相又郎(ソウマタロウ)

経営コンサルタント 兼 フリーライター。外資系コンサル会社に勤め主にデジタル戦略に携わる。仕事の傍らに執筆活動をしている。物語(連載)の中で価値観や社会問題について語る

相又郎(ソウマタロウ)

経営コンサルタント 兼 フリーライター。外資系コンサル会社に勤め主にデジタル戦略に携わる。仕事の傍らに執筆活動をしている。物語(連載)の中で価値観や社会問題について語る

最近の記事

どうで駄目でも夢を見よ #13

時として、過去歩いてきた路(みち)を省みてあっちが良かったこっちが悪かったなどと、己が決めた意に疑いを持つ事がある。疑いが晴れようものなら清々しい空気を腹一杯に吸い込み、脳の隅々まで流し入れたいと望むものだが、過去に遡る事など到底できない。そう云う事は百も承知だとわかっていながらも、尚も繰り返し自分が選択した帰路に立ち返ってしまうものである。 僕の母に翼を与え過去来た路に戻れると云うのであれば、母はその翼をへし折って鼻唄でも歌いながら前に進んで行くであろう。或いは、その翼

    • 貧しき者が手に取る本 #12

      何百、何千年という時を超えても文学が変わることはない。どれだけ大地が変わり続けようとも、人類はその地で得た意志を言語表現に書き記し変わることのない歴史を残す。あるいは、過去の産物から知を集積する事で、その時代、また次の時代の地盤を固めてゆく。 僕の住む小さなボロ屋にも、遠い過去から残された産物があった事もその一例である。 畳5畳ほどのリビングとも言えない4人家族の家屋には衣食住をするための最低限の物が備わっていた。水垢を纏い錆びれたコンロが置かれている台所は、僕らの小

      • 想像と創造 #11

        時間に取り残された微かな冷たい風が寂しく通り過ぎる。裸の木々達は小さな新芽を忍びやかに生やし、地で休息する虫達は暖かい陽の光を求めゆっくりと目を覚ます。一年の終わりを告げ、また新たな一年を迎えようと生きとし生けるもの達がそれぞれの命の繋ぎを紐解出す。 4月を迎えようとしていた。 僕は何十年もの大気に触れたであろう乾ききった畳の上に横になり、暖められていく空気の匂いを感じながら錆びつく網戸から外を見ている。人間の体を纏う任務を終えた洗濯物がゆらゆらと揺られひと時の休息をして

        • 遺伝子からの届け物 #10

          気がつけば、兄は絵を描いていた。 畳の上にうつ伏せになり黙々とペンを動かしている事もあれば、小さな机に紙を置きずっと向き合っている事もある。学校帰りの夕日が差し込む時も、土日の平穏な太陽が照らされる朝も、12色の色鉛筆を横に置き白い紙と一緒にいた。まるで白い紙の中には彼にしか見えないもう一つの世界があるように、兄は色とりどりの鉛筆と共にその中に吸い込まれていた。 僕と兄の顔は双子に間違えられるほど類似している。目、鼻、口の位置関係にしても相対的に見える顔の輪郭も自分を鏡に

          写真が写すもの #9

          祖父が開いた本の中には、数々の写真が収められていた。茶色の台紙の上には透明なフィルムで保護された写真が均等に配置され、無骨な祖父の指先からは想像できない繊細な加工がなされている。祖父は髭が絡み合う乾涸(ひから)びた唇を三日月のようにほころばせ、写真集を一枚また一枚と捲っていく。 モノクロの写真、色彩豊かな写真、世に存在する全ての色というものが、何も知らない7歳の真っ白な僕の心に絵の具を垂らすようだった。 “水気を欠いた広大な地面に、命を吹き込むように降り注ぐ雪” “神々

          写真が写すもの #9

          暗闇の写真家 #8

          外界から閉ざされた暗闇が支配する部屋に一筋の光が差し込む。世界の多様性を訴えるかの如く濃淡のある光は超越的存在感を感じる。暗闇がなければ光はなく、光がなければ暗闇がないとでもいうように。射す光の先には陰翳(いんえい)が作り出す淡い光の情景が浮かぶ。 紀元前、人類は暗い部屋に外からの光を射影する事で屋外の景色を形に変えた。その手法は”カメラ•オブスクラ(Camera obscura)”と呼ばれ”暗い部屋”を意味しカメラの原型となった。 僕の母の父、つまりは僕の祖父は人類

