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「サンフレ取材班」の18年 part5
2023年11月25日 エディスタ最終戦
2023年11月25日ホーム最終戦は広島ビッグアーチ/エディオンスタジアム広島の最終戦でもある。1994年のアジア競技大会のために、1992年に建設された広島広域公園陸上競技場はサンフレッチェ広島のホームスタジアムとして30年あまりの歴史を刻んできた。当時最新鋭だったはずの映像設備は、アナログ放送時代の規格のままであり、10年前の2013年に映像装置が故障した時、古すぎて部品が調達できず修理不能陥ってしまったほどである。
2008年から場内中継(地上3カメ)を担当するようになったが、以来、中継カメラはアナログ規格の出力を持つSONY FX1を2023年まで使い続けることになった。大学で廃棄される寸前だった当時10年物の100mドラムケーブルを救出して、カメラのアナログ信号をマラソンゲート下のアナログ端子BOXに接続した。今となっては貴重なアナログ映像機材を使い続けてきたからこそ成立した3カメ中継であったが、ピースウィングスタジアムの規格にはあうはずもないので、これらの機材を使用し、ケーブルを張るのもこれで最後となる
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キックオフ3時間前。受付を済ませ、コントロールルームに預けてある中継用の三脚を受け取り、マラソンゲート下で組み立てる。中継を始めて以来16年間続けてきたこのルーティーンも最後。
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カメラを接続したらマラソンゲートから、バス待ちの場所までケーブルを張り、Twitter(X)用の2台のカメラ(横)とともにバスの到着を待つ。
🎥選手到着時の映像をお届け🚌
— サンフレッチェ広島【公式】 (@sanfrecce_SFC) November 25, 2023
映像協力:#安田女子大学#sanfrecce | #Jリーグ | #広島G大阪 pic.twitter.com/1XVCd8mvX4
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バス中継を終えた後はメインスタンド前にカメラを移動し、ウォーミングアップにピッチインする選手の中継の準備。2006年から使っている旧型機のため、ホワイトバランスをとる作業が必須。
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ピッチインする選手を迎えた後は、軒下中継の場所にカメラを移動。コントロールルームとインカムがつながっているが、「広島ビッグアーチ」の手書きの表記はおそらく1992年の当時のままであると思われる。
入場直前の選手の表情を中継して全ての中継ミッションが終了。キックオフまでにケーブルを巻きながらマラソンゲート下に戻らなければならない。
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学生カメラマンの皆さんはこのコレオグラフィをちゃんと楽しめただろうか。マラソンゲートまで持ってきたケーブルとカメラを撤収する。シーズン中はドラムと三脚はコントロールルームで保管してもらうが、最終戦はこのまま大学に持ち帰る事となる。100mのケーブルをドラムに巻く作業は結構大変なのだが、これで最後のケーブル巻き作業。代々の学生カメラマンが受け継いできたこの中継作業はこれですべて終了することとなる。お疲れ様。
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サンフレ取材班の学生カメラマンはケーブルを張って地上カメラの場内生中継を行うほかに、クラブSNS用動画(Twitter(X)用横動画 ,Instagram用縦動画)の提供を行っている。キックオフ前はバス到着時の動画やウォーミングアップ時のFocused player の収録。これらの動画はキックオフまでに掲載しないといけないルールがあるため、撮影した映像をその場でスマホで編集し、そのまま納品を行っている。さらに、勝利試合の場合は試合終了直後の監督カム(縦)とウィニングラン(greeting)の縦横動画の撮影が追加される。
11月25日のガンバ大阪戦は最高に盛り上がった試合となり、学生たちは沢山の収録を行った。
🟣𝙜𝙧𝙚𝙚𝙩𝙞𝙣𝙜🟣
— サンフレッチェ広島【公式】 (@sanfrecce_SFC) November 26, 2023
映像協力:#安田女子大学#sanfrecce | #ぶちあつ! | #Jリーグ | #広島G大阪 pic.twitter.com/0Mt0DqMHj6
ところで、Part4の「エピローグ」で、息子も東京から駆け付け、最終戦は久しぶりに家族でスタジアムに集結すると書いていたが、そうはならなかった。最終戦で学生の写真を撮影してくれたのは2006年から撮影隊の一員として活動を続けてきた山下教授である。この時私は長崎にいた。
92歳になる私の母は長崎の施設に入っていて、22日はいつものように一日を過ごしていたそうである。その日を終え、就寝した後、老衰により文字通りにそのまま永眠した。エディスタ最終戦のために東京から戻った息子と家族で長崎に駆け付けることができた。葬儀の時間とエディスタ最終戦の時間が重なっていた。
母は生前から死ぬのであればこのような死に方をしたいとよく話していたが、その願い通り、安らかに眠ったままの大往生。悲しいや寂しいという感情がゼロというわけではないかもしれないが、それよりも「お疲れ様でした」というか「ホッ」としたという安堵感の中にいた。
葬儀をすべて終えホテルに戻った頃、エディスタ最終戦は最高のエンディングを迎えていた。