アフリカ・ストリートサッカーでの衝撃
株式会社ヤトラ代表の田代 蒼馬です。
ヤトラは訪日観光客向けツアー・メディアを運営するインバウンド特化の旅行会社です。年間3万人の訪日観光客を受け入れています。
昨年12月頭から3週間ほど、コートジボワール・ガーナ・トーゴの3カ国を旅しました。
西アフリカはマイナーな観光地ということもあり、VISA取得の情報や旅の詳細がネット上ではあまり見つからず、初日から順にブログ形式で記事を書くことも考えました。しかし、旅で自分が衝撃を受けたことや学びになったことを中心に、テーマごとにまとめて書いていくことにしました。
2025年は、自分が実際に行ってよかった日本や海外の旅先の旅程を、宿泊先やアクティビティ、レストランなどの情報と一緒にNoteで販売することを目標にしています。これから少しずつ更新していきます。そして、毎週投稿を継続します!
今回のテーマはストリートサッカー。
これまでたくさんの国に旅してきましたが、現地の人とサッカーをするのはかけがえのない思い出になっています。
今回も全ての国でストリートサッカーをしましたが、やはりボール1つで言語を超えて人と繋がれるサッカーは本当に偉大。ボール1つあればできるスポーツで、今回行った3カ国全てで、サッカーをやっている人をたくさん見かけました。(コートジボワールのサッカー人口はレベルが違ったので後述。)
そして、現地の人に溶け込むことで、外部の人間(=観光客)の視点から、よりローカルの視点に近付くような気がするのです。ストリートサッカーをすることで、その国と自分の距離が縮まるような感覚があります。無我夢中で現地の人とボールを蹴ると、その後にはなんともいえない、清々しい気持ちになります。
特にそれを感じたのが1カ国目、コートジボワール。
そして、タイトルにある「衝撃的だった出来事」は2カ国目のガーナで起こりました。アフリカ旅で一番ビビッときた瞬間かもしれない。
<目次>
1. コートジボワールのサッカー熱に魅了
2. 子供とサッカー中、「舐めるな!」と大人に怒鳴られた
3.「水を買ってくれ」突如全員からの叱責に合う
1. コートジボワールのサッカー熱に魅了
西アフリカ旅1カ国目のコートジボワール、この国はサッカーが強い。
サッカー好きなら誰もが知る有名選手・ドログバは、内戦を止めたヒーローとしてこの国では神のような存在だ。
旅前、僕の国に対するイメージは、サッカー。
入国して数日経った後のイメージも、サッカー。
本当に、サッカーをしている人口が多いんです。
道を曲がっても曲がっても子供たちがサッカーをしている、そんな状況です。
コートジボワールの中心都市・アビジャンで、僕の心はなんだか晴れませんでした。
アジャメという巨大マーケットに毎日のように足を運んでいたのですが、道を歩けば「China!」「白人!」と呼ばれ、言語もフランス語が中心で英語はほとんど通じず、そこにクレカで現金が一切下ろせないトラブルも重なり、あまり国が自分にフィットしていない、そんな風に考えていました。
ですが、そこに光が差した瞬間、それはローカルフードとサッカーでした。
アジャメのごちゃごちゃしたマーケットの中心で賑わっているローカル屋台へ。外国人が新鮮なのか、好奇の目で見られます。そこで食べた郷土料理アチェケが辛くて困っていると、青年が水を買ってきてくれました。
Google翻訳を介して、ありがとう / どういたしましてという簡単なやりとりをした後、僕が料金を渡そうとするといらないの1点張り。代わりに、バックの底にあった100円を渡すと、その硬貨の意味を聞いてきて、会話で盛り上がりました。隣の女性もフランス語で僕に話しかけてきて、その時何か一つの扉が開いたような感覚がありました。
心の底から、楽しんでいるという感覚。
その帰り道、自分より少し上の年代のグループがストリートサッカーをしていたので観戦。みんなサンダルと靴の間のようなシューズを履いているのですが、めちゃくちゃ技術が高い。うまいなーと思いながら、ボーッと試合を見ていると、1人の青年が英語で「Let's Play」と誘ってくれたので、靴紐を結んでピッチに入りました。
試合は8人vs8人。
僕のあだ名はジャポネ。フランス語で「日本」を意味します。
国名で呼ばれるのは、割とどこの国でも共通な気がしています。
2時間ほど一緒にサッカーをして、気がつけば辺りは真っ暗になっていました。アフリカサッカーで印象的なのは、とにかく荒いこと。そしてストリートサッカーにレフェリーがついていること。
コンクリートは剥き出しの危ないグラウンド(空き地)なのですが、関係なく激しいタックルを見舞ってきます。
ファールをして、抗議して、一触即発になる。
