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穴禅定と家族

慈眼寺に着いたら、今日、たまたま同行することになったテレビの取材の人達がいたので、あいさつした。カメラマンの女の人と、音声の男の人の二人だった。二人とも若くて、自分の娘と同じくらいの歳に見えた。
あいさつの後、受付に行った。今日はここで、穴禅定という修行の体験をする。穴禅定は、ろうそく一本の明かりだけで、狭い洞窟の中を通り抜ける、という修行なので、太った人は体験できない。受付の前には、幅が25.5cmの一対の石板が立っていて、その隙間が通れることを証明しないと、受付してもらえない。
石板の間を無事に通り抜けて受付を済ませると、外に、背の小さいおばあさんがいた。おばあさんは、会釈をすると、こちらです、と言って歩き始めた。この人が、先達さん、という、洞窟の中を案内してくれる人らしい。
受付から、穴禅定の洞窟までは、ずっと上り坂だった。そんなに楽な道のりではなかったのに、先達さんは慣れた様子で足を進めた。洞窟は思ったよりも遠かった。黙って歩くと間が持たないので、先達さんに話しかけてみた。
「穴禅定の体験に来る人って、どれくらいいるんですか?今日は私だけですか?」
「今日は午前中にも一組来ました」
…。
「さっきの、石の間を通るのって、通れなくてダメになる人っているんですか?」
「外国の方で時々います」
…。
少し早口で、必要最小限の情報だけ返ってきた。話は全然続かなかった。先達さんからは、ようこそいらっしゃいました、とか、今日は楽しんで行ってくださいね、とか、そういう雰囲気は、まったく伝わってこなかった。そっけない対応に、最初のうちは、機嫌が悪いのか、と思った。しばらくしてから、これは観光ではなくて、修行だ、というのを思い出した。こっちは、真っ暗な洞窟の中をろうそく一本で探検するドキドキのアトラクションみたいな気分でいたけれど、それは違う。そのことに気が付いた後は、先達さんの後ろを黙って歩いた。
坂道を10分ほど歩いて、洞窟の前に着いた。先達さんが、穴禅定と弘法大師の話をした。そして、先達さんは、お経を唱えます、というようなことを言って、こちらの様子を確認することなく、お経を唱え始めた。洞窟の入口のところには、ふりがなの入ったお経の書いてある看板があった。とはいえ、初めて見るお経を、先達さんと同じペースでスラスラと唱えられるわけもなく、さぼっているかのような居心地の悪さを感じつつ、黙って先達さんのお経を聞いた。先達さんは、お経を唱え終わると、お経を唱えていなかったこちらのことは全く気にしない様子で、洞窟に入る前の注意事項を説明した。
ろうそくは左手に持ちます。中は狭いから、横向きに立ってください。左が前、足は横に向けて少しずつ進みます。途中、通りにくいところは説明します。一番前の人に説明するので、あとは、それを後ろの人に説明してあげてください。はい、ろうそく。
少し早口の、事務的な説明はすぐに終わった。いろいろ聞きたいことがあったけど、質問を受け付ける様子はなかった。先達さんは、相変わらず、ろうそくを手にただ突っ立っているこちらを気にする様子は全くなかった。先達さんは、洞窟の入口の方に歩いていって、入口の横に置いてある壁掛け時計を手に取った。それから、自分の腕時計を見て、時間を合わせた。時計を合わせながら、この時計は、洞窟から出てきたときに見て、どれくらい時間がかかったか見るためのもので、電池は入ってません、と言った。そして、こちらがそのことに感心する間もなく、さっさと洞窟の中に入っていった。
先達さんの後を追って、洞窟の中に入った。数メートル進んだら、すぐに真っ暗になった。洞窟の中だと、ろうそくの明かりは明るかった。数分も進まないうちに、洞窟が行き止まりになった。ようにしか見えない、岩の隙間がそこにあった。左が前、足は横、とだけ言い残すと、先達さんは、岩の隙間に消えていった。先達さん、さっきから聞きたかったんですけど、足が横、ってどういう意味ですか。そんな疑問を抱えたまま、先達さんが消えていった岩の隙間を見た。普通に考えたら、絶対に入ったらダメなやつだ。こんなところに入ったら、塀の穴に頭つっこんで抜けられなくなった犬みたいになる。でも、先達さんは、普通に行ってしまった。ここは、考えちゃダメなんだ。左が前、足は横。隙間に体をつっこんだ。入ったら、足は横、の疑問は解けた。つま先を進行方向に向けて、足先を体に対して横向きにしろ、という意味だった。岩の間が狭くて、足を置くところが20cmくらいしかないので、そうしないと立てない。ろうそくを左手に持って、岩に体をこすりつけながら、先に進んだ。数メートル進んだら、先達さんの姿が見えた。先達さんのいるところだけ、人が一人立てるぶんくらい、広いスペースになっていた。先達さんは、私の姿を見ると、ろうそくを先に向けた。そこには、さっきよりももっとダメな感じの岩の隙間があった。後ろから、ろうそくの代わりにカメラを左手に持ったカメラマンが岩の間を進む、岩をこする音が聞こえた。先達さんは、後ろの様子にはかまわず、説明を始めた。
