無意識と差別と保育園の「お昼寝の時間」
ちょっとだけ昔ばなしをします。
20年近く前、保育園の頃の話。
保育園児の時の記憶なんて、正直ほとんど覚えてないけど、ひとつだけ未だに忘れられない、忘れてはいけない記憶があります。
保育園って、おそらくどこでも「お昼寝の時間」ってあると思います。
例外なく、私が通っていた保育園でもありました。
お昼寝の時間は、みんなで布団を敷くところからはじまります。
自分で好きな場所に布団を敷いて、夢の中に入っていく。
ある日、いつものようにお昼寝の時間がやってきました。
自分の布団を敷き終えて、寝ようとした時、
隣に同じクラスの黒人ハーフの女の子が布団を敷き始めました。
その時、私はその女の子から逃げるようにとっさに布団をずらしていました。
気づいた先生に、「なんで避けたりしたの??」と聞かれましたが、自分でもよく分からず、
「ごめんなさい」と、ただ謝っていただけでした。
すこし経ってから考えると、
自分のどこかに、「自分とは明らかに違う存在が怖い」という意識があったのだと思います。
その女の子のことが特に嫌いだったわけでもないのに、自分の偏見で人を傷つけてしまったということは、未だに後悔しています。
子どもながらに、差別が生まれる瞬間と加害者としての当事者意識を理解したきっかけでした。
「#BlackLivesMatter」で世の中全体が考える黒人差別
アメリカ・ミネアポリスで警察官が黒人男性を殺害したことを皮切りに、黒人差別に対するデモ行為が過激化しています。
この事件はあくまできっかけに過ぎなくて、これまで虐げられてきた感情が爆発しました。
暴力ではなにも変わらないけど、なにをすれば変わるのか分からない現状。
そして、ネット上では「#BlackLivesMatter」、「黒人の命も大切だ」という声が挙がっています。
著名人、企業、一般人、みんなが声を挙げています。
Netflixは、「沈黙は、共犯だ。私たちは声を上げる義務がある」と主張しました。
実際に人の命がなくなっていますし、Netflixが主張するように今世界中で考えるべき問題であると思います。
当事者意識を持つ。無意識の差別を問題視しろ。
私たちがまずすることは、差別に対する当事者意識を持つ、ということです。
差別の問題はアメリカでだけ起こりうる話ではありません。
自分も差別問題の当事者であるということを意識するべきです。
本当に自分には関係ないことでしょうか。
本当に無意識に偏見・差別をもっていないでしょうか。
私は幼い頃に、無意識の差別で人を傷つけてしまいました。
だからこそ、今この差別問題について真剣に考えています。
多様な人種、多様な生き方を世界中が受け入れる。
そんな社会をつくるには、一人ひとりが当事者意識を持って問題を考える必要があると思います。
お昼寝の時間、誰と隣に寝ることになっても、夢の中でまで手を繋いで笑い合える社会になることを願います。