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貧しき者が手に取る本 #12

何百、何千年という時を超えても文学が変わることはない。どれだけ大地が変わり続けようとも、人類はその地で得た意志を言語表現に書き記し変わることのない歴史を残す。あるいは、過去の産物から知を集積する事で、その時代、また次の時代の地盤を固めてゆく。

僕の住む小さなボロ屋にも、遠い過去から残された産物があった事もその一例である。

畳5畳ほどのリビングとも言えない4人家族の家屋には衣食住をするための最低限の物が備わっていた。水垢を纏い錆びれたコンロが置かれている台所は、僕らの小さな胃袋を充分に満たしてくれた。居室の角には白いペンキが剥がれ落ちた三段のカラーボックスに服が折りたたまれている。一番上は姉、真ん中は兄、一番下は僕の服が丁寧に置かれ、春、夏、秋、冬の四種に変動する気候から子供の生命体の体温を一定に守ってくれた。母の服はいつも同じ物を身に纏っていたからか棚などというロケーションさえも必要としなかった。掠れた畳の中央には、か細い脚で懸命に板を支える小机がある。一家が囲み、絶え間の無い笑いを生み出す。母は、土方の業人の如く分厚く乾涸びたボロボロの手を握りしめ、小さな子供三人に不満足一つ感じる事のない生活を提供してくれていた。

ただ、一つ。最低限の要素を凌駕する“異分子”が部屋の片隅に置いてあった。消費財のロゴが書かれたダンボールが三つ重ねられ、黄ばんだ紙色をした書籍が並べられている。

「ドンキホーテ」「審判」「白鯨」「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」「神曲」「長くつ下のピッピ」「ハムレット」「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」「源氏物語」「金閣寺」「人間失格」「浮雲」•••
「マザーテレサ」「キング牧師」「アインシュタイン」「アガサクリスティー」「ピカソ」•••

母は仕事と家事をしていない僅かな週末の合間、陽の光を浴びながら机の上に肩肘を立て顎を手の上に乗せながら、“彼ら”を読んでいた。母は週末、僅かな小銭を片手に、買い物をするマダムのように近くの古本屋に訪れた。

「又郎、ついてきてくれる?」
仕事のない休日、少女のような瞳を向け、母は僕に問いかける。歌が好きな姉、絵が好きな兄と比べ特段好きなものがなかった僕は、母の“ショッピング”によく連れて行かされた。
家から歩いて20分程の所に「朝比奈書房」と書かれた古びた看板を掲げた古本屋がある。母は入店すると「どうも」と店主のお爺さんに会釈をし、棚を上から下まで物色し気になる本があればそれを広げ10分程読み込む。それを5,6回は繰り返す。“立ち読み禁止”と汚い字で堂々と書かれた張り紙を僕はぼーっと見ながら、それを気にする事ない母の背中を次に見る。その先のレジには牛乳瓶の蓋ような丸メガネをかけたお爺さんが本を読んでいる。お爺さんは目が悪いのか、読書に集中しているのか、あるいは呆れて立ち読み客に注意をする行為を諦めたのか、一度として母のショッピングを止める事はなかった。

小さな町の小さな古本屋には、世の中の新書と呼ばれるものは到底置かれていなかった。遥か昔の時を超え、世に出回る大量出版された著名な書籍が置かれている。誰かがどこかで手にしたその本は豊かな家庭の温かな料理の匂いを纏い、厚みのあるソファに腰掛けるご婦人に読まれる。もしくは、本を貪り読む丸メガネをかけた若者が喫茶店で珈琲を啜り煙草をふかしながらながら一枚また一枚と紙面を捲る。そうして、また主人の元を離れ古本屋に売られ再び我が身を手にしてくれる客人を待ち焦がれる。何度も何度も繰り返し、食べ物や嗜好品、人間の匂いを纏いこの田舎町に佇む朝比奈書房に辿り着く。

「又郎、ライト兄弟って知ってる?」
三冊目の“試着”を済ませてからだろうか、母は何が書いてあるかもわからない文庫本を手にする僕に問うた。文庫本から目を話す事なく僕は首を左右に振る。
「まあそうだよね」
母はその本をじっと見つめ、ニカっと笑った後スタスタと牛乳瓶メガネのお爺さんのところへ行った。

僕が生まれて初めて読んだ本がこの「ライト兄弟」の伝記であった。
偉人は前人未到の万人には踏み入れる事ができなかった新地を開拓する。誰もが努力の過程で挫折する中で、結果を求め心血を注ぎ込み握りしめたその証明は、称号となり名誉となり形となって語り継がれる。その残された偉人の産物は来世の人類の学びとなり積み上げる積層のように大地を形成していく。

ライト兄弟が、自転車屋で地を回り続ける輪を直し続けていたら空を悠々と飛ぶ飛行機はなかった。キング牧師が、黒人差別が当たり前であった中、人類は皆平等であると威風堂々たる声明をあげなかったら世は心が閉ざされ続けていた。エジソンが失敗を重ねても絶えることない好奇心と探究心を持っていなかったから、世界から夜が消える事はなかった。断じて負けることない強い信念を持ち続け目標を完遂したからこそ現世に勇気を与えている。

僕は幼くも、この朝比奈書房で母が手に取った“過去の友人”に出会った事で、何かを掴んだのであった。人間の欲求とは時に生物の域を超え、自身の殻を破る生物の機動力となる。一方で、儚くも虚しい手の届かぬ欲求を感じる時、深い暗闇にどこまでも落ちて行く。
宿命とて貧しく生きゆく小さな掌をぐっと握りしめ、微かに感じる希望の光を感じるのであった。

想像と創造 #11 どうで駄目でも夢を見よ #13

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