『THE (CoMETIK) EPISODE』備忘録―ドーナツを選ぶ、それは、
〇これまで
ルカは、『セヴン#ス』で確実化した「神の死」によって"従来価値の脱価値"=ニヒリズムに陥っていた。
本を正せば、それは、クリスマスという神様が降誕したとされる日における、皮肉的な、"八雲なみ"というアイドル≒神様の死が始まりであり、
美琴の件もあって、ニーチェの「神は死んだ」をモチーフとする『神様は死んだ、って』やルカの台詞には、以前からニヒリズム(あえて訳せば、虚無主義)と符合するものは多い。
ただ、留意したいのは、ニヒリズムとはあくまで従来価値の脱価値のことであり、ニーチェのいうニヒリズムはその末に生の肯定に至るものであった。
「神の死」に対するルカの態度は、ニーチェの"ニヒリズムの勝利の諸段階"に概ね沿っており、その最終段階は以下である。
ここで、ニーチェの、寓話のような著作『ツァラトゥストラはかく語りき』では、"永遠回帰"に至り、"大いなる真昼"が訪れようとする。
であるから、それに対応するのが、イベントコミュ『バイ・スパイラル』における"バイ・スパイラル"と"黒色彗星の到来"ではないだろうか。
真夜中から"大いなる真昼"が訪れようとする『ツァラトゥストラはかく語りき』と比べると、『バイ・スパイラル』は、
とし、光(秩序・規範)と闇(その逸脱)の共存へと向かう兆しが"黒色彗星の到来"であった。
────ニヒリズム(従来価値の脱価値)が辿り着く「すべてがいつまでも永遠に繰り返されること」を意味する"永遠回帰"は、その字面からどうにも以下の図のような「<同一なもの>が回帰するサイクル(円環)」をイメージさせる。
確かに、あらゆる価値を失えば、全ては同じことの繰り返しに思えるかもしれない。逆に、永遠に同じことを繰り返すのは、虚無だ。ともすれば、抜け出すことのできない円環である。
しかし、同じくニーチェ(ツァラトゥストラ)をして、その「<同一なもの>が回帰する円環」というイメージは、"知り尽くされた「言い回し」にまで還元してしまった"ものだという。
哲学者ドゥルーズは、"永遠回帰"とは「<異なるもの>の反復」である、という。
「バイ・スパイラル」は、"永遠回帰"の「<同一なもの>が回帰する円環」というイメージを脱却する概念と言っていいだろう。そのような一つの円環ではない、という意味合いとしての、「2つの」「螺旋」なのではないだろうか。
なにより、この「<同一なもの>の回帰」は、「『すべてはいつか消える』それがかつてあったものと同じように繰り返されるだけ」(『線たちの12月』をはじめとして、雪がこの象徴、その他、彗星、浜辺の絵など)という、ルカが囚われているものである。
また、それは、ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚書』を参照したイベントコミュ『明るい部屋』の文脈を引用する、ルカにも関するモチーフ"暗い部屋"でもある。
(※暗い部屋:「それはかつてあった」という、被写体をその当時の姿のまま暴力的なほどに固定するもの)
ルカが抜け出せないでいる、"暗い部屋"=<同一なもの>が回帰する円環。
ツァラストゥラに準えるならば、ルカが、「同一なものの回帰」ではないことを認める先に、「バイ・スパイラル」があるのである。
「バイ・スパイラル」とはなにか、については未だ解釈の余地が広いが、その兆しである黒色彗星=コメティック周りでは確かに、「同一なものの回帰」から展延する兆しが描かれてきている。
はるきは、【桜花拾】等での「反復するとしても、同一なものは回帰しない」「時間は連なっている」という、かつてあったもの(暗い部屋)を展延する「明るい部屋」を。
羽那は、「互いに直接交通することのないものをつなぎ合わせる関係」である、言わば「平行線」(『並行して触れ合うテリトリーの中で手を繋げたらいいね』)を。
そうして、「バイ・スパイラル」をコメティックは描いていくのではないか。
イベントコミュ『no/ode』では、『明るい部屋』の文脈も引継ぎながら、
2つの断絶されていたかのような円環(o/o)が重なったnode───結び目になろうとしていた。
そして、ファン感謝祭編では、夕暮れ時───昼と夜の狭間、光と闇が出会う時間に、ファン感謝祭を経たルカは、街の景色の変化に気づく。
