maho ise
jackさんの呼びかけにより集まった15人が、1か月間ブログを書こうというチャレンジ。
生まれ故郷であるスペインはアロラに、父と娘で旅をした7日間のあれこれ。
忘れたくない日々の出来事を徒然に。
私たちは毎日何かを食べている。そして、その食べ物には思い出が潜んでいる。 食べ物をめぐるあれこれを、毎週月曜日に少しずつ公開。 基本的にはinstagramからの転載で、タイトルの日付はinstagram公開日です。 *料理は私が調理したものです
引っ越しが迫ってきている我が家。 家の片付けをやらなければと、先週の日曜日は、 オットとムスメが夏のような陽射しの下で、 テラス(と隣接する空き地)の草抜きに精を出していた。 「ゆうえんちにいきたいな」と言っていたムスメだったが、 親の都合に付き合ってもらうことに。 かわいそうだったが、ふかふかの土を裸足で踏みしめたり、 転がったりと、随分楽しんでいたようで、良かった。 お昼ご飯だけでも「ピクニック気分で」と、 私は草むしりには参加せず、おむすびに唐揚げ、冷たいミニトマ
2月29日(晴のち雨) 1ヶ月間(29日間)のブログ書くぞチャレンジは本日で終了。最後の日記はどうしようかと考える。 私は現在44歳で、27歳の時に母を亡くした。当時「20代でお母さんが亡くなるなんて早いよね、大変ね」とよく言われたが、この年齢になってくると近い人を亡くす経験は珍しくない。父母ともに亡くし結婚はしていないという知人友人も多くいる。 その人たちを助けることなどできないが、今年の1月に家族だけで行った17回忌の法要で、私なりに何かできないかと考え文章を書いた
2月28日(晴) 昨日の夜、年間プロジェクトにライターとして参加して欲しい旨の連絡(いわゆる、合格通知)が届いていた(嬉)。エントリーシートが通過すればエッセイなどの事前課題があり、それらが通過したら面談があるという流れ。今月初旬の面談を終えての、返事待ちだったのだ。 実はエントリーシートの締切当日(締切まで後5時間というタイミング)にその募集に気づき、今自分が応募すべきだ!と感じるものがあった。ので、朝5時から一気にエントリーシートを書き上げたという経緯があった。 面
2月27日(強風・突風) 久しぶりに仕事(今日は原稿書き)に集中できる日。 いつも通り朝6時前に勝手に目が覚め、6時にベッドから出て、朝食の準備。 通常は保育園の送りはオットが担当し、迎えは私という分担だが、今日はいつもより早く家を出るとのことで私にバトンタッチ。8時には家を出た。 今週後半戦の買い物をしたいため、8時半に保育園から出て近くのドトールコーヒーへ。スーパーの開店時間(10時)まで集中して原稿にかかる。結局10時半まで仕事をして、スーパーへ。14時~16時の
2月26日(強風) 「何歳になっても始まるんですよ」このフレーズを明るい声で言われて、げんなりした午前中だった。今後の自分のためにも、調べながら整理しておきたい。 なかなか咳が治らない、強めの抗生物質を3日間処方されたがそれでも治らない。という訳で、ご近所だけれど普段はなかなか降りることのない駅前の呼吸器内科へ。問診の後すぐさま6つの検査を行うことになった。 ①【レントゲン】:内部の様子を知る画像検査法の一種。 ②【ECG12】:心臓の電気的な活動の様子をグラフの形に記
2月25日(雨、引き続き極寒) この春で年長さんになる子を持つ友人たちが「ランドセル選び」の真っ只中にいる。私の界隈では土屋鞄が人気で、金額にして85,000円ほど。「高いねぇ」と言うと、よくわからないチャームがついているファンシーなものや、戦隊モノとのコラボのような「誰が選ぶの、、、」なものであっても60,000円はする世界のよう。今のところの結論は、だったら20,000円高くてもいいよねぇ、、という感じだ。 で、ここからが本題。親の素敵という感覚が絶対ではないけれど、
2月24日(晴) TBSラジオに「となりの雑談」という番組がある。コラムニストのジェーン・スーさんと雑談の人・桜林直子(さくちゃん)さんがただただ話すというものなのだが、タイムリーにではなく、まとめてSpotifyで追いかけている。 いつだったかのテーマに、「自分の中に⚪︎⚪︎(誰か)を飼う」というものがあり、その時にさくちゃんは平野レミさん、スーさんは輩を飼うと言っていたと記憶している。それは自分が悩んだり迷ったりした時に、自分の中のその人に聞いてみるというもの。自分の
2月23日(雨のち曇) ようやくようやく映画『PERFECT DAYS』を、オットと鑑賞。 久しぶりの夜の六本木とあって、映画の内容云々の前に、非日常感がすごかった(ムスクとタバコの香りがする男性が隣に)。 この映画は通常の映画作りと異なる。 簡単にまとめると、ユニクロ取締役の柳井康治さん(ユニクロ創業者の柳井正さんの次男)が、個人のプロジェクトとして、渋谷区にある17箇所の公共トイレを生まれ変わらせようと、有名建築家に設計を依頼した改装プロジェクト(THE TOKYO
