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20世紀ウイザード異聞 【改稿】1-①
あらすじ
1952年。10歳のステファンは、学校になじめず厳格な母に叱られてばかり。7月の雷とともに来た魔法使いの弟子になってからは、生活が一変した。
魔女や魔法使いは20世紀で消えるのか。竜や竜人と共存はできるのか?
行方不明の父が残した手紙の謎をめぐって、画家でもある師匠の魔法使い仲間、魔女、メディアや街の人々まで巻き込んでの騒動になる。
師匠の恋を応援し、成長するステファンは、周囲をも変えてゆく。
・1-①ステファン、魔法使いの弟子になる
耳障りな高い笑い声が、さっきから響いている。
「……なんで?」
ステファンが見つめる先で、道化の仮面がニタアと笑う。
ここは魔法書も一般書もごちゃ混ぜに収まる書庫のはずで、あの仮面は師匠のオーリローリが保管庫に閉じ込めた魔道具のはずだ。なぜ外に出ているのか。書庫の温度は魔法で一定に保たれているはずなのに、じわっと汗が浮かんでくる。
ステファンは手元の鍵束を見た。5本の真鍮の鍵には、それぞれ1から5までの番号が彫り込まれている。No.1は今いる書庫の入り口だが、他はそれぞれ魔道具の保管庫の番号だ。危険な順にNo.2からNo.5まで。どれも、まだ10歳のステファンが一人で開けてはいけない、と師匠から言い渡されている。
けれどファントムは――よりにもよって――いちばん危険なNo.2保管庫の収蔵物だ。速く戻さないと、何があるかわかったもんじゃない。
仮面は天井からの光を反射しながらひらひらと宙を舞い、時おり書架の端っこに止まってステファンの様子をうかがっている。けれど手を伸ばすと、あと少しのところで逃げてしまう。何度も追いかけては逃げられ、さんざん走り回らされて、だんだん腹が立ってきた。
(あいつめ、ぼくをからかってる! よーし見てろ)
ステファンは目を閉じると、出来るだけ長く息を吐き出して気持ちを落ち着かせた。そのまま息を止めて意識を集中し、こらえられなくなったところで目を開く。
と、まわりの光景が一気に変わった。本も書架も全てが透明になり、2列向こうでゆらゆらしている仮面だけが、くっきりと見える。ステファンは大きく呼吸し、腹に力を込めて叫んだ。
「ファントム、つかまえた!」
ベチッと音を立てて仮面は天井に叩きつけられ、そのまま床に落ちる。
ステファンは息を切らしながら仮面に近づき、拾い上げた。カタカタと玩具のように揺れてはいるが、もう逃げる気はないようだ。
「ごめん、力加減がわかんなかった。学校でいじめっ子にノート盗られた時なんかに使った手なんだ」
「ケケケ、コリャ、オーリヨリ酷イ。オマエ、気ニイッタ」
ファントムは楽しそうにつぶやいた。
「ど、どうも。ねえ、なんで外にでてるの? 君は待機中って先生に言われてなかった?」
「ノン、ノン、ファントム、答エナイ。ファントム、知識ハ与エナイ」
外国語なまりの妙なしゃべり方だ。ステファンは言い方を変えた。
「外に出ちゃいけないんだよ。保管庫に帰ろう」
「ウィ」
案外素直なんだな、と思いながらステファンは奥へ向かった。さっき周りが透明になった時に気配を感じたから方向はわかっている。
保管庫といっても外見は鍵付きの分厚い本だから、どの番号のやつも棚に収まるサイズだ。ところが表紙を開けると、中は大人が自由に歩き回れるくらいに広くなっている。この書庫もそうだ。外から見るとドア1枚ぶんの幅しかないのに、中の広さといったら、まるで本の森だ。師匠が空間を操る魔物と取引してこうなっているらしい。
No.2の保管庫が収められた書架に辿り着いてから、ステファンは重大なことに気付いた。
「ファントム! 君が外に出てるってことは、No.2の鍵が開いてたってこと?」
保管庫は危険な順に2から4まで……
恐る恐る、No.2の本を取り出してみる。が、表紙はしっかりと閉じている。鍵が開けられていないのを知って安心する間もなく、ステファンは再びぞぉっとしなければならなかった。
(どのみち、ファントムを戻すには鍵を開けなけりゃいけないんだ)
再びけたたましい笑い声が響いた。
「ファントム、鍵イラナイ。ファントム、自由」
言うが早いか、ステファンの手をすり抜けて舞い上がる。
「あ、こら!」
捕まえようとしたステファンの目の前に、No.5の本がどさりと棚から落ちてきた。ファントムはその表紙に降り立つと、ニタニタ笑いを浮かべたまま吸い込まれるように消えていった。
(うそだろ?)
