教育業界へのチャレンジ
神戸に移籍してきた2011年から株式会社SOMAというまんまな会社を立ち上げた 笑
今でこそ選手の副業、YOUTUBEやアパレル販売など有名な選手は自分のSNSを使って副業するのは普通になってきたがその当時はチームからも相当煙たがられていたし調子が上がらなかったり試合に勝てないとサッカーに集中できてないとか結構色々言われる時代だった。
サッカー選手のセカンドキャリア問題は選手時代に意外に引退後に備えることを日本社会が嫌うところにもあるかもしれない。サッカー選手たるものサッカーに100%集中しろ!的なところがやっぱりある。
引退した今外野でサッカーをみてると自分もそう穿った目で見てしまうところはあるからね。でも自分ごとに考えてみたら選手終わった後にどこのクラブも引退後の未来は保証してくれないしそれがプロの世界だから当たり前なんだけど当事者は結構厳しい。
そんな厳しい目を背負いつつ始めたのが脳科学を使った幼児教室とサッカースクール。ポルトガルにいたときに長男(今もう中1)が生まれ妻と子育ての方針を模索していたところ脳科学に出会った。僕はいつからか化学と宇宙が大好きだ。基本的にロジックで数字で語れる世界を好む。いつからだろう昔はそんなことなかったんだけどな。
そんな僕と妻は脳科学を調べ尽くし、とある有名脳科学者に直アポして会う段取りをつけ色々学ばせて頂いた。
これは自分の子育てだけではなく世の中に広げるべきた。とその時思った。
化学的に天才児は作れる脳の仕組みを知れば賢くできる。それがこの事業のきっかけだった。その後当然僕らは科学の世界に魅了された。
事業を立ち上げた当時は練習後にカリキュラムを作り実験台のように大久保嘉人の子供を筆頭に選手の子供たちにカリキュラムを試し実際にIQ値が高くなるのかなどを試しながらカリキュラムを作って行った。
選手をしている期間は事業自体をスケールさせることはできなかったが自分達のカリキュラムに確信を得るまでの時間としては十分な期間だった。
引退するまでの1、2年間で50人弱の生徒を見てきたがいずれもIQ値に向上が見られ顕著だったのが自閉症傾向のあった子が私立の有名校に受験合格し以前の自閉傾向の症状は全く見られなくなった。この時に脳のメカニズムは天才児を作るカリキュラムは障害を持った子供たちにも効果を発揮するのでは?
と思うようになった。引退後はこれを本格的に事業化し世の中のためになりたいといこんな子供たちの成長を間近で感じられたのが引退を決意するきっかけにもなった。
引退直前から必死にスタッフを集め障害児通所支援事業を立ち上げ準備に取り掛かり右も左もわからないままに物件選びやお金の管理、内装の依頼やデザイン、事業の収益体制や競合他社のリサーチも手当たり次第にやれることはやった。
この事業が失敗したらどうしよう。。。。
と思う気持ちと今まで作ってきたノウハウは絶対受け入れてもらえるはずだ。
きっとみんなのために立てるという気持ちが入り混じる中とにかく必死に準備した。
こうして僕はセカンドキャリの道に足を踏み入れた。
特に頑張ったのが営業活動、特に学もないスポーツ馬鹿の僕はサッカーを始めた時同様に人より足を動かしてとにかく頑張るしかない。
立ち上げ当初数ヶ月で神戸市は当然その周辺にある保育園幼稚園は全部営業に足を運んだ多分300以上はあると思う。それが功を奏したのか、たまたまうまく行ったのかお客さまにも喜んでいただけたし、直接僕も支援にあたることもあったが子供たちの成長を間近に感じその成長を見てこの事業が今後成長産業であるとに確信を得た。
今回はこの辺にして次回に続きを綴ります。
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