくするだけでなく、返し縫いまでして、丈夫に絵羽縫いしますか?』
とさらに、詳しく要望を聞き入れるための質問が、あるかも知れないということになります。
7.「仮絵羽」という言葉の定義と使い方
「仮絵羽」は状態として、定義できます。
「仮絵羽」という言葉の使い方は、「仮絵羽である」は適切な用法ですが、「仮絵羽する」は誤用です。
洋服の仮縫いという言葉の使い方と、混同しないように使われることが求められます。
キモノ製造現場では、「仮絵羽」という状態を、あいまいな言葉のイメージにしないよう望んでいます。
消費者も業者も互いに、何を目的とする絵羽縫いであるかを、共有し、抜け落ちないようにするためです。
〈おしまい〉
PROFILE
中井 亮 | nakai ryou
1966年生まれ。京都在住。模様染め呉服悉皆業を営む。そめもの屋。
友禅染めを中心に、古典柄から現代作品まで、様々なジャンルの後染めキモノ製作に携わる。
また、中高校生へ基礎美術の指導を行っている。
個人制作では、日常で捉えた事物を空想視点に置き換えて繋ぎ合わせ、着るキモノから見るキモノを主題に作品づくりする。。
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