ステファンは信じられない思いで「No.5」の金文字を見ていたが、しばらくすると猛然と腹が立ってきた。
「出てけよファントム! そこはぼくのお父さんのコレクションを預かってるんだ、勝手に入っちゃだめ!」
迷わずNo.5の鍵を開け、表紙を開いたステファンは息を呑んだ。
眩い空。陽の光を反射する湖と、風に揺れる広葉樹の森――明らかに、父のコレクション部屋とは違う。目を閉じて頭を振り、もう一度中を覗き込んだステファンは、急にめまいを起こした。
(しまった、さっきあんな力を使ったせいだ――)
忘れていた。初等学校に通っていた頃、いじめっ子に盗られた物を取り返せたとしても、その後ステファンは必ず気分が悪くなってしばらく歩けなかったのだ。
頭の中を冷たい手で絞られるような感覚が走り、目の前が緑色になる。慌てて何かに掴まろうとしたが、伸ばした左手は空を掻いて、ステファンはそのまま本の中へ落ちていった。
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ほんの二週間前まで、ステファンの知っている世界といえば、自分の家とその周辺、あとは初等学校くらいだった。
学校はあまり好きじゃない。
父ゆずりの鳶色の眼は、いろんなモノが『見えすぎる』らしい。
分厚い表紙に隠れた本の中身、階段室の壁からズルっと這い出す影、時折足元をかすめる透明なこびと……てっきり他の子も同じように見えるものだと思っていたから、見たままを口に出したら、教室ではきまって驚かれ、嘘つきだと言われ、しまいには悪魔憑きだといじめられた。
何を言えば正しくて、何を言うのが間違いなのか、てんでわからない。
家に帰れば帰ったで、母ミレイユから3分に1回は『いけません!』と叱られる。いや3秒に1回か?
母が大切にするのは現実、常識、規律だ。ありえないことを見ては『いけません』目に見える全てを口に出しても『いけません』。
家の中で『よろしい』と言ってもらえるのは、ラジオの時報ぴったりに時刻を示す居間の時計くらいじゃなかろうか。
唯一の味方だった父オスカーは、遺跡だ魔道具だと調査旅行でしょっちゅう家を空け、2年前からは行方知れずだ。とうとうミレイユは離婚すると言い出した。
両親が離婚したら自分はどうなるのだろう。
ある日学校から帰ったら家の中は空っぽで、誰か知らない人から『お前の家族はもういない、帰る場所なんてもうどこにもないよ』と言われたら?
溺れるネズミのような気分で過ごしていた夏休みに、雷と共にやってきたのが今の師匠、オーリローリ・ガルバイヤンだ。オスカーより12も年下で、背の高い画家で、長い銀髪の――『魔法使い』。今は1952年、20世紀も半ばになった科学時代だというのに、まだ魔法使いが存在したなんて!
「発音しにくい名でしょう、オーリと呼んでいただいて結構です」
そう言って水色の眼を向けた彼は、オスカーの所属する『金にならない魔道具蒐集クラブ』のメンバーだという。ステファンの見えすぎる目のことで悩んだミレイユが、相談相手として『仕方なく』呼んだらしいが――
そこからの怒濤の1時間は、まさに魔法だった。
まずオーリは、客間に入るや挨拶もそこそこに、ステファンをどこに弟子入りさせるつもりかと切り出した。先制パンチ。これには母ミレイユも度肝を抜かれたようだ。
そしてステファンの「見えすぎる目」を称え「類いまれなる力」を褒めちぎり……魔法ぎらいだったミレイユをすっかり乗せ上げて、ステファンを進学させるのではなく魔法使いの弟子にするという話をあれよあれよという間にまとめてしまった。オーリが指を弾く度に、役所や学校関係に提出する書類、W&W(ウィッチ&ウィザード)ユニオンへの宣誓書などが飛び出し、ミレイユはぼうっと熱に浮かされたような顔で、全てにサインをしてしまった!