「ここは、左足を先に入れて、一回しゃがむ。そのあと、後ろの隙間から肩を通して頭を抜く。それから最後に右足」
それだけ言うと、先達さんは、さっきと同じように、隣の部屋に行くみたいに、岩の隙間に入っていった。先達さんがいなくなったので、岩の隙間から出た。しゃがまないと通れない高さにあるけど、しゃがんでも通れるようには見えない小さな岩の隙間を、左手に持ったろうそくが照らした。後ろの岩の隙間から、カメラマンの女の子が出てきた。先達さんの教えを伝えなければ。
「先に左足を入れてからしゃがんで、後ろの隙間から肩を通して、最後に右足、です」
これを伝えなければ、彼女は先に進めなくなる。必死の思いで伝えたけれど、何を言っているのかは、自分でもよくわからなかった。カメラマンの女の子は、真剣な顔で、はい、と返事をしたけれど、何を言われたのかわからなかったんじゃないだろうか。とにかく、先に進まないといけない。早く行かないと、先達さんが、我々を置いて、先に言ってしまう。そんなわけはないんだけど、あんなにさっさと進まれると、そんな気がしてくる。もしかしたら、あの振る舞いは、我々が恐怖に竦んで動けなくならないようにする作戦なのかもしれない。
腰の位置にある岩の隙間に、左足を差し込んだ。もっと、という声が、穴の向こうから聞こえた。左足を、奥に入れた。そしたらしゃがむ、と、先達さんが言った。腰を落とした。低い位置にある狭い岩の隙間に、体がはまり込んだ。全身が、岩の隙間にはまり込んだ感覚があった。反射的に、動けなくなった、と思った。頭が真っ白になった直後に、後ろから肩を通して、という声が聞こえた。言われたとおりに、左肩を後ろにずらすと、そこには小さな空間があった。さらに腰を落として、下から潜り抜けるようにその隙間に左肩を通すと、知恵の輪がほどけるように、頭が岩の隙間の反対側にするりと抜けた。左足に体重を移して、最後に右足を抜いた。まっすぐ立てる空間に出てこれた。足は横にしないと立てないような狭いところだけど、まっすぐ立てるだけで、広いところにいる気がした。
そこから先も、知恵の輪のような岩の隙間を潜り抜ける修行が続いた。どこも、通れるところはなさそうに見えて、でも、先達さんの言うとおりにすれば、なぜか通り抜けられた。後ろのカメラマンの女の子も、私のつたない伝言を聞いて、頑張ってついてきた。岩の隙間を抜け出た後、しっかりと音声の男の子に先達さんの言葉を伝言するのも聞こえた。
それにしても、先達さんは容赦ない。難関を潜り抜けるときにかけられる声は、てきぱきとした指示と叱咤のやや叱咤寄りで、言われたとおりに体を動かしていないと、瞬時に叱咤が100%になる。先達さんの言っていた言葉をそのまま文章にすると、こんな感じだ。
「お尻下まで落として、頭後ろから下げて、お尻から離して、頭下げて顔こするから、頭下げて、まだ立ったらあかん、まだあかん頭ぶつ!あーたまぶつっ!」
これを、早口でまくしたてられるように言われる。穴禅定は、冒険型の観光アトラクションではなくて修行だ、というのを、洞窟に入る直前に認識したお客さん気分の抜けないチャラチャラ修行野郎には、かなり当たりが強かった。そこそこへこみつつ、50すぎて、人からこんなふうにきつく言われることも珍しいな、と思っていたら、なんだか懐かしいような気になった。なんだろうこの感じ。いつのことだろう、この感覚。…。ああ、そうか。これは、母親に叱られている時と同じ感覚だ。僕はもう50を過ぎたおじさんだというのに、母さんにとって、僕はいつまでたっても子供のままなんだな。
次は、右を下にして体を横にする。それから左手を先に出して、足で体を押す。
わかった母さん。やってみるよ。こんな感じかな。
右を下!
わかってるよ母さん、今やろうとしたところだよちょっと待って。
左手を先!
