記憶の中にある秘密 #2
狭い家屋の中で単調な生活を送る事は、僕にとってさほど苦痛ではない。
今から21年前、当時僕が小学校一年生の時、僕の実の父親は背中を向けて暗闇に消えていった。
記憶というのは過去の出来事を保持し、後にそれを思い出す事から可能になるが、無数の経験から取捨選択が成され”将来に必要な情報”だけが今という時間に残されているのであれば、それは必然的に何か意味を成すのであろう。例えその記憶が不快な感覚を齎そうとも。誰がそれを選択しどのような基準で”必要である”と判断するかは定かではないが、自分の中の自分を最も深く知る何者かがその判断を下すのである。
父と母は、群馬県の山奥にある田舎町で出会い普通に結婚し、娘1人と息子2人を授かり平凡な生活を送っていた。しかし、僕が物心ついた頃には背中を向け何も語らず父は消えていった。父親が家を出て行ってから、母親の白髪は急速に増え始めその一年間で五歳は老け込んだ。背丈が小さい小柄な母は、さらに萎縮し小さくなっていった。
それからの日々は絵に描いたような貧乏生活が始まった。母は高卒であり、汎用的な資格は何も所持していないため、朝は新聞配達、日中は引っ越しのパートを始めた。母は重くのし掛かる疲れ切った体を何とか支え帰宅し、そんな状況を理解する事ない無限大の食欲をあらわにした子供3人がボロ屋でお出迎えした。夜の9時にはラジオのスイッチを押し、立っているのが不思議な程の細い4本の脚を持つ汚い机に、大量の水分を含んだふにゃふにゃの白米と具がない味噌汁(この場合は味噌湯とでも言おうか)を食卓に並べる。肉や魚、野菜が出るなんて事はなく、それらが出るなんて時には恐らく最後の晩餐でも開催されるのだろう、と子供3人は陽気に食卓で談笑した。母はお決まりの献立を食卓に並べると姉、兄、僕の順番に白米と味噌汁をお皿に取り分け、最後に残った僅かな食料を最後に自分に取り分けた。
「お母ちゃんはお腹空いてないの?」3人の中で最も長年の経験を有する小学四年生の姉が聞いた。
「お母さんは特別だから、このジュースを飲んでパワフルにならなくちゃ」母は茶透明の異様な液体が入ったグラスを持ち、白い歯をニカッと掲げ、子供3人に笑いかけた。
人の欲を満たす時、何を基準にそれが達成されるのか。生きとし生けるものへの主要命題とも言えるべき食欲と言う欲求に、当時の僕は何一つ不満を感じる事はなかった。
狭いボロボロな家屋の中に、小柄な母と子供3人が机を囲む情景を僕は遠くから見ていた。その机の上には、白米が入った錆びれた鍋と味噌汁があり、大黒柱の小柄な女性の前には限りなく透明に近いアイスコーヒーがそびえ立っていた。
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