こういう大人をなんて言うんだっけ、そうそうペテン師だ。
けれどステファンは、そのペテン師まがいの魔法使いの誘いに乗っかることに決めた。
「どうする、来るかい?」
という悪戯っ子のような表情のオーリの背後に、父オスカーと話す時にいつも感じた青い空のイメージを感じ取ったからだ。いわゆる直感というやつ。
「はい、ぜひ!」
と返事した自分は間違ってなかったと思う。
オスカーが置いていったお古のトランクを持って行く、と決めたことも間違ってなんかない。
ちょっぴり選択を間違ったかも、と後悔したのはその直後だ。
迎えの車の中でオーリは、
「どう、上手くいっただろ? あとは暗示の解けた君の母上から誘拐罪で訴えられないように祈るのみ!」
と、腹を抱えて笑い出した。
おまけにその後、車を降りるように言われたステファンは、やっぱりこの人はペテン師か、いや人さらいかも? と慌てたのだが。
「君はせっかく魔法使いと旅をするのに、空くらい飛んでみたくはないの」
笑顔を見せるオーリの手に、何かが光った。
「面白い? 我々魔法使いの証、いわゆる『杖』ってやつだ。長さは個人に合わせてちょうど肘から中指の先までと同じ」
ステファンの前で、長い指がそれをくるっと回し、車を軽く叩いた。
「もういいよ、アトラス」
声に応えるように黒い車は盛り上がり、膨れ、巨大な生きものの姿に変わる。
「うそ……!」
ステファンは自分の目を疑った。
逆光の中で長い首が伸びる。
全身が黒光りする外皮に覆われ、尻尾の内側にはステファンのトランクがしっかり結わえ付けられている。おまけに、絵本で見るドラゴンのような、尖った翼を持っている。まぎれもなくこいつは翼竜だ。
翼竜はぬうと首を突き出して、金色の眼でステファンを見た。
「ほら挨拶して。家まで運んでもらうんだから」
「あ、ええと、ステファン・ペリエリです。よろしく……お願いします」
頭を下げながら、ステファンは竜に挨拶をしている自分が信じられなかった。
翼竜の背に運ばれ、リル・アレイの森の中、古く白い家の前に降り立ったのはその日の夕方だった。
突然、庭の茂みがガサッと動き、真っ赤な影が飛び出した。紅竜のイメージを感じて驚くステファンの前で、白い歯を見せる。
「この女性はエレイン。わたしを守護している竜人だ」
守護? 竜人? 意味が分からない言葉をいきなり連発されて、ステファンはぽかんと口を開けたままエレインと呼ばれた娘を見上げた。
赤毛といってもここまで真っ赤な髪があるのか。
化粧っ気もなく日焼けしている顔は無駄なく整っているけれど、大きな緑色の瞳は火でも孕んでいるような力がある。
でも、なんて格好をしているのだろう。真夏とはいえ、若い女性が短い胴着と短いズボンだけなんて。ヘソまで出ているじゃないか。すらりと伸びた腕や脚の外側には、刺青のような装飾模様が長く指先まで続いている。足元は剣闘士のような編み上げサンダル。母が見たら金切声で説教の雨を降らすに違いない。
緑の瞳に光が走った。ステファンはとっさに後ずさりしようとしたが、頭をガシッと捕らえられてしまい、
「かーわいい、かーわいい、かわいーい!」
と、さんざん頬ずりされて悲鳴をあげた。外見に似合わずものすごい力に、頭が潰されそうだ。
「こらこらエレイン、いきなり失礼だよ」
「だって、人間の子ってやわらかいんだもーん」
「いいかげんになさいまし、泣いてるじゃありませんか!」
誰かの声にエレインが腕を放してくれたので、ステファンはやっと呼吸ができた。情けないが、本当に涙が出ている。
「エレイン様は手加減を知らないんですよ、まったく。坊ちゃん大丈夫?」「マーシャ、その子を頼むよ。わたしはこの酔っぱらいを中庭に連れて行く。アトラスと酒盛りする約束だから」
酔っぱらい、という言葉に抗議したそうなエレインの腕を取って、オーリは家の中へ消えた。
ステファンはマーシャと呼ばれた白髪の老婦人を見た。さっき助けてくれたのは、この人だ。
「あの、ぼく……」
「ステファン坊ちゃん、でしょ?」
マーシャはにっこりと人のよさそうな笑顔を向けてきた。鼻先の小さな眼鏡が上品だ。
