『セヴン#ス』感想
◯GRADまでの整理メモ
・『家』
八雲なみ引退後、天井努が283プロを再出発する際に掲げ、そんな場所になるように願ったもの。それもあってか、SHHisまわりの話では重要なキーワードになっている。
七草にちかのコミュにおいては、家庭の描写も多いため顕著であるが、特に【まっクろはムウサぎ】では『家』がTrue Endのタイトルであり、最初のSSRでありながら、隠喩的な表現を含みつつメタ的ににちかの幸せの形に深く言及したコミュになっていた。(「まっクろはムウサぎ/ヒール(くつ)」の項で後述。)そもそも七草にちかのキャラクターコンセプトは『みんなの妹』である。
緋田美琴に関しても、特にGRADでは明確に『家』はテーマになっていた。(「緋田美琴GRAD」の項で後述。)
また、斑鳩ルカにおいてもこのテーマは例外的でないように思える。
・アイドル/神様
にちかWINGでの「八雲なみだって神様じゃないよ」をはじめとしてSHHisでは頻繁に登場する「神様」というワード。
そもそも"八雲なみ"が消えた夜が神様の降誕を記念するクリスマスという皮肉(これは『THE IDOLM@STER SHINY COLORS Xmas Party -Silent night- 』で件のイベントコミュタイトルでもある『きよしこの夜(Silent night)』の副題を回収して初披露された『神様は死んだ、って』にもかかる文脈)から一つ大きなテーマになっているものでもある。
ある種の偶像崇拝、主ににちかとルカあるいは大衆の感覚として、アイドル≒神様、と見ている表現がなされている。にちかとルカにおいての対象は主に緋田美琴と八雲なみである。
この"神様"には、メタ的には「他人が造ったような理想そのもの(偶像)」「自分(崇拝する側)を救ってくれる存在」など、皮肉的な意味合いも含めて乗せられている。
ルカは自身がカミサマと崇拝されながらも「神様は死んだ」として救いを渇望し、にちかはアイドル≒"神様"になろうとして苦しみ、破滅衝動に酔いしれるほどになっていた。
八雲なみを起点とした文脈であり、SHHisの中でも大きなテーマになっている。
(美琴や八雲など神話を想起させるネーミングになっているなど設定の時点でかなり意識していることは窺える。ちなみに美琴さんの誕生日は聖母マリアが誕生したとされる日である。ルカが神様の名前ではなく福音書記者の名前であるもなんとなく内容と一致していて面白い。もっとも、これだけでコミュの推察の類を行うのは不健全だろう。さらに余談ではあるが、七草にちかの誕生日は『アイドルマスター』稼働日───アイマスの始まりの日でもあり、"アイドル"であることへの意義や幸福への懐疑、その不安定さを描くSHHisのシナリオ色は、アイマスというコンテンツへの問いかけでもあるのだろうか。実際、八雲なみと黒井社長の過去、その後悔から新たな望みをプロデューサーに託す流れは、『アイドルマスターSP』真アイドルマスターEDを想起させる。だから何というわけではないので、あくまで余談。)
・まっクろはムウサぎ/ヒール(くつ)
『あた』までのコミュは、にちかのプロデューサーに対する家族に向けるような反抗を描く一連の話になっている。
「まっクろはムウサぎ」が登場するコミュは『やばいいきもの笑』。
「まっクろはムウサぎ」とは、「はづきさん(他人/家族)がにちか(自分)が喜ぶと思って描いたハムスターに、にちかが"ウサギがいい"と言って、そのハムスターにウサギの耳を延ばし、そのつなぎ目を消すために塗り潰したもの」───"他人/家族が思う理想(ハムスター)に、自分の理想(ウサギ)を延ばし、一つになったもの"である。
それを幸せそうな笑顔で、消えない油性ペンで、名前と共に、プロデューサーになら描けるという小説(隠喩)的な構造になっている。
それを踏まえて読み返すと、この「まっクろはムウサぎ」のことを、にちかは「ハムスターみたいなやつ」と形容するのだが、プロデューサーは一貫して「ウサギ」と言い続けているのが印象的。
そして、
が、True End『家』に繋がっている。
True End『家』
「────にちかは……!ビッグに……なるぞーーーー…………!」
この「大声出したのはにちかだ」「取り消さないだろ?」は、
あの日の事務所での宣言と、直前のコミュ『へんないきもの笑』での「消えないペンで名前とはムウサぎを描く」にもかかる。
