ダーツにおける有用な批判についての私見
ダーツのツイッター界隈では連日様々な「批判」が展開されている。
その中で「そんな批判をやめてくれ」という声はもちろんあって、中には「批判はやめろ。ただ褒めろ」みたいなのもあったりする。
個人的には物事をやるときに批判がないのはまずいことだとは思う。
最近の事例で言えば、アフガニスタンをタリバンが乗っ取ったことがあったけど、国際社会から厳しい非難の目を向けられ。マスード二世が率いる新北部同盟が抵抗したりしている。その抵抗をやめろ、ただ褒めろとなるとタリバンによるやさしい()イスラム主義社会が無慈悲に展開されることになるのだ。あまりにも無慈悲だ。
ただ、それも関係性の問題だと思うし、先生でも親でもない人間に言われる筋合いもないと思う。(例えばファンって他人が芸能活動によって「たまたま」結びついて稀有で希薄な人間関係だと思う。あんまり私生活に持ち込むものじゃないと思う。一方、ファンは疑似人間(恋愛w)関係的なところもあるので、勘違いしやすいのもわかるけど)
ただ、最近FIDODARTSの予選に関して、地域別に分けて出場資格が全然違う(東京はハイレベル・東北が比較的簡単)かったりするので、これはどうなんだという指摘が相次いでいるのは、個人的にはいいと思う。
正直ダーツ界に関する批判のほとんどが個人に関することで、また競技に関することはほとんどなくて、なんでダーツやらないでポーカーやってんだとか、誰誰が不倫だの離婚とか、アイドルかよ、みたいなパーソナルな話しかやってないのってどうなんだと思っていて。
せめてもっと朝倉未来の三角締め論争みたいな競技に関する話をしろよ、と思わないでもなかった。
そういう意味では競技の在り方についての批判や疑問が起こること自体、その競技を発展させるためには必要だと思ってて、JリーグやNPBのプロ野球球団も、ファンの目や経営があるからおいそれと弱くなれないし、競技性を保つような方向で指摘するならしたほうがいいよねって話。
もちろんファンのそういう指摘なんて織り込み済みで運営側は考えていて、現実的に動いているのが通常なんだけど、そうは言っても体制が整ってないと打ち漏らしはあると思うので、そういう意味でも競技に関してはもっとファンの側が発信してもいいんじゃないかなって気はしている。
「決まったことだから仕方ない」って姿勢も必要な時はあるけど、一方で黙ってればいいってものでもなくて、言わないなら思考停止と捉える一面もあって、結局はコミュニケーションの話ではないだろうかと。
言いたいことを言えない会議とかって無意味じゃない(事前調整あって最後の形式的な同意をする会議ならともかく)。
それにそういうのに批判があるって要は競技を見てたりやってたりする人だろうから、それに耳を傾ける余裕があったらうやったほうがいい気はする。FIDOは特に新興団体といっていいので。
結局は団体側がどれだけ意欲を持つかが大事なんだろうし、その意欲をファン側から指摘なり激励で押し上げるのも、ありだと思う。
今回はこれでいじょ。
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