「申し遅れました、わたくしマーシャと申します。魔力など持たない身ではありますが、オーリ様がお小さい頃からお世話させていただいております。このお屋敷では家政婦として雇っていただいておりますが。坊ちゃんを見ていると昔を思い出しますわねぇ」
マーシャは実に嬉しそうだ。
騒々しい魔法使い修行の日々は、こうして始まった。
それが二週間前。
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魔法使いになる修行なんてどんな怖いことをするんだろう、とステファンは半分こわごわ半分期待したのだが、ここに来て修行らしきことをしたのは、初日に森の中で迷子になって『王者の樹』と呼ばれる巨木や妖精らしい気配に出会ったことだけ。それでもオーリは『よし合格!』と嬉しそうに言った。
日々は驚くほど平和に過ぎた。
「ステフ、ちょっと上がって来ないか」
アトリエの窓から呼びかけられて、ステファンは二階に急いだ。最近オーリはこの呼び方が気に入っているようだが、ちょっと困る。
「先生、あのう。『ステフ』って女の子の愛称なんだけど……」
「いいじゃないか。魔法使いたるもの真名を明かさず、だよ」
「そんなきまりがあるんですか?」
「いや、だってそのほうがかっこいいだろ」
よくない。愛称ならもっとこう、他にあるだろう! とステファンは思ったが、大人に抗議するのも気が引けて、
「だって、おかげでエレインまでぼくのことステフって呼ぶし」
とぶつぶつ言うだけにした。
「ところでステフ。最初に会った時に君が言った言葉、覚えてるかな」
この師匠、人の言うことを聞いちゃいないなとため息をついて、ステファンは問われたことに答えた。
「火花、雷、羽根」
オーリと握手をした際、頭に浮かんだ言葉を思わず口にして、母から叱られたやつだ。
「そうだ。わたしが使う魔法の基本はスパーク、姓のガルバイヤンは雷に関係するし、羽根といえば、こいつらだ」
オーリは机の上を指さした。色とりどりの10本の羽根ペンが綺麗に並んでホルダーに収まっている。
「なんか、このペンて生きてるみたいだ」
思わず呟いてから、ステファンはハッと口を押さえた。しまった、悪い癖が出た。学校なら気味悪がられるし、家なら母の『いけません!』が飛んでくるところだ。
ところがオーリはすました顔でうなずく。
「そう、生きてるペンだよ。カラス、おいで」
オーリが声をかけると、ホルダーの中から黒い羽根ペンが飛び出して勝手にでたらめ模様を描きだした。
「おっと今はまだ仕事じゃない、帰った帰った。挿絵の仕事はいつもこいつらに急かされて描いている、よく見えたね。他に生きてるやつは?」
ステファンは面食らった。そうだ、ここは魔法使いの家。目にしたままを言葉にしても叱られる心配はないのだ。
「ええと、その青いインク壺と、タイプライター……も?」
「正解」
オーリは嬉しそうに指さしながら説明した。
「インク壺にはアガーシャ、タイプライターにはガーリャってやつが棲みついてる。やっぱり良い眼をしてるな君は。じゃあこれは?」
オーリが差し出した紙片を見て、ステファンは思わず飛びついた。間違いない、父オスカーの筆跡だ。
「そう、オスカーからの手紙だよ。読んでごらん」
親愛なるオーリ
この手紙を読んでいると言う事は
僕はまだ帰れないままということか
自らの心の命ずるままに探求の旅を続け
ミレイユには随分と叱られてきたが 悔いてはいない
ただ気掛かりなのは 息子のステファンのことだ
彼には僕以上の素質がある
才能といってもいい
ただミレイユには理解できないだろうと思う
オーリ もし僕があと2年のうちに帰れなかったら
君に息子の将来を託したい
勝手な頼みで申し訳ないが
外の広い世界で存分に力を発揮させてやってくれないか
……
手紙の文字はそこまでだった。あとは焼け焦げたようになっている。
「お父さん、帰れないってどこから? いつ、この手紙を」
ステファンは懐かしい父の文字を一文字ずつたどった。
「読めるんだね」
オーリは改めて驚いた表情でステファンを見た。
「実はこの文字は、普通の人が見たら意味不明の記号にしか見えない。君にはちゃんとした文字として読める、つまりそういう目を持っているということだ。わたしやオスカーと同じように」
