異邦人(エトランゼ)
故郷長崎にゆかりが深い さだまさし のソロデビューアルバム「帰去来」(1976年、LPレコード)に「異邦人」という曲が収録されている。亡くなった恋人とかつて過ごした街を訪ねたけど、まるで異国を旅しているような違和感を感じている自分を異邦人(エトランゼ)と表現したちょっと切ない曲。当時長崎の田舎学生だった私はオーディオマニアで、バイトの時給350円の時代に2,500円もしたこのLPレコードを買っていてよく聴いていた。
2024年5月18日、高校3年のクラス同窓会の案内を頂いた。前にこのクラス同窓会に参加したのは二十代の頃だったので四十年ぶりということもあるし、多くの人がセカンドキャリアも終え悠々自適モードに入る65歳という節目の年でもあり、久しぶりに参加してみる事にした。ちにみに私は定年を過ぎた特任雇用期間中で、良くも悪くも退職浪人中ではある・・・。
大波止に手ごろなホテルを確保でき、65歳特権であるジパング倶楽部を使って切符も確保。さくら、リレーカモメ、カモメと乗り継ぎが面倒だが、広島を出発してから2時間半で長崎に到着した。
ホテルにチェックインし、同窓会まで時間の余裕があったので、ひさしぶりに長崎の街を歩いてみることにした。コロナ前までは昨年末に亡くなった母親の見舞いに毎年長崎に来ていた。この界隈も車では何度も通ったが、じっくり歩くのは10年ぶりくらい。
ホテルを出てすぐ目の前が出島。出島が観光施設として整備されたのはかなり前の話だと思うが、実は出島の中に入った事はない。一度入ってみようかとも思ったが、時間がなさそうなので電車通り沿いに一回りだけした。
有名な新地の中華街も実は1度しか中に入った事がない。幼稚園から小学校と、高校から大学まで長崎の街で暮らしていたが、ここは観光地というイメージ。そういえば「四海樓」のちゃんぱんも食ったことがないかもしれない・・・
電車通りに出て思案橋。行こか、戻ろかちょっと迷ったが、そのまま進んで終点の崇福寺まで行ってからの折り返し。一筋中に入ってアーケード通りを目指して戻るコースを進んだ。この道は路地並みに狭いが車も通っていて、調べてみると国道324号線らしい。アーケードの端あたりの店に古いスピーカーが並んでいた。
かなり年季の入ったスピーカー達だが、真ん中の黒いのやその左上の茶色いのは1970年代のパイオニアのスピーカーっぽい。
学生時代、オーディオブーム真っ盛りですっかりはまってしまった私はバイト代を全てつぎ込んでアンプやスピーカーを次々と揃えた。最初にカセットデッキ TEAC A-460とヘッドホンから始まり、チューナー(YAMAHA CT-R1)、アンプ(Marantz 1150)、スピーカー(YAMAHA NS-1000M)とまさに次々と購入したのだが、それなりの値段なのでかなりバイトしたはずだ。
その隣、アーケード街を出てすぐの場所に「嘉穂電気」という電気屋さんがあって、そこのオーディオコーナーには足蹴く通っていた。今は駐車場になっていたが、パイオニアのスピーカーも当時そこに並んでいたのかもしれない。
アーケード街を歩いてみたが様子がすっかり変わってしまい、初めての街を歩いているという感じで、なつかしいという感じがあまりしない。嘉穂電気と同様によく通って、スピーカーやアンプを購入した「浜電機」は10年ほど前にエディオンになっていたはずが、場所はわからずじまい。
アーケード街で覚えていたのは「梅月堂」と「浜屋」と「石丸文行堂」だったが、その隣が同窓会場の「ボルドー」。トルコライスの発祥の店らしい。学食で時々スペシャルメニューとしてトルコライスが出てくるのだが、お世辞にもおいしいとは言えないので本場のトルコライスをちょっと期待したが普通の地中海系パーティ料理。それでもトルコライス必須のナポリタンはとても美味しく、これ単品でも食事として満足できた。
同窓会自体は47年も前のクラスの同窓会ということもあり、記憶をたどりながら、思い出しながら話をしていたので、やっと思い出した頃には次の話しに進んでいるという感じ。「え~と、そんな事あったけ・・・誰だっけ・・・・」と探りを入れながら記憶をたどりながら話しをする緊張感がたまらない。
