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ワークショップ回顧録『織田信長と千利休とラグジュアリー戦略』

mirumeは、「CHA-NOVATIVE Cafe & Store」を掲げる、新しいお茶を提案する日本茶専門店です。「朝ボトル」や「フルサポートでお客様に淹れていただく日本茶カフェ」など、今までにないサービスやご提供方法で新しいお茶の魅力をお伝えしていきます。

おはようございます。
mirume店主の松本です。

ときどきワークショップをやっているのですが、備忘録のためにも今日からダイジェスト版をnoteに残していこうと思います。

この記事では2023年4月にオフィス家具などを取り扱う株式会社オカムラ様本社で開催したワークショップについて書こうと思います。

では早速始めます。当日配布したPDFを添付するので必要に応じてダウンロードしてもらえたらと思います。


今回のワークショップの目標

今回はオフィスでのワークショップだったため、せっかくなら「役に立つ」お話もさせていただこうと、お茶の話だけでなく、お茶とビジネスの関係についてもお話をさせていただきました。

今回、内容を「座学」と「体験」に分けました。
座学では、『お茶の話』と『お茶をビジネスに活かした歴史』についてや、『お茶業界の課題』について触れました。
体験の部分では、お茶の価格差を実感しながら飲み比べてもらい、最後はお茶とお茶請けの組み合わせを楽しんでいただきました。

座学の様子
価格別の飲み比べの様子
ペアリングの様子


織田信長と千利休と命の重みと価値

言わずと知れた「織田信長」と「千利休」ですが、彼らが非常にビジネス的視点に長けていたことが語られること少ないかもしれません。

織田信長は「部下が茶器のために命を賭ける」という“熱狂”を生み出し千利休は「お茶業界のインフルエンサー」として、『わびさび』などと言いつつも「利休オリジナル茶杓(ちゃしゃく※抹茶をすくうさじ)」を売って大儲けをしていました。

なぜ人は命を賭けるほどに茶器に“熱狂”したのか

不思議に思いませんか?
信長以前は「戦で活躍した報酬は領地」でした。つまり戦で活躍すれば、自分が支配する土地がもらえたわけです。
しかし信長は自分の領地を減らしたくなかったため、領地ではなく「茶器」を戦の報酬として渡すようにしました。

現代の私たちからすると、「土地 → 茶器」への変更は価値が大きく減少しているように感じるかもしれません。しかしながら、なんと当時の人はこの「茶器」に人々は熱狂したのです。

茶器がほしいがために、危険を冒し、命を賭けました。

これは圧倒的権力と圧倒的知力を持った信長の巧妙な作戦でした。

インフルエンサー“千利休”

千利休は、「茶の湯」を“おもてなし”に昇華させたと言われています(織田信長が「茶の湯」政治利用しようと考え、千利休を重用した)。当時は、茶の湯といえばいわゆるティーパーティーのようなものでした。みんなで集まってお茶を飲みながらビジネスや政治の話をする。それが茶の湯でした。
しかしながら、千利休は類稀な頭脳を活かし、「おもてなし」の文化をつくっていきます。

時の偉人、織田信長に重用され、千利休はどんどん影響力を持っていきます。そして、大阪堺市の魚問屋の息子から、日本の千利休へと大いなる出世を果たします。

余談:『やるじゃん!千利休』エピソード

「朝顔」の逸話があります。秀吉は、利休の屋敷の露地に美しい朝顔が咲き乱れているという噂を耳にし、朝顔の茶の湯を所望しました。当日、秀吉が利休の屋敷を訪れると、庭の朝顔は一株残らず引き抜かれて、何もありません。あっけにとられながら茶室に入ると、床には見事な朝顔が一輪だけ入れてあり、これには秀吉も『やるじゃん、利休。』と大いに感心したという話です。利休の大胆な趣向ですが、美しい朝顔をたくさん見せるのではなく、その中からよりすぐった最高の一輪だけを見せたというところ、おもてなしと粋の美学を感じます。

『茶話指月集』

高価格で売る方法


千利休は影響力を持つと「日本初のブランド茶器」をつくりたいと考えました。
当時は舶来品と言われる中国などから入ってくる茶器が高値で取引されており、それが利休は悔しかったのです。
そこで影響力を持っていた利休は、まずは世界観からつくりました。
それは『暗くて狭い部屋で、黒い茶器で飲むのが良い』という世界観でした。当時の天皇陛下に献茶し、織田信長に重用されている千利休です。
当然、千利休の一声でこの価値観が浸透しました。

さて、ではここから。
千利休はどのようにしてオリジナルブランド茶器を超高価格で売ったのか。

超高価格を提示して、“売らない”

千利休は、自らの茶器に超高価格を付けました。
しかし「その器がほしいんです!高くてもいいから、あなたの言い値で買います」という人が現れても、けっして売りませんでした。

……ふつう売ってしまいません?
破格も破格。ボッタクリもボッタクリの金額をつけて、売らないんです。

利休はもっと未来を見ていました。

では、この「売らない茶器」をどうしたか。
『センスが良い』と有名な武将に「無料で」プレゼントしたんですね。
そうすると噂が広まります。「あのセンスが良い〇〇さんが持っているらしい」「やはりセンスの良い人は持っているものが違う」「やはりあの茶器は価値のあるものなんだ。くそーなんとしてもほしい!」。

