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在り方

いつも僕と会ってくださっている、動画を見てくださっている、
このNoteを見に来てくださっている皆様、いつもありがとうございます。

僕が最近考えていたことをちょうど言語化してくれている本に出会い、
全ての人に伝えたい内容だったので、すぐにNoteに起こそうと思い、
今、筆を走らせています。

早速ですが、本題に入ります。

  • 前段

  • 在り方とは

  • 正しいか正しくないかではなく、美しいか美しくないか

  • 絶対に逃れられない自分という存在

  • 最後に

前段

自己紹介が遅れました。
僕はBeingコーチSOMAというYouTubeチャンネルを運営している、
相馬一輝と申します。

BeingコーチSOMAのYouTubeの中では
「どうあるべきより、どうありたいか。」を自らが体現し、
1人でも多くの人が同調圧力から抜け出し本気でやりたい事に熱中できる世界を創るということを目指して発信しています。

どうあるべきよりどうありたいか

前提としてこの言葉の解釈ってめちゃめちゃ難しくて、

①社会における「どうあるべき」でありたいというパターン
②どうありたいか?を言語化しても結局はべきが勝っちゃうパターン

など言葉で心のままに生きようぜって話しても
なんだかんだ難しかったりするのが現状かなと思っています。

在り方という本との出会い

実際に僕も経営者とラクロスとYouTubeの全てを頑張ろうと思っている中で
「どうあるべき」の風に何度も飲み込まれそうになっています。

そんな時Amazonで何か良さそうな本を探していて見つけた本が、
この「在り方」という本でした。

今回読んで衝撃が走った本

「どうあるべき」と「どうありたいか」の言語化を明確にできていない状態だった僕にマジでぶっ刺さりました。

在り方とは

結論から言います。
この本における「在り方」の定義は、

「こうありたい!と願う思いから生まれる物事のあるべき状態」

と定義されています。

ん?「~したい(want)」と「~すべき(have to)」が混同してないか?
と思った方。僕も最初そう思いました。

しかし読み進めた先にめちゃめちゃ腹落ちする言葉あったので、紹介します

「在り方」とは自分の中の美意識である。

それは全てあなたの主観に依存している。

「正しいか、正しくないか」ではなく「美しいか美しくないか」

訳わからんすぎてここで離脱しようと思った方がもしいたら、
もう少しだけお付き合いください。

在り方とは自分の中の美意識である。

まず美意識とは何か?について話す必要があると思います。
僕の解釈は「美しいと感じる主観的な意識」だと思います。

例えば僕は東南アジアの国々の接客が大好きです。

・店に入っても客が入ってきても普通に触りながらスマホを触っている
・会計の時だけマジで嬉しそうに感謝してくれる

無駄に頑張ってますよ!と見せない所や、
良い意味での人間らしさがにじみ出ている(=美しさ)を感じています。

ただ、これを「けしからん接客だ!」と思う人もいると思います。
(良/悪ではなく、この方は日本式の接客に美意識を持っているだけ)

また美しい景色/汚い景色/どちらからも「美」を感じる人もいると思っていて、それは全て自分の中の美意識が決めているものです。

映画を見て感想を出し合った時に差異があるのも各々が美意識を持っており、それは全て主観に基づいているからです。

「正しいか、正しくないか」ではなく、「美しいか美しくないか」

結論から言います。
今の人は「正しいか、正しくないか」で意思決定をし過ぎています。
だから自分の在り方が定まらないという状態になっているということも、
ここでお伝えしておきます。

そもそも、「正しいか正しくないか」と「美しいか美しくないか」の差分は何なのか?

主観的な美意識に基づいているか、

客観的な美意識に基づいているか

これが違いです。

※下記の文の〇〇の部分を「自分」か「一般」の違いです。
「この選択は○○的に美しいのか、美しくないのか?」
「この行動は○○的に美しいのか、美しくないのか?」
「今の自分は○○から見てかっこいいのか?かっこ悪いのか?」

特に僕は一番下の文が死ぬほど刺さりました。

「今の自分は自分から見てかっこいいのか?かっこ悪いのか?」

絶対に逃れられない自分という存在

「自己肯定感」という言葉があります。
有難いことに、僕も人とお話させていただいた際
「相馬と話すと自己肯定感上がるわ!」というお声をいただくことがあります。

この本を読んで気づいたのは、恐らくこの言葉をかけてくださる方は
既に主観的な美意識に基づいて行動している方なんだなと思っています。

なぜなら自己肯定感を他人が上げることは不可能だからです。

自己肯定感という言葉は、
自分の中の美意識に基づいて自分で行動している人が持てるものであって、

客観的な美意識に基づいて行動している人が持っているのは、
他己肯定感だからです。

何が言いたいかというと、「自分の主観的な美意識とは何か?」を理解しないと、自己肯定感は上がりづらいということです。

僕は早起きが大好きです。

これって正しいか正しくないかという判断軸で見ると、
どっちでもいいと思います。(別に早く起きようが遅く起きようが関係ない。)

だけど僕の中では、
「朝をマックススピードで開始し、毎日昨日の自分を超え続ける。」という
美意識が働いているので、仮に寝坊して朝を遅くスタートしてしまうと、
マジで自己肯定感が下がります。

(※そうならないようにセルフトークを工夫していますが、その話はまた今度)

「こうありたい!と願う思いから生まれる物事のあるべき状態」

冒頭のこの言葉に当てはめると、

こうありたい!:
毎日昨日の自分を超え続ける成長がしたい。
生まれた物事のあるべき状態:
成長時間を確保するために毎日早く起きなければならない

これを僕は「自分との約束」と呼んでいます。
早起きをすることは自分との約束なんです。

それを破ってしまった時に誰が責めてくるわけでもなく、
一番責め立ててくるのは自分自身なんです。

そう、自分からは絶対に逃げられないんです。

最後に

「どうあるべきよりどうありたいか」
「正しいか、正しくないかより美しいか、美しくないか」

言葉は違くても伝えたいことは同じで、

自分が心から美しい(やりたい)と思ったことが正しい


ということです。

客観的な美意識や他者がどう思うかってマジで関係なくて、
本気で心から自分が達成したい事を達成する。ここに僕は美しさを感じます。

それを持っている人が在り方が整っている人。(かっけぇ人)なんだと思います。

目標を達成したい。こうありたい!と思っている方は、


「こうありたい!と願う思いから生まれる物事のあるべき状態」

を定義してみてください。

それは自分との約束です。

こうなりたいと思った時に、何も行動変化せずになれるなら、
全員なってます。

僕も今頃大谷さんになってます。

だけど、そうじゃない。そんな甘くない。

行動変化しないと現実は変わらないです。

自分が心から美しいと思ったところに挑戦する2025年にしましょう。


在り方 BeingコーチSOMA 相馬 一輝

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