アフリカストリートサッカーでは、本当にあるあるの光景でした。
感情表現が素直で、ダイナミック。ですが試合が終わるとみんな大笑いしながら、帰路に着きます。
完全に異質の僕でしたが、1プレイヤーとして受け入れてくれて、なんの忖度もなく普通に試合をしました。その夜、歩いてゲストハウスに帰る途中、なんともない高揚感がありました。初のアフリカ大陸でサッカーを通じて知り得た現地の人の個性、試合のスタイル、全てが新鮮で楽しかったからだと思います。
ちなみにこのサンダルシューズ、空港の広告でも少年が履いていたので調べてみると、そのプラスチック製のサンダルには「レケ」という名前があることがわかりました。「貧乏人の靴」と揶揄されることもあったようでしたが、安価に手に入り動きやすい靴のような存在として、サッカー人からは愛用されているようです。こうした国特有の文化があるから、旅は面白い。
2. 子供とサッカー中、「舐めるな!」と大人に怒鳴られた
ガーナの第二の都市・クマシでのストリートサッカー体験談です。
ガーナはコートジボワールと全く雰囲気が違い、人がどんどん懐に入ってくる、ガツガツした感じがありました。
初めて入国した際には、Bro!とたくさんの人にハイタッチされ、爆音が流れる道中で老若男女が踊っている、その陽気さがとても印象的でした。
だがそのガツガツした感じは良くない方向に出ることもあり、前述した「China!」「白人!」と一番声をかけられたのがこのクマシでした。少し嘲笑するような雰囲気で声をかけてくることが多かったので、あまり落ち着きませんでした。
お昼であっても、皆んなからじろじろ見られるような道もあり、場所を選んで歩き回っていました。物乞いの子供たちから抱きつかれて、1kmほどついてこられたのもこの都市が初めて。
そして、アフリカは、本当に日差しが強い。体感そこまで暑くないのですが、歩いていると体が焼け、汗が吹き出してきます。
歩き疲れたので木陰を探そうと、学校?のようなところの屋根下に腰掛けました。
休んでいると、学校の休み時間が始まったようで、子供たちが一斉に出てきて、僕はいわゆる「人気者」扱いされました。みんなが近寄ってきて、手を引っ張り、質問攻めしてくる。
このガーナすごいのが、子供も皆んな英語を話せる。というのも、イギリスの植民地支配下にあった影響で公用語が英語だからです。
Where are you from?
Japan!
China?
Japan! Do you know sushi?
・・・
日本といってもピンとこない子供も大勢。アフリカに来るまでわからなかったことですが、「寿司」の知名度はそこまで高くない。任天堂とTOYOTAは最強。
目の前のグラウンドでは子供たちがサッカーをしていたので、この人気を利用して参加しちゃえ!と思い参加することに。
僕が参加すると、サッカーをしない子供たちはグランドの周りに行き、観戦に回り、ミニスタジアムのような状況に。僕は荷物を先生に預けて、靴紐を結んでピッチに向かいました。
試合は一進一退、子供たちですが、彼らも荒い。男の子も女の子も。
相手にはエース格の子がいて、僕と彼の一対一は特に盛り上がりました。
2失点して、ビハインドの中迎えた終盤、僕にボールが渡り、2人を華麗に抜き去った後シュート、ゴール。
僕は着ていたタンクトップを頭からかぶり、膝をついて空を見上げて、ドログバのゴールポーズをしました。会場は大盛り上がり。
相手のエース格からもハイタッチを求められ、「なんて楽しいんや」そんな感覚でした。その時には、国籍はもちろん、年齢までも忘れてサッカーに没頭していました。
その後、僕が座って休んでいるとみんなが僕の髪の毛を触ってケラケラと笑っています。
熱帯で育った彼等と純日本人の髪質は違い、外国人と接する機会が少ない彼れらにとっては珍しかったようです。
そのリアクションが面白かったので動画を撮っていたら、その様子を見た大人が僕のところに駆け寄ってきて、「帰れ!」と怒鳴ってきました。相当怒られました。黒人は髪の毛を触られるのを嫌がるようで、「アフリカ系の女性の髪に触るのはタブー」といった定説もあるそう。
それだけではなく、「裕福な白人がサッカーをして、なにがしたいねん」といったような種類の感情があるようにも捉えられました。
その後、みんなで写真撮影しましたが、僕の顔は引きつってしまいました。
それより長くいる気になれなかったので、子供たちと解散して学校を後にしました。
一緒にサッカーをした子供たちがスパイクを買ってくれ、と詰め寄ってきて、僕が断っていると相手だったエース格の子が耳打ちで水を買ってくれ、と言ってきたので彼にポケットに入っていた80円ほどを手渡しすると、学校へ帰っていきました。現地で安い袋水は5円、ペットボトル水は50円程度。