これも利休の計算どおり。

利休はこの噂が充分に広まり、「あの茶器がどれほど高くてもほしい!」という人が相当数増えた段階で、ついに発売しました。
人々の「ほしい」という欲求を膨らませて膨らませてしてから発売されたその商品は、超高額にも関わらず飛ぶように売れたそうです。

高価格で商品を売るためには、このように「すぐに売らず」に人々の欲求を溜めてから発売するのが良いのかもしれません。

織田信長がつくった“熱狂”の正体

織田信長は、部下に茶器のために命を賭けさせました。
しかも、部下も茶器に“熱狂”していました。

さてこれはなぜでしょうか。

添付の資料を見てもらうと分かるかもしれません。
織田信長が行ったこと。それは、

  • 日本中の茶器を買い占めた

    • 茶器の持ち主になり、手持ちの茶器に超高価な価格をつけた

  • 茶会を開ける者を制限した

    • 「限られた者しか開けない茶会を開きたい「茶会を開いて、私が持っている茶器を見せびらかしたい」そう思う者が増えていった

信長は「戦で活躍をした者に茶器を与えた」とお伝えしました。
しかし上記を考慮すると、『戦で活躍をして茶器をもらっても、茶会が開けないことには見せることができない』ということが想像できます。

やっとの思いで、命を掛けて手に入れた茶器を誰にも見せることができないのです。やはり時代の超有名人・織田信長からもらったものは、見せびらかしたいのが人間ではないでしょうか。今ならSNSにアップできるかもしれません。でも、当時は茶器を公式に見せられるのは茶会だけ。
しかしその茶会を開けるのは、たった4人だけ。

豊臣秀吉は、織田信長から茶会を開く許可をもらった際には、号泣したという記録もあるほど、当時の人にとって茶会を開くことは重要な意味を持っていたのです。

この“熱狂”を数式にしてみます

『認知度 ー 普及度』=熱狂

この『認知度 - 普及度』の意味するところはつまり、「『たくさんの人が知っているけど、それを持っている人は極少数』の時に熱狂が生まれる」ということを意味します。
※「ラグジュアリー=熱狂」としています

この内容は『ラグジュアリー戦略』という本に書かれています。
※だいぶ翻訳が読みづらいので読むには根気が必要です

千利休は「有名武将に茶器を渡し(認知度の向上)、それを売らない(普及度を下げる)ことで茶器の価格を爆発的に上げました。

織田信長は「自分の影響力を活かして認知度を高め、徹底的に茶会の制限を行い、有名な茶器を買い占めることで普及度を下げ、茶器や茶会の価値を爆発的に上げました。

『買えない人を増やすこと』が熱狂を生むコツ

売り切れた商品を宣伝したり(「こちらの商品が売り切れましたー!」とSNSに投稿するなど)、認知度が一定以上になった段階で限定生産にする(枚数限定だけでなく、地域限定販売なども含む)など、買えない人が増えるほどにその商品の価格は上がります。

どこでも、誰でも、何にでも使えるものではありませんが、この感覚を持っておくともしかしたら使える日がくるかもしれません。

ワークショップ後半

ワークショップ後半は、日本茶業界の現状をお伝えし、弊社の取組みをお伝えさせていただきました。

2枚目の『日本茶の現状』をご覧ください。
60代以上が消費の半分を占めていることが分かります。そして、さらに「年齢に比例して消費量が増えている」ことが分かります。つまりこれは、「若い人ほどお茶を飲まない」ことを示しています。

つまり、お茶というのは『20年後を考えると絶望的な産業である』ということが分かります。

格式を下げずに、敷居を下げる


お茶農家として生まれた私は、『茶畑を残したい』と思っています。
お茶で儲けるとか、そういうことではなく、『次の世代に繋ぐ』ことが私の使命だと感じています。

だからこそ、もっと若い人がお茶に親しめるようにと、愛知県名古屋市那古野という街に『mirume』という日本茶専門店をつくりました。
『mirume』とは、お茶業界の用語で「若い芽」「上質な芽」を意味し、「若い人にも本格的な日本茶を提供し、興味を持ってもらいたい」という思いが込められています。
ありがたいことに、『mirume』には「急須を初めて見ます」というお客様も少なくありません。これは本当にありがたいことだと感じています。
今までお茶に興味がなかった人が、何かのキッカケで『mirume』に来店し、「美味しかった」と言って帰っていってくれる。
興味を持つ1つのキッカケになれるなら、こんなに嬉しいことはありません。

最後はお茶を飲みながら、お菓子を食べながらワイワイ



今回は、2023年4月にオフィス家具などを取り扱う株式会社オカムラ様本社で開催したワークショップについて書かせていただきました。

『mirume』では日々お茶のことをお伝えしながら営業しておりますので、少しでも興味を持っていただけましたら、ぜひご来店くださいませ。

お会いできるのを楽しみにしています。


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