2月22日(雨、とにかく寒い) いつもなら節分の日に行っている、恒例行事「味噌仕込み」の準備を、遅ればせながら始めた。節分の日が味噌仕込みの日になったのは、味噌をつくりはじめた時に住んでいた京都の家(せっかくなのでトップの写真に)が、節分で有名な吉田神社の麓にあったからだろうか。寒さのピークが、その頃だったからかもしれない。 5家族ほどで集まって仕込んだのだが、味噌までつくる食いしん坊だけあって、みんなが持ち寄ったおやつの美味しかったこと!お手製の月餅もあった。 そして
2月21日(雨、冬が帰ってきた) 去年からずっと「やりたい、やろう」と考えていながら後回しになっていた、スタジオ借りをようやく実現。 アップライトピアノがある音楽室を30分単位で借りるというもので、1時間利用してみた。 私は3歳から19歳までピアノを習っていて、毎日1時間の練習を欠かさなかった。週に1度のレッスンは、車で片道40分ほどかかる先生のお宅へ、母が送り迎えを担当してくれていた。18歳の大学受験(現役)の時には、2次試験でピアノなどの実技がある教育学部の音楽科を受
2月20日(晴) 「ひとりでやっていたらアブナイひとに見えるけれど、子どもと一緒なら微笑ましく見られるという不思議」のひとつが、歩きながら歌うことだと思う。 イヤホンで没入して、自分の声の音量が分からなくなっているが故の熱唱ほど、恥ずかしいものはない(私もきっとやったことがある)。でも子どもと一緒なら「じょうずね〜」とか「いいお歌ね〜」といった具合に、平和な時間になる。 で、例に漏れず、私とムスメも、保育園を出てから家に辿り着くまでの間、お喋りをしたり月や星を探したり、
2月19日(強風) 自慢できることではないが、ムスメが初めて歩いた日のことも初めて喋った日のことも、いつだったか覚えていない。 そんな私でも絶対忘れないし忘れたくない出来事があった。1日遅れだけれど、書き留めておきたい。 昨日の23:30頃、寝室で、家族3人が揃っている状況でそれは起こった。 いつもよりもかなり遅い「おやすみなさい」。じいじばあばの家から帰ってくるのも遅かったが、何より寝るタイミングでパパがいることが嬉しくてならないムスメは、寝室に入ってからも絵本タイ
2月18日(晴) 「仕事の報酬は仕事」というタイトルのブログを、 #1か月ブログ書くぞ 仲間の長谷川さんが書いていたことで、改めて思うこと。 私は、組織人事系のコンサルタント会社勤めから独立して、フリーランスのライターになったため、どうやって仕事を得たのか?とよく聞かれる。 幸運にも、編集者・ライター・カメラマンの友人が多かったことから、「真穂が本気なら」と1本仕事を任せてくれることから始まった。しかも当時は女性活躍推進がビジネス誌の表紙を飾るようなタイミングで、そのテ
2月17日(晴) ここ数年間、ハマっている食べ物がある。 熊本の特産品で、大人の片手にちょうど乗るくらいの大きさで重さはずっしり。見た目は文旦にそっくりな、黄色くてまあるい果物、「パール柑」だ。 グレープフルーツに似た(でもグレープフルーツよりもお高い)メロゴールド一辺倒の時期もあったが、あのジューシーさよりも、わずかにぱさついてる?と思えるような質感が気に入っている。 以来、パール柑一辺倒で、見つけたらついつい買ってしまう大好物になった。 美味しいことはもちろん、
2月16日(大風) 私の父は絵を描いている。今のところは、絵描きとして生計を立てている人生ではないが、高校生の時から現在まで、とにかく絵を描き続けている人だ。 そして、義理の父も絵を描く人だ。 そのふたりに2022年のクリスマスプレゼントとして、柄違い・色違いの靴下を贈った。それは、染色工芸家の柚木沙弥郎さんがデザインしたものだった。当時100歳ながら益々世の中に求められているというすごさ、創作の炎が絶えることのない様、そして何より朗らかでチャーミングな佇まい。ふたりの
2月15日(晴、強風) 私には京都と大阪、東京に行きつけの店がある。ひとりでふらっと訪ねてでも食べたい味や見たい顔がある。 京都のお店は、料理を作りお酒を選ぶだけでなく器選びまで担う大将と、気のいい山本さん(女性)が切り盛りするカウンターだけの小さな割烹。大阪は、夫婦が営むこれまたカウンターだけの小さなお鮨屋さん。東京は、優しいおとうさんとの会話も嬉しい八重山料理と(ボトルも入れてある)、以前にアルバイトをしていた老舗のジャズ喫茶&バーだ。 中でも、西表島出身のおとうさ