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おすそ分けからは故郷の匂いがする_210518

「おかえりー。このコンテナに入っとるんは傷もんやから、いくらでも持っていき」。

みかんの収穫時期になると、あちこちにある選果場や作業所のそばを通る度に、こんな声が飛んできた。

(傷もんとは、傷や凹みがあり、売り物にはならず家庭消費に充てられるもののこと)

小学生の私は、片手に習字セット片手にみかんがどっさり入った袋を持って。中学生の私は、自転車のカゴに入るだけのみかんを詰め込んで、帰宅したものだ。

鍵がかかっていない玄関の内側に、掘り立ての筍や採れたてのお米が名無しで置かれていて「結局誰がくれたんやろ」と美味しくいただいたことも、一度や二度ではない。

こんな生活が当たり前だったからか、実家を離れ都会での暮らしが長くなっても尚、私はおすそ分けが大好物だ。

旬のものをもらう・あげるという行為は、料理好きには幸福でしかない。でも、それだけじゃない。

「どうぞ」「ありがとう」から広がる何気ない会話の積み重ねで、少しずつ距離が近づいていく、あの感じが好きなのだ。

東京はいつまでたっても居候先みたいだけど、おすそ分けができる相手がご近所にいると、ここが自分の故郷のような気がしてくる。

「おはようございます。朝から突然すみません。トマトお好きですか?」
「もちろん!あ、そっちは夏みかん?主人が大好きなのよ!嬉しいわ」。

ここに住むようになって3年目。階上に住む大家さんの好物を知って、心の真ん中がぼんやりあたたかくなった、雨の火曜日。


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