わかってるって母さん、そんなにきつく言わなくったってできるよ。
こんなことを考えてたら、後ろをついてくる、私にとっては子供のような年頃の若者二人が、まるで自分の子供のような気がしてきた。
いつまでも子供だと思っていたのに、いつの間にか立派な社会人になって、カメラマンや音声の仕事がちゃんとできるようになっていたんだな二人とも。いいか娘よ、ここは、右を下にして、体を穴に入れたら、足で体を押すんだ、わかったな?おばあちゃんがそう言ってた。穴の向こうから、ハイ、という素直な返事が聞こえた。そのあと、穴の向こうから、カメラを持った左手が現れて、お父さんちょっと持ってて、と言われた。いや違う、すみませんちょっと持っててください、と言われた。おばあちゃんは、少し広くなった洞窟の向こうで、黙ってこっちを見ていた。カメラを持って待っていると、小さな岩の穴から、這うようにして娘が出てきた。そして、穴の向こうにいる兄に、右を下にして、と伝えていた。小さい頃はケンカばかりしていたのに、ちゃんとお兄ちゃんのことも気にかけられるようになったのか。そんな感慨にふける私をよそに、母は、孫が先に進めそうなことを見たら、黙って先に進んでしまった。昔から、しっかり者で、不器用な母だった。
穴禅定は、自力で進めるところはほとんどない。少し進んでは、母から叱咤され、岩に体をこすりつけ、かがんだり、横になったりして、岩の隙間を通り抜けた。そして、無事通り抜けた後、頑張る子供たちの姿を見守った。先達さんも、テレビの人達も、途中から私がそんな変なことになっていたとは知らないだろう。
穴禅定の洞窟の一番奥は、小さな部屋くらいの大きさの空間になっていた。突き当りのところに、ろうそくを立てる台があって、その奥の上の方に、石でできたお地蔵さんのような、素朴な弘法大師の像があった。先達さんが、岩をよじ登って、石像の前のろうそくに火をつけた。振り返ると、先達さんはこう言った。
ろうそく一本につき一つ願い事ができます。ろうそくは一本百円です。
そう言った先達さんには、母の面影はなかった。ここまで世話になったのに手ぶらで帰るのも申し訳ない、と思い、ろうそくを一本お願いした。先達さんは、台にろうそくを立てて、火をつけた。そして、名前と願い事を言ってください、と言った。その瞬間、先達さんが母さんになった。どうやら、何か言い付けられると、先達さんは母さんになるらしい。
願い事、と急に言われても、何も出てこなかった。ツーリング中に神社仏閣をお参りした時の願い事は、ツーリングが無事に終わりますように、と決めてあるけれど、苦労してここまで来たのに、その願い事は小さすぎる気がした。もっと大きいもの、と思ったときに、頭に浮かんだのは、世界平和、だった。冗談ではなく、本当にそう思った。でも、こんなこと言ったら、ふざけるんじゃない、って母さんに叱られる。えーと、じゃあ、とりあえず、健康、でお願いします。
私が名前と願い事を言うと、先達さんがお経を唱え始めた。目を閉じた。左手にろうそくを持っているので、手を合わせることができなくて、右手だけで、顔の前で合掌した。さっきの、願い事、と聞かれて、何も出てこなかったことを考えた。何も出てこないと、やりたいことが何もないような空っぽな感じがしたけれど、自分が空っぽだとは思わない。やらないといけないこととか、やりたいこととかは、いろいろあって、いくつかはすぐに思いつくけれど、仏様にお願いしたいこと、というと、やっぱり出てこない。願い事がないのは、自分が空っぽだからじゃなくて、全部自分で何とかするつもりだから、ということらしい。それならそれで、悪くないような気がした。
お経は、長く続いた。目を閉じて、暗闇の中に立っていると、目を閉じているから暗いのか、目を開けているのに周りが暗くて何も見えないのか、わからなくなってきた。
突然、お経が終わった。でも、先達さんは、何も言わなかった。洞窟の奥の小さな空間が、物音が一つもしない沈黙に満たされた。その状態が、十秒続いた。急に不安になった。何か、異常なことが起きているんじゃないか。先達さんは、何も言わないんじゃなくて、何も言えないんじゃないか。本当に、こんなところでじっと立っていて、大丈夫なのか。もしかしたら、私がボケーッとしている間に、先達さんとテレビの人達は先に帰ってしまったんじゃないだろうか。そんなことはあり得ない、とわかっていても、不安はどんどん大きくなった。薄目を開けて、周りの様子を見てみたくなった。その気持ちを、ぐっと抑え込んだ。
不安の波が引くと、そのあとは、何もなくなった。目も見えない、音も聞こえない中にいると、自分の足で立っているはずなのに、上も下もわからないような感覚になった。左手にろうそくを持って、右手は顔の前にあるはずだけど、それも、そう思っているだけで、本当にあるのかどうか、わからなくなった。そのうち、どれくらい、そうやって目を閉じているのかもわからなくなった。お経が終わったのは、ついさっきのような気もするし、1分くらい前のような気もするし、10分くらい前のような気もした。
いろいろな物事の境目があいまいになっていくのを、何も考えずに感じていると、不意に、先達さんの声がした。目を開けると、台の上にはろうそくが灯っていて、先達さんが後片付けをしていた。洞窟の奥の小さな空間は、さっきまで思っていたよりも明るかった。
ご祈祷の後の帰り道で、先達さんが、胸くらいの高さにある岩の出っ張りを指さして、こう言った。
「これは、弘法大師様が何かしてどうにかなったご利益のある岩で、〇〇〇と三回唱えながら撫でた後、その手で体の悪いところを触ると、病気が治ると言われています」
〇〇〇のところは短いお経だった。早口の先達さんの言うお経は、もちろん、全く聞き取れなかった。説明が終わると、先達さんが、ハイ、と言ったので、何も言わずに岩を撫でたら、
「こら!〇〇〇と言わなあかん!」
と、怒られた。正確には、こら!は言っていなかったかもしれないけれど、私には聞こえた。ごめんよ母さん。でも、お経なんて知らないよ。それは、どこで教わればいいんだい?

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