          小さなボロ屋と赤い花 #7

          通学路はいつの間にか末枯野(うらがれの)美しさが澄み渡っていた。並木道の木々達が衣を脱ぎ細々とした腕を伸ばしている。目を閉じると風を掴む事ができ、耳を澄ませばその音が聞こえる。 10月の運動会が終わり、我が家はより一層に賑やかになっていた。ボロ屋からは無邪気な子供の笑い声とそれをかき消すような母の笑い声が鳴り響いている。 「こら、そうやって遊ばないの」 母は注意の言葉を発していたが、隠しきれない楽しみの表情が滲み出ていた。僕は真っ赤なカーネーションの花びらを両目に被せ

          小さなボロ屋と赤い花 #7

          孤独の先にあるもの(2/2) #6

          「お母さんね、明日運動会に行けなくなったの。」 母は味噌汁を兄の茶碗に分ける時にそう呟いた。“行けなくなった”その言葉の意味を僕はすぐ理解する事ができなかった。きっと姉も兄も同じだったのだろう、”行けなくなった”を意味するものが、willではなくwill notであり否定形の言葉である事を瞬時に脳が分別できなかった。 人は言葉を理解する時、理解したいと思うものを前提とし脳が識別するのだと思う。音の意味を認識する時、耳の外耳道から音波がスーっと通過し鼓膜に当たりそれが振動

          孤独の先にあるもの(2/2) #6

          孤独の先にあるもの(1/2) #5

          孤独とは何か。 閉ざされた空間の中で一人蹲(うずくま)り”無”を感じる事だろうか。世に存在する種類や性質の何にも属さない”異分子”であると外界から発せられる忠告なのか。自分が透明になるかのように、それは物理的に感じ、時には心理的に感じ”自分の意味”を問いただされる。 小学校には”親”というものが大々的に公表されるイベントが存在する。無情にも単発的なものではなく複数に渡り開催される。 「運動会」もまた、その一つである。 約二、三ヶ月に渡り全体行進や徒競走、綱引き、玉入れ

          孤独の先にあるもの(1/2) #5

          最高級のレストランへの招待状(特別であることの理由) #4

          我が家が外食に行くためには招待状が配布されることが条件であった。 招待状はチラシの裏紙が使われ名刺ほどのサイズに綺麗にハサミで切り取られていた。 「ハニーハニーレストランへの招待状」 達筆な字で書かれたその手作りの招待状は特別な時だけに子供達が集うボロボロの食卓テーブルに朝置かれていた。 誰にとっても誕生日とは365日の中で特別な日である。単調に過ぎ行く時間の中で”その日だから”という当人だからこそ知るその人だけのプライスレスなひと時は、いつもとは違う最も超越した日であ

          最高級のレストランへの招待状(特別であることの理由) #4

          我が家の最高級のレストラン(五感を超過する刺激) #3

          「ハニーハニーレストラン」それが、我が家にとっての最高級のレストランであった。 ケンタッキーフライドチキンに「カーネル叔父さん」がいるように、創業者カーネルサンダースが店舗の前で微笑み”優しいお祖父さんのフライドチキンが食べたい”と思い店舗に足を運びたくなった衝動は誰もが感じた事だろう。世界最大のファーストフード店マクドナルドもまた、陽気な道化師ウィラード•スコットをモデルとした「ロナルド•マクドナルド」が両手を広げベンチに腰掛けている。1963年、当時米国のマクドナルド

          我が家の最高級のレストラン(五感を超過する刺激) #3

          記憶の中にある秘密 #2

          狭い家屋の中で単調な生活を送る事は、僕にとってさほど苦痛ではない。 今から21年前、当時僕が小学校一年生の時、僕の実の父親は背中を向けて暗闇に消えていった。 記憶というのは過去の出来事を保持し、後にそれを思い出す事から可能になるが、無数の経験から取捨選択が成され”将来に必要な情報”だけが今という時間に残されているのであれば、それは必然的に何か意味を成すのであろう。例えその記憶が不快な感覚を齎そうとも。誰がそれを選択しどのような基準で”必要である”と判断するかは定かではない

          記憶の中にある秘密 #2

          珈琲の木 ~小さな母と3人の子供~ #1

          今日、僕の中で大きな節目を迎えた。 この瞬間、目に見えるもの、聴こえる音、話す言葉、全てが今までにない初めての感覚である。 週に二、三回は通っている新宿の喫茶店で、グラスに水滴を纏うアイスコーヒーと向き合い、空気中の水分が温度の低下により液体に変わる現象をじっと見ている。背景には、喫茶店の象徴とも言えるような赤いソファと小汚いテーブル、ガラス細工で施された髪の長い女性と高貴な紳士が手を触れ合う絵が描かれた天井があり、そのレトロな雰囲気がより一層にグラスの表面に滴り落ちる水滴

          珈琲の木 ~小さな母と3人の子供~ #1