暗い部屋(かつてあったものの円環)のドアはもう開いている。
〇ドーナツホール
トレーナーから見て「ユニットらしくなってる」というコメティック。そんな中、次にコメティックとして出演するライブイベントにシーズの出演が決まる。
プロデューサーの「コラボだって、相談すれば────」に対して、ルカは「やるわけねェだろ」と突っ撥ねて、タクシーを途中で降りる。そこで、美琴と遭遇し、
かつての美琴から変わった彼女を見て、『セヴン#ス』での確信を再認識する。
ルカがいる、かつてあったもの="暗い部屋"=<同一なもの>が回帰する円環。この"暗い部屋"には、もはや自分しかいないことに気づく。
そうして、ルカはまたベッドから動けなくなってしまう。
プロデューサーは、彼女の傷を、癒えるものだと見誤っていた。
だからこそ、彼はルカに対して間違えていたのだ。その傷は、彼女にとって「かつてあった大切なもの」を今確かめることのできるただ一つの証なのだから。
はるきと羽那は「そのまま」で、いつものようにルカにアドバイスを求め、5話『ドーナツホール』でルカは戻ってきた────
のだが────
その矢先、にちかと出会い、
にちかのレモンティーが、あの時美琴が買って飲んでいたものだと思い出す。
美琴は、新しく販売された、にちかと同じレモンティーを飲んでいた。改めて、「かつてあったもの」に取り残された自分を痛感し、再び閉じこもってしまう。
前話のコミュタイトル『下手くそな人人人人』は、アドバイスを求めた動画を見てルカが「────下手くそ」と言ったはるきと羽那の他、動けないルカ、そして、ルカに対して寄り添うことのできなかったプロデューサーを指すのだろう。
はるきと羽那に対して、「そのままでいてくれたらいい」と言ったプロデューサー。
〇If you don't know / I didn't know that.―ドーナツを選ぶ
これは、雪や彗星、ファン感謝祭編での浜辺の絵(「なんで消えるってわかってるもん描くんだよ────」)などのモチーフにも見られる、前述した「神の死」以降のルカの世界観によるものだろう。
「<同一なもの>が回帰する円環」に対して彼女が取ろうとした策は、時間を止めることだった。時間を止めてしまえば、誕生も消失もない────失う苦しみも回帰しない。
苦しみに成り代わった「何かを好きになる」ということも、その傷も、プロデューサーはついに肯定してみせたのである。そんな自分を、愛し愛されていいのだと────
そして、ルカとプロデューサーは、はるきと羽那が、シーズが、いる会場へと向かう。
ルカが3人でステージに立つと決めた、コメティックとしてのライブ。
こうして、ルカは、コメティックの斑鳩ルカとして、ライブを終える。
そして、この後のシーンは、『THE (CoMETIK) EPISODE』を象徴するものになっている。
ライブ後の夕暮れの街。昼と夜の間。
これは、5話『ドーナツホール』で、羽那がルカに「ルカちゃんがいないと全然コメティックじゃないの」と言った次の
という質問に関連している。
(あえて深読みすれば、点(・)が一つの「ミセス・ドーナツ」と、点が2つ離れた(・ ・)────重ならないルカとだぶるは、あるいはルカと美琴を表す、ルカが囚われている円環────「クリーミィ・クランキー・ドーナツ」というメタとも、考えられなくはない。)
好きなものを新たに選び取る。
この世界は、「かつてあったもの」が回帰する単一の円環ではなく、
反復は選ぶことができるのだ、と。
このドーナツを選ぶシーンは、そんなメタファーに見える。
交通しない差異を横断する羽那と、「かつてあったもの」を展延するはるき。ルカしかいないはずの、「かつてあったもの」の円環、"暗い部屋"。
────同一なものは回帰せず、時間は連なっている。開いたドアの先を見れば、そこには2人がいて、こちらにまなざしを向けていたのだ。
ここで、ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚書』の記述を改めて踏まえたい。
"暗い部屋"は、"見るまなざし"によって"明るい部屋"になる。
そして、
ルカは、「同一なものが回帰する円環」から抜け出し、自らの意志で円環を選び取ったのである。
"暗い部屋"のドアを開き、新たにコメティックがいる部屋へと向かったのだ。
