真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!
そういえば活字に触れないという一週間が終わった。
やってみて思うことは、活字に触れないということよりも、いかに創造性を引き出しているか?ということに意味があったと思う。
僕たちは生きているだけで、いろんな情報が目まぐるしく行き交っている。
つまり、インプット過多だと言いたいのだなって思った。
そう思うと、このワークの狙いは如何に暇にさせ、その暇になった時に一体何をするのか?ということに注目することが大切だったということだろう。
今回はそのインプットと創造性について話していこうと思う。
インプットがあると創造性が湧かない
インプットをしていると、自分で何かを生み出す力が弱くなるというのは間違いないなと思う。
アウトプットのエネルギーを残そう
活字を読まないというワークの本質はインプットを遮断することにあった。つまり、本を読んだり、Youtubeを見たり…などだ。
何かインプットをしている時、多くの人は満足してしまう。
そして、インプットするというのは多大なエネルギーを消費してしまっている。
何かを生み出すための余力を残さずに、インプットですべてのエネルギーを使い果たしてしまうのだなと感じる。
パソコンは活字の集合体ではなく、アウトプットの道具
僕の場合は、活字を見ないということで、パソコンを遮断しようとした。
しかし、創造性を引き出すには僕の場合、パソコンが必須なようで、パソコンを遮断されると苦しかった。
絵を描くには紙とペンが必要なように、同じように創造性を生み出す道具としてパソコンを使っているということだろう。
僕の場合はなくてはならないものだったと気づいたのは、このワークで良かった点だ。
大事なのはインプットの道具としてではなく、創造性の井戸を掘れるかどうか
僕の場合はパソコンをインプットの道具として使っていない。ほとんど創作活動に使っていることが分かる。
たとえば、バナーを作ったり、チラシを作ったり、資料のテンプレートを作ったり、ブログを書いたり、Youtubeを作ったりだ。
見たり、聞いたり、読んだりのためには、パソコンを使っていないのだ。
逆にスマホは見たり、聞いたり、読んだりがメインだった。
特に創造性を邪魔するのはSNSの時間。スマホの見る時間は劇的に減った。
スマホは便利で素晴らしいデバイスだが、これを止めるだけで大きく自分の創造性が花開く可能性がある。
そう感じる一週間だった。
手持ち無沙汰になる時に創造性が湧く
本当に大事なことは『暇だ』と感じることだと思う。
日本人にとって「暇というのは悪いこと」というイメージがあると思う。でも、本当に大切なのは暇だと感じられる瞬間そのものであると、終わってから思う。
なぜかというと、暇でなければ自分の本当のやりたいことにフォーカスできないからだ。
何かをやりたい!と漠然と心の中で思っていても「あれをやらなきゃ」「これもやらなきゃ」みたいに何か忙しなく、心に余裕がない状態だと思いつかなくなってしまう。
「本当は何をやりたいの?」みたいな問いかけを自分自身にしなくなってしまうのだと思う。
「仕事があることは良いこと」という言葉でなく、「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」というタモリさんの言葉をここで思い出す、今日このごろであった。