アンプを買うために初めて駅前のホテルのビアホールでバイトしていたのだが、学部は違うが同じバイト先だった同級生がいて最後に「一緒にバイトしてたよね」と話しかけられて、「おひや」を頼まれて「ひや(酒)」を出して、お客さんが飲み込みかけて吹いてしまったという「おひや事件」をやらかしたのを思い出してしまった・・・。
同窓会を終え、ホテルまでゆっくり歩いて戻ったが、長崎の新スタジアムが10月に完成するようだ。2月に完成した広島のエディオンピースウイングスタジアムも素晴らしいが、長崎のスタジアムにも一度いってみたいものだ。J1で、サンフレッチェ広島 対 Vファーレン長崎のピースマッチの再来に期待したい。
翌朝目覚めたのは8時前。部屋が遮光されていたので気づかなかったが、カーテンをあけると笑ってしまうほどのピーカン。10:40のかもめに乗ればよいので遅めにチェックアウトして、正面の大波止港へ。
奥にダイヤモンドプリンセスが停泊していた。ダイヤモンドプリンセスと言えば、2020年2月、日本のコロナ禍で最初に注目を集め、建造中には火災にも見舞われているが、長崎で建造されたクルーズ船である。いろいろあったけど、故郷に戻ってほっと一息というところであろうか・・・
大波止から港ぞいに長崎駅へ。雲一つない、笑ってしまうほどの快晴なのだが、ふと気が付くと頭の中では松任谷由実(荒井由実)の「悲しいほどお天気」が流れていた。この曲は過ぎ去った学生時代へのノスタルジーの曲。でも長崎の街を出て40年以上になるので、目の前の風景はもはやノスタルジーのレンジ外。2本だった稲佐山のテレビ塔も3本になっているし、歩道というよりも公園と化した道を海の方に行ったり来たりして「映え写真」を撮ろうとしゃがんだり立ったり。まあ、普通の観光客ですな・・・
「おひや事件」をやらかしたホテルの手前、旭橋の出口あたり、大黒町のこの水路の雰囲気は見覚えのある風景だった。
大学1年から4年までバイトでお世話になったNHK長崎放送局は当時のまま外観は変わらない。夕方のニュースのライトマン(カメラマン助手)とテロップのバイトだったが、取材カメラは16mmフィルムの時代。Arriflex派とキャノンスクーピック派のカメラマンがいて、取材フィルムの現像・編集卓の横で字幕テロップの写植を行っていた。バイト最後の頃、大学4年の秋頃にENG(Electronic News Gathering = ビデオ)が導入され、編集室の様子も変わってしまったが、原爆の日に車が渋滞にはまってしまい、このままでは現像が間に合わないと、稲佐橋の手前から局まで撮影済みのフィルムを持って走った記憶がある。
10:40発のカモメに乗車。20分ほどでリレーカモメに・・・バタバタと乗り換えが続くので、新鳥栖駅で新大阪行にのりかえてやっと一息。
昼食は改札口反対側のファミマでゲットした「鯨カツ弁当」。昔、長崎は捕鯨拠点だったこともあり、高価な肉は食べられなくても、鯨のステーキは貴重なたんぱく源だったし、特に鯨の竜田揚げは好物で喜んで食べていた。この弁当にも小さな竜田揚げが入っているのだが、子どもの頃によく食べていた懐かしい味そのもので、この時初めて長崎に来たというノスタルジーに浸っていたかもしれない。いまさらながらだが・・・
山口県に入ると意外とトンネルが多いのでイヤホンをつけてしばし懐メロタイム。さだまさしの「帰去来」。
帰去来ってもともと、仕事やめて故郷に帰る時の「さあ、故郷に帰ろう」という意味になるようだが、この先、仕事を辞めたとしても故郷の長崎に帰るという感じではないかな。
長崎の街をちょっとだけ歩いて、異国を旅しているような違和感までではないが、全体としてはノスタルジーというよりも新しい街を歩いている感覚があったのも事実。もちろん、街のいたるところにトリガーが仕込まれていて、それに触れると普段は無意識の奥にしまわれている記憶が蘇ってくることがあり、それはそれで悪くはない。
帰去来のB面の最後のあたりに入っている「指定券」という曲は東京を離れて故郷に帰る「君」を東京駅で見送る曲。この曲の冒頭には当時の東京駅のアナウンスが収録されている。「16時30分発、さくら号、長崎・佐世保行き、まもなく発車いたします」。
ブルートレインがなくなってもう何年になるだろう。この曲を聴きながら私が乗っている車両はさくら号の名前を受け継ぎ、まもなく広島に到着する。