サッカーを通じて繋がる、と言いますがこうした事も起きて色々と考えさせられます。
大学1年生の時、インドでサッカーした際は、1人が試合中にポケットに入っていた僕の財布を指差し、「試合はいいからその金をくれよ!」と言われた事もあります。
あれだけ熱狂を共にした子供たちに何かできればと、サッカーボールをマーケットで買って、後日寄贈しました。
寄贈した際の校長先生の、「なんやねんお前」という表情からも色々考えさせられました。いや、僕が考えすぎかもしれないです。
寄贈したボールは現在その学校で使われているようで、サッカーをした際に動画を撮ってくれた先生がwhatsappで写真を送ってくれました。その写真を見て温かい気持ちになりました。
3.「水を買ってくれ」 突如、全員から駆け寄られる
最後のエピソードが、ガーナの首都・アクラでのストリートサッカー。
ここで、僕が「衝撃的」と表現することが起きました。
アクラには日曜日に到着して、中心にいるはずなのに街の活気がなく、人に話を聞くと「日曜日だから」という事でした。
月曜日から土曜日までマーケットが栄え、日曜日は基本みんな休んでいるとのこと。
そんななか、マーケットがあるはずの空き地で6コートくらいでサッカーをしている人たちの姿が。年齢は同じくらい。この時には、考えるより先に体がコートへ向かっていました。
本物かどうかはわからないがナイキやアディダスのシューズをみんな履いていて、その他のストリートサッカーをしてきた地域の人よりも生活水準が高いように見えました。
確かに、乗合バスひとつとっても、クマシで40円ほどで移動できていたところがアクラでは70円ほどかかかって「え!?」となるようなことが多く起きていたので、首都の物価高を感じていました。
首都だからか、と彼らの生活水準が他都市より少し高いことを、勝手に身なりから想像していました。20万円のカメラが入った鞄も、仲良くなった青年に預けていました。(真似しないでください)
試合を見ていると、案の定「一緒にやらないか?」と誘ってもらい、参加することに。このグラウンドでのサッカーが、一番荒かった。隣にはゴミ山、大型トラックがあり危険なグラウンドなのにも関わらず、みんな徹底的にやりあう。
さっきまで談笑していたもの同士が削り合う様からは、彼らのエネルギーをありありと感じました。
ここでも2時間ほど汗を流し、喉が渇いたので5円の袋水を探すことに。少しグラウンドから離れた所に、頭に袋水を乗せた商人がいたので、5円の袋水を買おうとした所、一緒に試合をしていた人たち12人ほどが一斉に駆け寄ってきて、承認の頭から水を全てとってしましました。そこには50円のペットボトル水も含まれています。
当然、商人の女性が困った顔をして怒っていると、彼らは僕の財布を指差し、
「そこから払え!」
と当然のように言うのです。水をとったメンバーの中には、僕が鞄を預けた青年もいました。
彼らが僕の方向に水を求めて走ってくる速度と、商人の頭から取る速度が尋常ではなく、本当に言葉を失ってしましました。
ガーンという衝撃でした。
仕方なく、僕が彼等の水、全額を支払いました。(320円ほど)
そして、何事もなかったかのように彼らは試合に戻っているのです。僕にも何事もなかったように接してきます。
確かに、彼らが全く水を飲んでいないなあと感じていましたが、金額面で「買うことが難しい」とは想像もしていませんでした。
日本で生活していると、100円の水を購入することはそう難しいことではありません。
アフリカでは日本での日常がいかに恵まれているか、感謝する機会が本当に多かったのですが、この体験を通していかに自分が恵まれた環境で育ってきたのか、感じさせられました。
この時「鞄を預けた青年」とはwhatsappを交換したのですが、クリスマスのには、「プレゼントが欲しい」とメッセージを送ってきました。
以上ストリートサッカーの経験を書きましたが、改めて現地の人との交流を通して、さまざまな価値観と出会えるのは旅の醍醐味だと感じます。
普通に観光地を巡り、ショッピングをして、ホテルに泊まる観光では、現地の人の価値観に触れることはできても、そこまで深くそれについて考えたりしないのではないでしょうか。
1人旅するからこそ、偶発的な出会いが生まれ、予期しなかった学びや刺激があります。そういった経験が僕は大好き。
ストリートサッカーはまさに自分にそれらを与えてくれるし、改めてサッカーをやっていて良かったと思います。
今後も、1人旅やバックパッカー旅に行きたくなるような発信をしていきたいと思いますのでよろしくお願いします!今日はここまで。
田代蒼馬 Soma Tashiro