「どういうこと?」
「魔法使いの目、とでも言おうか」
水色の瞳は怖いほどじいっとステファンを見ている。冗談を言っているふうではなかった。
「魔法使いって……まさかお父さんも?」
「職業として、という意味では違うよ。ただ、力があったのは確かだ。本人はあまり自覚してなかったけどね」
ステファンはくらくらしてきた。オスカーにそんな力があったなんて、初耳だ。
「お母さんは知っているんですか」
「残念ながらミレイユさんは知らないし、理解しようとしない。魔術だの魔法だの、はなから信じてないからね。いや君の母上を悪く言ってるんじゃないよ。信じるものが違うだけだ。わたしを家に招いてくれたのも、最大限の譲歩だったんじゃないかな」
「それであの、お父さんはどこ?」
「わからないんだ」
オーリは悔しそうに額に手を当てた。
「この手紙をオスカーから受け取ったのは一昨年だ。いろいろ手を尽くして彼を探して来たんだが。残念ながら、手紙の後半も焼け焦げてるし、消印も消えてるし、手掛かりが少なすぎる」
ステファンは手紙をじっと見た。この2年間、家族にも手紙をよこさないのに、これはあんまりだ。けれど、自分は『忘れられた子ども』ではないとわかって、ちょっと安心した。それにこの手紙のおかげで『外の広い世界』に飛び出せたのも事実だ。
「先生はお父さんの願いをきいてくれたんですね」
「もちろんだよ。オスカーは12も年齢が上だけど、親友だ。そして君は彼のだいじな一人息子だ」
オーリはステファンの頭に手を置き、連れ出し方は少々強引だったけどね、と付け加えて片目をつぶった。
玄関でカラスが騒いでいる。郵便配達の青年がつつかれながら帰っていくのが窓から見えた。
「やれやれ可哀想に。あいつまた、エレイン宛ての自分の手紙を配達物に紛れ込ませようとしたな」
階下に降りたオーリは、呆れたように言った。
「迷惑だっての。だいたいあたしが人間の文字なんて読むわけないのに」「そういうなよ。手紙の束に恋文をさりげなく紛れ込ませるなんて昔からよく使う手さ」
「面倒くさいのね人間て。竜人ならもっとストレートだわ。特に8月の大新月なら……」
そこまで言って、エレインは口を引き結んだ。珍しいな、とステファンが思う間もなく、封書を見ていたオーリが「うぇっ」と変な声をあげた。
「どうしたの、なにか悪い知らせとか?」
「いや、良い知らせと悪い知らせ、両方かな。まずステフ、喜んでくれ。オスカーが家に置いたままの魔道具コレクションがうちに送られてくる。ミレイユさんが持て余したんだろうな。それと、悪い方――『からくり箱の連中が動いている』か。これはややこしいからあとで説明しよう。あともうひとつ……あまり歓迎したくない知らせ」
オーリは赤い封蝋の押された手紙をひらひらさせて、ふーっとため息をついた。
「うちの伯母からだよ。中を読まなくたって見当はつく。嫌だなぁ……」
「オーリ様、ちゃんと開封なさらないと」
子供をたしなめるような口調でマーシャがペーパーナイフを渡した。
「わかってるけどね、マーシャ……ああほら、やっぱりだ」
手紙を開封した途端、薄青い光があふれ、紙のように薄い映像が立ち上がる。それは黒いドレスの肖像画のような女性だったが、眼光は鋭いなんてもんじゃない。ひと目で魔女とわかってしまったステファンはあまりの威圧感にすくみあがってしまった。
魔女は重々しい口調でオーリに何かを告げると、じろりと周囲を一瞥して消えた。間髪を入れずオーリは封筒を閉じ、できるだけ小さく折りたたんでホーッと息をついた。
「今の何? なんて言ってたの? あたしのこと睨んでたけど」
「ああエレイン、失礼。伯母の《《虚像伝言》》だ。しゃべってたのは我が一族の母国語だよ。来月、大叔父の誕生祝いをするから必ず出席しろってさ。予想はしてたけど、気が滅入る」
「行ってらっしゃればればいいじゃありませんか。去年のように仮病はいけませんよ、後でわたくしが叱られます」
「くだらない、どうせ年寄り連中が移民時代や戦争中の苦労話を披露するだけさ。で、伯母たちにつかまったら最後、25にもなってまだ身を固めないのかだの、もっと魔法使いとして名を上げろだのうるさく説教されどおしだ。誰だって逃げたくもなるよ」