そして、町並みを俯瞰しながら『家』の話を夢として話すにちかは幸せそうに笑っている。
その夢を叶えるためにした宣言が、
そして、静かな長い暗転で終わる。あの日の事務所での宣言と長い暗転自体は同じだが、町を見渡せる場所からの『家』へ向かっての宣言は、事務所での宣言がやまびことして跳ね返ってきたあの日との、対比のようにも思える。
【♡まっクろはムウサぎ♡】のコミュでは、にちかの幸せの形───『まっクろはムウサぎ』が示唆された。そして、それは、家族みんなが帰る『家』をつくるという夢のために、
ハムスター(他人/家族の理想)に、ウサギの耳(自分の理想)を延ばして"ビッグになる"、と。
また、そこはかとなくこの『まっクろはムウサぎ』は、"くつ"を想起させる。
s-SSR【GAP】緋田美琴『vision』では、ヒールへの言及がある。
ヒールは、それによって美琴さんと並べる、『まっクろはムウサぎ』でいうところのウサギの耳(自分の理想)に近いものと言える。
そして、このコミュでにちかは『やっぱりヒールが不安定で』と言っている。
(ちなみにこの後、美琴さんもヒールを履いて結局にちかより高くなるのだが、それに対して、『まだ伸びるんじゃない?これから』と返している。)
にちかGRADでは、この"不安定な"ヒールゆえに、自身を痛めつけ、破滅衝動に身を任せる様子が描かれる。
しかし、特筆すべきは、にちかが裸足で優勝した後であっても、プロデューサーが新しく用意した"くつ"には、
ヒールがある。『まっクろはムウサぎ』のことをウサギと言い続けたプロデューサーは、彼女を傷みつけていたそのヒール───彼女の理想を否定せず、丈夫なヒール・くつを用意し一緒に歩いていくことを望んだのだ。
この"くつ"は、まさしく、他人/家族(プロデューサー)が用意した理想ににちか自身の理想(ヒール)を延ばしたもの───『まっクろはムウサぎ』である。
・あい
イベントコミュ『アイムベリーベリーソーリー』より、寡婦(八雲なみのメタファー的存在)がすり減らした探すべきものであり、コミュ中の登場メンバーでSHHisのみがその答えに辿り着かなかったもの。
『あい』とは、
また、『モノラル・ダイアローグス』では、
にちかが美琴さんにこう言えた場面で、
「"あい"がふってきた」シーンが挿入される。
(にちかGRADでは、破滅衝動に浸るにちかを見て、プロデューサーが「掴みかけてたのにな」というのはこれがあったからだろう。)
・緋田美琴GRAD
美琴GRADは、『dead』↔︎『alive』、ピアノの調律など、主として実家と事務所の対比が描かれ、美琴さんの変化が明確化された重要なコミュになっていた。
変化を明瞭にするため総じて伏線回収が詰め込まれたコミュであり、例えば、美琴さんの咳の原因が"寒暖差"という話がある。
大した原因(疾患)があるわけではないとされつつも度々描写があった美琴さんの咳。
寒暖差についての以前の言及については、【CHILLY】がわかりやすい。『東京に来た初めての冬はどこもすごく、寒く感じたの』とある。
また、1人で練習をしていたこの時も寒くてくしゃみをしている。
それを見かねたプロデューサーが暖房をつけて、
これを踏まえると"寒暖差"が原因の咳は、美琴さんの変化の予兆だったと言える。
(北海道に戻った時"寒暖差"故に今まで以上に咳に苦しむことになるが、『外の空気が澄んでるからってちゃんと息ができるわけじゃない』という部分は、【CHILLY】の寒暖差のくだりでの室内と外にもかかってくるか。)
美琴GRADでは、実家との対比を描き、美琴さんにとって283プロを帰るべき場所───『家』として描かれたのが印象深い。(美琴さんは、実家に"戻った"とか"行った"とかで、帰ったとは言ってない)
そして、美琴さんの変化を最も如実に表すシーンが、
一見するとただの裏返しのような表現。
しかし、『死んでもいい』から『生きていきたい』に変わったことは、ある意味で一歩先の───『アイムベリーベリーソーリー』においてSHHisが辿り着いていない答えとして描かれた"あい"───自己愛の部分への言及なのである。
だからこそ、この後美琴さんは(今までは機械や非生命体的なメタファーで表現されていたのに対して)生き生きとした描写が描かれる。
それを何よりも顕著に表すのが、GRAD最後のコミュ『goodbye』。
実家に戻ったときのお土産をレンジでつくろうとして爆発したという話。
