『ヒールは延びていく』──七草にちかGRAD・『【GAP】緋田美琴』感想
◯ヒールは延びていく─── 『まっクろはムウサぎ』から示唆されていたもの
・【♡まっクろはムウサぎ♡】を振り返る
『あた』までのコミュは、にちかのプロデューサーに対する反抗を描く一連の話になっています。
一見すると、このコミュ群と『やばいいきもの笑』及び『家』は独立しているようにも思えるのですが、全て繋がっているコミュになっています。
「まっクろはムウサぎ」が登場するのは『やばいいきもの笑』です。
事務所の冷蔵庫に入れる食べ物に油性ペンで名前とイラストを描くくだりから始まるコミュになっています。「他の人に見られるから、ウサギとかは恥ずかしい」と言ってヒマワリを描き、その話から「まっクろはムウサぎ」のエピソードが語られます。
「まっクろはムウサぎ」とは、「小学校入学で道具に名前を書かなきゃいけなかった時に、はづきさん(お姉ちゃん)がにちか(自分)が喜ぶと思って描いたハムスターに、にちかが、ウサギがいい、と言って、そのハムスターにウサギの耳を延ばし、つなぎ目を消すために塗り潰したもの」です。
それをプロデューサーが「冷蔵庫に入れるやつにも描いてもいいんじゃないか?見てみたい」と言って、結局にちかはプロデューサーの手に油性ペンで楽しそうに「まっクろはムウサぎ」を描くという話でした。
つまり、「まっクろはムウサぎ」とは、"人が用意した理想(ハムスター)に、自分の理想(ウサギ)を延ばしたもの"なのです。
それを幸せそうな笑顔で、消えないペンで、名前と共に、プロデューサーになら描けるという話になっています。
それを踏まえて読み返すと、この「まっクろはムウサぎ」のことを、にちかは「ハムスターみたいなやつ」と形容するのですが、プロデューサーは一貫して「ウサギ」と言い続けているのが印象的です。
そして、
が、True End『家』に繋がっていきます。
「いいウサギにしてくれ
せっかく、油性ペンで描くんだから!」
・True End『家』
「────にちかは……!ビッグに……なるぞーーーー…………!」
この「大声出したのはにちかだ」「取り消さないだろ?」は、
あの日の事務所での宣言と、メタ的には、直前のコミュ『へんないきもの笑』での「消えないペンで名前とはムウサぎを描く」にもかかっている部分だと思います。
そして、町並みを俯瞰しながら「家」の話を夢として話すにちかは幸せそうに笑っているんですね。
その夢を叶えるためにした宣言が、
そして、静かな長い暗転で終わります。
あの日の事務所での宣言と長い暗転自体は同じですが、
町を見渡せる場所からの宣言は、事務所での宣言がやまびことして跳ね返ってきたあの日との、対比のようにも思えます。
これらの【♡まっクろはムウサぎ♡】のコミュで示唆されたのは、にちかの幸せの形だと思います。
思えば、『へんないきもの笑』の前まで(『あた』まで)のコミュで、プロデューサーに対する家族に向けるような反抗が描かれていたのも、「まっクろはムウサぎ」をプロデューサーになら描けるというところの意味を強調することに繋がっています。
人が用意した理想に、自分の理想を延ばしていって、ビッグになる。それが『家』でならできる。
天井努は「事務所が『家』のようになる」ことを願って283プロを再出発させました。奇しくもそれ(『家』)は、"八雲なみ"になろうとした七草にちかが幸せを見出せるものだったわけです。(そして美琴GRADでもこの『家』について掘り下げられた)
七草にちかのコンセプトは「みんなの妹」。今のところプロデューサーとはづきさん以外にそういった要素はまだあまり見られませんが、ここまでの文脈を踏まえると、それはにちかの幸せの形の一つのように思えます。
・【GAP】緋田美琴『vision』での言及
『vision』は、衣装、特にヒールに焦点を当てた話になっていました。
にちか(SHHis)まわりのコミュにおいて、靴は隠喩的な意味合いを持って描かれることがあります。特に八雲なみの文脈から、"他人が用意した理想"の意味を持って描かれることが多いです。
このコミュとGRADで明確に、「まっクろはムウサぎ」で描かれていたものと「靴とヒール」が結びついたように思います。
"他人が用意した理想(ハムスター/靴)に、自分の理想(ウサギ/ヒール)を延ばしたもの"。
だから、ヒールを履くと、美琴さんと同じくらいの身長になる。
ただ、衣装はぴったり(『そうだよ/そうなの』の歌詞での靴を想起させる)でも、ヒールはまだ不安定なんですね。
このコミュ内での衣装は美琴さんもヒールだったため、結局は美琴さんの方が目線が高くなります。
そのことについてにちかに対する、
この発言に、身長とヒールについてのこれまでの文脈からメタ的な意味合いが乗るようになっています。
・にちかGRAD
破滅衝動に溺れ、ただ自分を痛めつけるためだけのものになっていたヒール。
そんなにちかを見て、プロデューサーは「つかみかけてたのにな」と思ったのも、『モノラル・ダイアローグス』でにちかに「あいがふってきた」瞬間があったからでしょう。
そんなにちかに裸足でGRADを出るように促します。
そしてGRADが終わり、プロデューサーが靴を改めて用意した。
ここまでの流れが「靴とヒール」に隠喩を伴って描かれたコミュになっていました。
WINGで八雲なみと同じ"靴"で苦しみ、『モノラル・ダイアローグス』でもルカの口紅で美琴に合わせようとしていたにちか。
彼女の理想が彼女を苦しめ、それと同時にどこかでその痛みで自分の存在を確認していたように思います。自分の存在意義を求め、何者かになろうとしながら、いつしか自分自身の理想と自分すら乖離していった。
だから、彼女のヒール───彼女自身の理想は、不安定で、ただ彼女を傷みつけるものとして描かれていたんだと思います。
ただ、個人的に今回のGRADのコミュ良いなと思ったのは、その理想を否定しなかったことです。
だから、裸足でGRADを勝ち取ったとしても、プロデューサーが用意した練習靴には、"ヒール"があった。
それは、裸足でGRADに立ったからこそに思います。つかみかけていた「あい」のための舞台。
だから、改めて用意した靴は、
"他人が用意した理想に、自分の理想を延ばしたもの"。
示唆されていた幸せの形を踏襲するものと言っていいと思います。「まっクろはムウサぎ」を「ウサギ」と言い続けたプロデューサーらしい願いだったように思います。
七草にちかのGRADは、課題やテーマを残しながらも、それでも、確かに進んだコミュだったと感じます。