「……いいじゃない、一族がまだ生き残ってるんなら」
ぽつりとつぶやいたエレインの声に、オーリはハッと顔を上げた。
「そうだな、ああ後で考えよう、こんな話は。それよりエレイン、どう? 久しぶりに一緒に散歩しないか」
「結構よ。散歩なら好きな時にひとりで行けるもの」
エレインはプイと外に出てしまった。
「まずかった!」
オーリは手紙の束をステファンの手に押し付けると、急いでエレインの後を追った。
結局、昼を過ぎても二人が帰らないので、ステファンはマーシャと昼食を食べ、午後からは台所を手伝うはめになった。
「エレイン様もいろいろとお辛いんですよ。いつもは明るく振舞っていらっしゃいますけどね、明日は新月ですから……どうしても思い出してしまうんでしょうねえ」
マーシャは焼き菓子用の生地をこねながらため息をついた。ステファンはその横で、粘土細工のように生地を丸めている。
「新月だと、なにが辛いの?」
「エレイン様は竜人でいらっしゃいますから、もともと竜人の魔力というものがございます。ちょうど坊ちゃんがここにいらっしゃったのは満月の頃でしたから、一番力が満ちて、輝いておいででした。あれから2週間、新月の日は月の光も、竜人の魔力も失せてしまいます。オーリ様がどんなに魔力を贈ろうとしてもこればかりは」
「魔力を贈るって?」
「エレイン様はお酒と甘いお茶以外、人間の食べ物は口になさいません。その代わり、オーリ様がたくさん召し上がって魔力という形でエレイン様に熱を贈り続けるのです。まあ、魔法族でもないわたくしには解りかねる仕組みですけどねえ」
ステファンは昨夜の夕食を思い出した。『歓迎パーティー』と称して大量の食事がテーブルに並んでいたのだが、ほとんどがオーリの胃袋に消えたのだっけ。
マーシャは窓の外の日射しを見て悲しげな目つきをした。
「……エレイン様のご一族の最期も、ちょうど今頃でしたねえ」
「さいごって?」
「わたくしの口からは申し上げられませんよ。オーリ様がたしか、竜人伝説の絵物語を描いていらっしゃいましたから、いつか読ませてもらいなさいまし」
袖口で眼鏡をずり上げるマーシャを見ながら、涙がお菓子に入らなきゃいいけど、とステファンは心配した。
それが1週間前。
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オーリは基本、アトリエに籠もって絵ばかり描いている。油絵の具と例の羽根ペンのインクにまみれていて、修行といったって『まず遊べ』だし、細かいことは言わない。
エレインは昼間は森の中を走り回り、日暮れとともにアトリエの梁の上に上って眠る。これにはステファンも驚いたけど、もともと木の上で眠る種族なのだと聞いて納得した。
オーリはステファンが本好きと知ると書庫の鍵束を貸してくれて、好きなだけ読めと言ってくれた。これはありがたかった。マーシャが丹精したバラや草花類が咲き誇る庭の木陰に寝っ転がって本を読み、飽きれば庭を探検。家に居た頃には体験しなかったことばかりだ。ここにはいろんなモノが棲んでいる。姿が見えたり消えたりするガーゴイル、半透明のヒキガエル、あとは気配しかない妖精たち。
だがそんな平和に見える夏の庭に、不穏な空気がびりりと走る時がある。
「あたしにどうしろっての! 『からくり箱』ってなに、オーリの言ってる事わっかんないよ!」
ある日、庭から戻ったステファンの耳に、エレインの声が突き刺さった。新月を過ぎてもエレインの機嫌は良くなるどころか、ますます過激になっている。オーリもオーリで、最初のうちこそ穏やかな説明口調だが、だんだんヒートアップしてエレインと大声合戦になってしまう。
だいたい大人たちは議論が好きだ。学校の教師たちでさえ、お互いに主張を譲らずツバ飛ばして言いたいことを言い合って、でも時間切れになると『いやー良い議論でしたな』とか言って握手して終わりとなるのが普通だ。
けれど、握手で終わりにならない険悪な場合もある。
知っている。こういう言い合いで家の中の空気がパキッとかたまってしまうのをステファンは知っている。それは最初小さな染みのようだが、だんだんとインクが広がるように黒いもやもやが広がって、どうしようもなくなるのだ。