【ROUNDLY】では、洗濯機(壊れる→283プロに新品が届く)が美琴さんのメタファーになっていた。【SEASON】のアイドルイラストでは、【一億回めくらいの、その夏】七草にちかと対照的に、青い鳥(おそらく童話から幸せの象徴)がぜんまい仕掛けになっている。
それを踏まえると、今回のそれは『レンジ(美琴さんの従来のメタファー)が壊れたわけではなく、お土産(実家・地元の象徴)が爆発した』となっており、GRADのコミュの内容をなぞっている。
それを踏まえると、誰でも簡単につくれるお土産が爆発した、というのもかなりセンセーショナルな表現である。
正直、美琴さんが地元に帰る流れになった時、そこ(過去)にあった何かを見つけて、話が進んでいくんだろうと思っていた(実際プロデューサーもその旨のセリフがある)。にちかがそういった回帰・帰属的な部分を幸せと感じる節があるため、というのもある。しかし、283プロを『家』とする流れは共通していながら『似ていても違う互いのストーリー』だったわけだ。
その上で『誰でも簡単に作れるそれを爆発する』というのは、「地元の時間にこそ正解があるのだろう」といった普遍的な想像をまさしく爆発させた。
しかし、その生き様こそが他の誰でもない、緋田美琴で、
ゆえに、爆発したそれは「人生みたいな味」なのだ。
◯『セヴン♯ス』
・
このイベントコミュでは、『カバー(トリビュート)』を題材に、八雲なみをある意味で中心として各人が描かれた。イベントs-SSRでもそうだが、過去と現在(未来)という対比もいつも以上に強く見られる。また、トリビュートに対するルカの『誰にできんだよママの曲─────!』などのカバーの意義やトリビュート(リスペクト)とは?に近い問答や、「実力か感情か」といった当初からのテーマも含めて、(相変わらず)踏み込んだテーマを含むコミュになっている。
美琴さんがとりあえず踊ってみせたものに対する、にちかやルカの『なみちゃん(ママ)より上手い』やそれに対してのにちかの『こんなだっけ』。そして、あのGRADを経た美琴さんは、ギュッと握ったこぶしの意味を汲もうとする。
そして、美琴さんは、それを『彼女が、彼女でいようとしたもの』と気づくのだ。
それは、「アイドルになる」ために止まることを知らなかった美琴さんが"どうして"の部分に触れることができた証左である。
八雲なみのラストシングルとなった『そうだよ』は、元々は『そうなの?』として天井が八雲なみに自由に作らせたものだったのだが、ある意味でそれはロックなものだったのだろう。しかし、それは業界に、タイトルも、彼女が彼女でいようとした振りも変えられ、否定された。確かに天井は彼女の夢のためにくつを用意し強いたが、彼女の夢まであと一歩だった最後の合わせられなかったくつは、何より彼女にとって、例えるなら"ヒール"や"あい"を折られ失ったものだったのだと思う。
美琴さんは、八雲なみが自分であろうとした振りを踊り、『そうなの?』を歌い、八雲なみ───アイドルに何が求められたかを知り、「アイドルとしてステージに立つ意味」を得る。
・
自分の中の『アイドル』の起源───家族が求めてくれる理想。
にちかは、"神様"的なアイドル(自分の理想)になろうとして、かえってただそれだけしか見えなくなり、彼女を苦しめ続けていた。
だから、そこに立ち返ることができたのは、『まっクろはムウサぎ』───家族が思う理想ににちか自身の理想を延ばしたもの、への実現の大きな一歩なのだと思う。
そして、
そこには美琴さんがいる。
それは、にちかの中で『アイドル』が『家族が思う理想に、にちか自身の理想を延ばし、一つになったもの』になった瞬間で。
それは、美琴さんでも八雲なみでもない。
にちかが『七草にちか』になるための物語が、ついに動き出すのだ。
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八雲なみのラストシングル『そうだよ/そうなの?』を終わってないものがあるように思うとし、『新たなキャンバスに描く、1枚めを始めよう』としている。
シャニマス5thライブ『If I _ wings.』のPVでは翼を/で切り裂く演出になっている。そんなIfのライブが行われるのだろうか。
そして、この『セヴン#ス』のラストを思わせる新CDシリーズ『CANVAS』。光の色が集い虹を超えて真っ白になったキャンバスに、叩きつけ重ねた時の色は黒であろうか。
6年目のシャニマスと彼女たちの物語はどのように展開されていくのか楽しみだ。