イベントコミュ『no/ode』備忘録―283プロの明るい部屋(カメラ・ルシダ)と斑鳩ルカの暗い部屋(カメラ・オブスクラ)が提示した、バイ・スパイラルの重なりと黒色彗星に託された願い
〇283プロの"明るい部屋"(カメラ・ルシダ)と、斑鳩ルカの居る"暗い部屋"(カメラ・オブスクラ)
イベントコミュ『no/ode』の諸描写を解釈する上で、イベントコミュ『明るい部屋』及び斑鳩ルカに関する「部屋」のモチーフについて整理しておきたい。
イベントコミュ『明るい部屋』は、「カメラ・オブスクラ」(camera obscura、訳「暗い部屋」)と対比的な「カメラ・ルシダ」(camera lucida、訳「明るい部屋」)の意味合いを内包して描写されていた。
「暗い部屋(カメラ・オブスクラ)」とは、被写体の光景を平面に投射することで射影された像を得る装置、すなわち、カメラの技術的起源である。暗い部屋の一方の壁に小さな一点の穴が開けば、もう一方に外の光景が射影されるということだ。
一方で、「明るい部屋(カメラ・ルシダ)」は、
すなわち、「装置を覗く者が手元の画用紙に、装置を覗いた先にある対象の姿とその人の描写を重ね合わせて転写する」、ということであり、"見るまなざしの観点においては"、写真の本質はむしろこちらだと『明るい部屋―写真についての覚書』では述べられている。
写真それ自体は、「それはかつてあった」という、被写体をその当時の姿のまま暴力的なほどに固定するもの、すなわち"暗い部屋"であり、これはイベントコミュ『明るい部屋』では「昔住んでいた誰かの時のまま時間が止まっているような、とされた七草父の遺品のある部屋」が対応している。しかし、あの部屋は"空けられた"ことによって、「現在そして未来の彼女たちが出入りする、重なり合って時間が刻まれ続ける部屋」となり、それは、観測者によって可能なあらゆる意味の深みを呼び寄せる"明るい部屋"であるという話であった。
斑鳩ルカに関する「部屋」というモチーフは、283プロ加入前であっても斑鳩ルカの"病み"の描写では頻出であったが、イベントコミュ『バイ・スパイラル』にて283プロと対比的な形で再登場する。"光と闇"に対応する、ドアが開かれた"明るい部屋"と閉じこもったままの"暗い部屋"。
さて、『no/ode』における描写でもルカについて部屋というメタファーが使われている。
他人が出入りすることのない、あの時のまま時間が止まったままの──暗い部屋。
そして、ルカの前に影が現れる。
シャニソンのコミュでは、これは、ルカ自身の姿をした影であった。つまりは、射影、あるいは、"暗い部屋"にまだいるルカが光に当てられた姿を象った文字通り影であったともとれる。
暗い部屋の一方の壁に小さな一点の穴が開けば、外の光景が射影される。
それはある意味で兆しなのかもしれない。『バイ・スパイラル』では、Aの閉じこもる暗い部屋に差し込んだ一点の選び取った光の射影────スマホに映る斑鳩ルカの姿が、Aが「明るくなくても、いいのかな」と"自分を許すこと"の兆しとなった。それは、まさに写真的な、『明るい部屋』で描かれた未来と意味の拡張へのアプローチ、そのものである。
今回のルカのそれは、はるきや羽那、プロデューサ-、ひいては283プロの存在により開いた小さな穴だろうか。それは、逃げていた"自分を許すこと"に向き合うきっかけとなるだろうか。
〇黒色彗星の飛来/バイ・スパイラル
「黒色彗星の飛来」とはなにか。
それは、「"光と闇"が重なり合う」ことの示唆であったように思う。断絶されたかのような差異によって価値を固定化する我々の性質に対して、差異を踏まえ解きながらも重なり合うためのもの、という向きの示唆である。
ゆえに、"黒色彗星"という、闇と光という2つの性質が重なり合ったような表現なのだろう。
今回だと、この"明るい部屋"と"暗い部屋"がこのテーマにあたるといえる。"明るい部屋"と"暗い部屋"は、写真が持つ両性質であり、それは"明るい部屋"様に"暗い部屋"(「かつてあったもの」)を重ね合わせながら描きだす───観測者によって可能なあらゆる意味の深みを呼び寄せ未来へと時間を刻むという、「"光と闇"が隣り合う」アプローチが描かれ始めているように思える。
ここにきて、『明るい部屋』が回収されたのだ。
また、はるきの、
『線たちの12月』で斑鳩ルカにとって「かつてあったもの」の象徴であった雪。
この瞬間、ドアが開いた車はルームランプが点灯する。
ここで"明るい部屋"になる演出は美しい。
ところで、シャニソンのコミュにも共通して言えるが、彗星も、雪も、ルカ曰く「いずれ消える」ものとして描かれている。
そういった儚い輝きは、特にルカの加入が発表された5thライブ以降の流れとして、例えばイベントコミュ『ヒカリと夜の音楽、またはクロノスタシス』でもテーマになっている。
コメティックにおいて、その解答は光と闇の上昇螺旋───『バイ・スパイラル』として描かれていくようにも思えるし、今回であればそれは、『かつてあったもの』そのものである"暗い部屋"に閉じこもりながら「すべてはいずれ消える」と苦しむルカに対して、未来へと連ねる"明るい部屋"を提示したという構図だと自分は解釈している。
ルカと同じく自分を痛めつけていたにちかは、対象を自分が立つ同じ現実世界のものとして認識し、原体験への回帰や『家』という諸意思によって生じた「自我」の遡及により一つの解決を迎えた。しかし、ルカはそうはいかない。2人の大きな違いは、283プロ≒「家」≒「明るい部屋」に"自分の意思で入ったか"、"連れてこられたと思っているか"の違いである。ゆえにプロデューサ-の"勝手に救おうとする"在り方はルカには届かなかった。だからこそ、『no/ode』では、はるきがコメティック結成の意義の重要な1ピースとして描かれている。"暗い部屋"を否定せず、それに重ねて自分や他者が描くという未来と意味の展延を生み出す"明るい部屋"────。
イベントコミュ『バイ・スパイラル』時点では一見重なることはないように見えた光と闇の2つの螺旋だが、本イベントコミュ『no/ode』では、『明るい部屋』の回収を以てして、
2つの断絶されていたような螺旋(o/o)が、少し重なり始めたのではないか。
改めて、斑鳩ルカ加入から始まる新たな1ページが「CANVAS」であることが意味を持ってきている。光というモチーフはそのままに、絵具ゆえの黒を加え、"色に囚われない(カラーレス)"というフレーズを打ち出し、改めて描くことに視点を当てているのだ。それは、"暗い部屋"という暴力的なまでに固定化する時間が進むことのない在りのまま(というよりかつてあったまま)から、"明るい部屋"───"暗い部屋"と重ね合わせながら自分と他者が共に未来を描いていくというように。
余談だが、『バイ・スパイラル』をはじめとしたコメティックのコミュは、イベントコミュ『明るい部屋』のキャッチコピーを想起させる。
今後、この「黒色彗星の飛来」に込められた聳え立つ巨大なテーマを相手に、どんな彗星の軌跡を描いていくのかが楽しみだ。