ステファンはとうとうオーリに抗議した。
「先生、エレインとケンカしないで!」
「どうしたステファン、泣きそうな顔をして。エレインなら心配ないよ、あんなのケンカじゃない」
「お父さんも最初はそう言ってたんだよ」
ステファンは涙が浮かぶ目でオーリを睨んだ。
「お母さんとはケンカしてるんじゃない議論してるだけだって。でも結局お父さんは帰らなくなったし、母さんは離婚とか言いだすし」
マーシャがなだめるように膝をかがめた。
「大丈夫ですよ坊ちゃん。魔法使いと守護者の契約は絶対ですから」
「そういうことじゃなくて!」
うまく言葉が紡げず、ステファンはうつむくしかない。
「君のご両親のもめごとと一緒にしないでもらえるかな。別の問題だ」
頭の上から、思いがけない冷ややかな声が返ってきた。
「今のわたし達のもめごとは、エレインと二人で解決するしかないんだ。口出し無用ってやつ。わかるかな」
ステファンは弾かれたように階段を駆け上った。
ポケットの中で鍵束ががちゃがちゃ鳴っている。ステファンは『No.1』の鍵で書庫を開け、飛び込んで鍵を閉めた。
しんとした書庫の中でドアを背にすると、悔しくて涙が溢れてくる。
同じだ、どこへ行ってもおなじ。
どうして大人達は、諍いばかりするのだろう。オーリは別の問題だ、と言ったが、なにが別なのかわからない。
母ミレイユが凍るような声で父に告げた言葉が蘇る。思い出すまいとしてもそれは耳の奥で冷たい針のように引っかかり、何度も頭の中で反響した。
目の前には迷路のように書架が並んでいる。ステファンは腹立ち紛れに、奥へ、奥へとやみくもに進んでいった。
オーリとエレインはお互いを好きなんだろうってことくらい、見ていればわかる。じゃあ仲良くすればいい。ずっと仲良くしていればいいのに。
家の中で怒鳴ったり言い争ったりするのを聞くのはもう嫌だ。オーリの顔も、エレインの顔も見たくない。あんな突き放した言い方をするなら、もう心配なんかしてやらない。
怒りを含んだ塩辛い涙は、いくらでも溢れてくる。
ステファンは書庫の一番奥にあるNo.5と書かれた本を探した。そこにオスカーのコレクションに関する秘密が隠されている、とオーリから聞いていた。
それが10分前。
![](https://assets.st-note.com/img/1689334027783-kzAI6RY0Wx.jpg?width=1200)
2023.7.13改稿
(以下続きます)
・1-②保管庫No.5
https://note.com/soloitokine/n/nececb229a497
・2-①炎使いのユーリアン
https://note.com/soloitokine/n/nf907268e1ca5
・2-②君は似ている
https://note.com/soloitokine/n/n398d2be55c40
・2-③竜人の鎖
https://note.com/soloitokine/n/n4b954a46e7ad
・2-④魔法のトンネル
https://note.com/soloitokine/n/nf854dfbea860
・2-⑤パーティー
https://note.com/soloitokine/n/n1255013d1c93
・2-⑥ステファン、ガーゴイルに乗る
https://note.com/soloitokine/n/n1225ff7d1c0b
・2-⑦再会
https://note.com/soloitokine/n/n189e9368f9dc
・3-①梁の上の天使
https://note.com/soloitokine/n/n4fe68c9ec745
・3-②竜人の語り部
https://editor.note.com/notes/nd5dcfbb31ef4/edit/
・3-③スコーンが焼けるまで
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・最終話 明日には明日の風が吹く
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