仕事を始め,辞めて今ここにいることについて。
思ったより、強くないな自分。
これが一番、自分が就職してみて思ったことかもしれない。
直感と感覚、印象の良さで20数年生きてきた私にとって、『会社』というのは全く違う社会で、違うルールで動いている世界であるという事を思い知らされ、自分らしさとか自分らしく働くというよりもその世界のルールを学ぶところから始めることになった。
そこまではいいものの、自分はなかなか思うように適応できない上、会社は悠長に成長を待ってくれるほど余裕はなかった。焦りはつのり、優秀な上司にも苦労させていた。社長は私を怒鳴るようになり、そのぶつけられた感情に対してどう処理して良いのか分からなかった私は、子供のように泣きじゃくることが多くなった。
黙々とストレスに耐え鬱になるまで働き続ける人がいるが、私はどちらかと言うと感情のシャットアウトができず、すぐに悲しみとして感情を出してしまうような人間であることに気づいた。負の感情をぶつけられると、こちらも負の感情で一杯になってしまい冷静な判断ができなくなる。言葉はしどろもどろになり、結果堪えきれず泣いていた。最後の方は何かあるとすぐ泣いていた。まるで水の蛇口が狂ったようだった。
11月から翌年3月まで働き、仕事を辞めた。辞めてからもしばらくの間はふとした時に記憶がフラッシュバックし、いつでも涙を出せた。この時期はたまに女優になれるんじゃないか…?と思うほどだった。(なれない)
二週間、鹿児島に帰った。
故郷の友人と宮崎にドライブし、一人で屋久島に行き最高峰の宮之浦岳に登った。朝カヌーしたり、夕日を眺めた。ボーッとしながらもふと涙が流れたりした。
宮之浦岳の登頂翌日、朝の10時くらいに全身筋肉痛の体と、疲労感と達成感を感じながら、コーヒーを飲みつつ海を眺めて日記を書いた。毎日働いていた日々にこんな豊かな朝を迎えられる可能性が秘めていたことに気づかなかった。自分は豊かな人生を選択していなかった。こんなに近くに、そばにあったのに。波を聞きながら、久しぶりにほっとしていた。やっと、ほっとできた、と思った。
その後、東京に帰りアルバイトを始め、少しずつ回復している自分がいる。もしかしたら自分らしく働ける場所は東京じゃないのかもしれない。元々田舎育ちの自分だし、都会の環境に慣れていない。いつの間にか日々ストレスも溜まっている。
でも今はもう少しだけ、考えたい。時間が欲しい。東京で。いつになるか分からないけど、でもきっと私の居場所はあるかもしれない。
そう思いながら少しずつ日々を過ごしている。