後日『鈴木の部屋』にルカが出演する、というこのコミュのラストも、そのメタファーになっている。
こうして、新たな円環を選び取ったルカ。
……生まれたものもいつか消え、反復するとしても、同一なものは回帰しない。時間は連なっている。それは、【桜花拾】ではるきが見た「永遠に似たもの」。
かつての円環もこの新たな円環も連なっているのなら、それは螺旋spiralなのだろう。
「異なるものの反復」を受け入れた彼女は、コメティックは、きっと、「永遠回帰」に似て非なる「バイ・スパイラル」を描いていく────
〇『<永遠回帰>とは選択的である』―似て非なる「バイ・スパイラル」へ
・永遠回帰/ドーナツを選ぶ、それは、
ニーチェが、従来価値の脱価値ゆえの「同一なものが回帰する一つの円環」というニヒリズムや反動すらも反復することになるイメージから脱却し、生の肯定を成したのは、永遠回帰をどう理解したからであろうか。
ドゥルーズは、<永遠回帰>は、「解き放ち、選り分ける反復」であり、肯定の繰り返される倍増である、と言う。また、超人とは、人間の中で人間的な本質が引き裂かれたものとして生み出される、肯定の類型および肯定の産物である、と言う。
確かに、ルカは、新たな反復を肯定的に選択(ドーナツを選ぶ)し、解き放たれたように見える。しかし、シャニマスが描こうとするものは、『ツァラトゥストラはかく語りき』の再生産ではないし、ルカが"超人"となることでもない。
『ツァラトゥストラはかく語りき』では真夜中から"大いなる真昼"を迎えようとするのに対し、『バイ・スパイラル』で強調されていたのは、
光と闇の共存へと向かう兆しであり、それが黒色彗星であった。それは、このイベントコミュのs-SSRである『【夜になって】斑鳩ルカ』に見て取れる。
・【夜になって】
『【夜になって】斑鳩ルカ』では、「かつてあったもの」、すなわち"暗い部屋"について主に言及されている。
イベントコミュ『バイ・スパイラル』において、"暗い部屋"は、"夜"に属していた。
であるから、まさしく【夜になって】の話である。
一つ目のコミュ『ずっと大切に』では、コメティックのステージ後、ルカが美琴の隣にいたかつての自分を自嘲的に独白している。
コミュ冒頭のコメティックの出番後では「これで────終わったよ これで……」と言っており、彼女は、大切だった「かつてあったもの」と決別しようとしているのかもしれない。
しかし、ここで、スタッフの一人がルカに「本当はこういうのよくないんですけど……サイン、お願いしたくて……」と声をかける。
そこには、既に緋田美琴のサインがあった。
変化を受容し、その反動として「かつてあったもの」を否定しようとしていた彼女に対して、その「かつてあったもの」をいつまでも大切にしていいのだと告げるような出来事である。新しく選び取ったものも、何よりも好きだった「かつてあったもの」も、好きでいていいのだと────人一倍好きになり、人一倍失うのを恐れて、傷つく彼女が、好きなものを否定しなくていいように。
2つ目のコミュ『ゆっくりと夜に』は、"昼"からゆっくりと"夜"になっていく話である。はるき・羽那の「ルカのアドバイスが的確」とドーナツの話題の再掲という、1つ目の『ずっと大切に』と対照的に、だぶるはが絡むコミュになっている。
ドーナツはここでもモチーフとして印象的に描かれていて、
過ぎ去った円環と、新たに始まる円環。まさに、今回のテーマである。
その後、
彼女の眼には、はるきや羽那が話していたことに影響されたものが映る。
それを「勝手にやってろよ」と言いながら、またゆっくりと夜になっていく。
それは、イベントコミュ『絆光記』のルポライターを想起させる。変化を受容し、光に目を向けつつも、それでも彼は、光の裏として共存の道を選んだみたいに。
光(秩序・規範)と闇(その逸脱)の共存という『バイ・スパイラル』で彗星に込められた願い。ルカの「同一なものが回帰する円環」を、羽那の「平行線」とはるきの「明るい部屋」が展延した、光と闇の二重螺旋渦「バイスパイラル」を、今後どのように描いていくのだろう。
これからも黒色彗星の軌跡を追っていきたい────残した塵が流れ星になるように。
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