〔短編連作〕弟月町のひとびと ⑬@昭和
目次はこちら https://note.com/soloitokine/n/na7ff6d48884e
昭和レトロなひとびと
13.オート三輪と星の種
テイさんの話をしよう。
テイさんの本当の名は丁次さんのはずだが、親戚の誰もがテイジテイジと呼んでいたから、私までテイさんと呼ぶようになった。
本人いわく、四人兄弟の中でも一番出来が悪いので、甲乙丙丁の丁なんだそうだ。よくわからん。
テイさんは母方の遠縁で、クマみたいなおじさんだ。青いオート三輪(三輪トラック)を持っていた。
昭和四十年代の前半、うちの田舎で自家用車を持つ人はまだ少なかった。三輪だろうが耕運機だろうがエンジンつきの車を持っていればたいしたもんだ。
だからテイさんもたいしたもんだと、子どもの私は思っていた。
確か法事か何かがあったのだろう、事情はよく覚えていないが、父と私で隣町の親戚宅に出かけて、帰りが遅くなったことがあった。
なにしろバスなんぞ一日に数えるほどしか便数がないのだ。結局テイさんのオート三輪で家まで送ってもらえることになり、私は喜んだ。
青いオート三輪は中も外も泥だらけだった。テカテカしたビニールの座面は破れている。カーラジオの丸いボタンはヤニ色をしている。そして乗り込む段階になって知ったのだが、この三輪、二人乗りだった。(当時三人掛けの三輪も存在していたはずだが)
テイさんは涼しい顔で子どもは勘定に入らんとのたまったが、違反は違反だ。
警察に見つかったら面倒だからいいと言うまでは顔を出すなよと言われて、私は床に小さく丸まった。助手席の父の足元に隠れるためだ。
いいかげんな時代だった。現代の良い子は真似したらあきませんよ。
窮屈な床は、機械油と煙草のヤニとそれからカメムシのにおいがした。
臭くて酔いそうと文句を言うと、テイさんは通風孔をもっと開けろと言う。
私が座るすぐ横、つまり車体の前側面に小さな風の取り込み口があった。これまた小さな鉄の扉(というより蓋か?)と蝶番で繋がっていて、なるほどこいつを手動で開閉して風量を調節するらしい。
開けてみると、通風孔のすぐ外に地面が見えた。ごんごん後ろに飛び去って行く未舗装の路面。風は寒いくらいに強い。私は怖くなり、そっと元に戻した。
どのくらい走ったのだろう、もう座ってええぞという声に促されて、私は急いで父の隣に座った。なにしろ床は寒くてカメムシくさいのだ、我慢ならん。父はといえば、のんきに居眠りをしている。腹がたつ。
窓の外はいつの間にか真っ暗だ。点々と星のように見えるのは街灯……ではない。
星だ。巨大な金平糖のような星が、窓の外をごんごんと飛び去って行く。
驚いて父を揺すったが、父は返事もせずに眠りこけている。代わりに、半笑いのテイさんが前を向いたままで言った。
「ちょっと近道しよるんじゃ。お星さん、よう飛びよるなあ」
なんだ近道か。しかし星がこんなに近いとは、道路じゃなくて空を走っているのじゃないだろうか。テイさんはやっぱりたいしたもんだ。
と感心している暇もなく、今度は何やら足にパチパチと当たる。
細く開いていた通風孔から何かが飛び込んでいるのだ。
手に取ってみると、金属鋲の頭のような黒光りする粒だ。見ようによってはカメムシにも見える。
掌にのせて星明りに照らそうと見ていると、またもやテイさんが言った。
「それはお星さんの種や」
お星さんにも種があるのか、と驚く私に、
「おう、集めてみかん山に蒔いておくんよ。七夕のころにはちゃーんとお星さんになって空に帰るぞい」
と、テイさんは楽しそうに言うのだ。
それなら集めねばなるまい。私は通風孔からパチパチ飛び込むお星さんの種を夢中で拾い集め、ポケットをいっぱいにした。
青いオート三輪がいつの間にか地上の道に戻り、通風孔からのパチパチも飛んでこなくなった頃、ふと私は心配になった。
お星さんの種はカメムシに似ているが、においも似ているのじゃなかろうか。
この車がカメムシくさいのは、そのためじゃなかろうか。
ポケットから一粒出して嗅いでみる。
よくわからん。知っているにおいのような気もするが、違う気もする。星のにおいなんて知らないのだから、確かめようがない。
それと心配がもう一つ。うちはみかん山なんて持ってない。
せっかく集めたお星さんの種だが、蒔く場所がないのだ。
お父ちゃん、お父ちゃん、と私は今度こそ父を揺り起こした。
お星さんの種、どうしよう?
だが父は目をしょぼつかせて、慌ててテイさんに礼を言ったりしょうもない社交辞令を言ったりするだけで、私の話など耳に入らないようだ。
そうこうするうちに家に着いてしまった。
しかたなく、私はポケットいっぱいのお星さんの種をテイさんに託すことにした。
みかん山に蒔いておいてね、七夕になったら見せてね、としっかり念を押しておくことを、私は忘れなかった。
おうまかせとけ、とテイさんは笑い、代わりに薄荷の飴を何個か、ポケットに押し込んでくれた。
しかし大人は約束を忘れるものらしい。
それからしばらくして、テイさんは仕事がうまくいかなくなったとかで、他県に出稼ぎに出てしまった。みかん山も泥だらけだったオート三輪も、手放したという。
お星さんの種の話など、誰に聞いても相手にされなかった。
小さかった私にはテイさんの引っ越し先を知る由も手紙で問う知恵もない。
後悔だけが残った。
あのお星さんの種は、ちゃんと蒔いてもらえただろうか。
私ったらどうしてひと粒くらい持って帰らなかったんだろう。
うちにはみかん山こそないが、小さい金柑の木ならある。ちぃとせこいが、代用できたかもしれないじゃないか。
種からお星さんがどんなふうに成長して、どんなふうに七夕の空を飛ぶのか見届けたかったのに、残念なことをした。
* * *
それから七年、テイさんのことを誰も話題にしなくなった頃、隣町のみかん山がちょっとした話題になった。地元のローカルTVの取材で「星が生まれるみかんの丘」とかいうこそばゆいキャッチフレーズと共に紹介されたのだ。
なんでも、七夕の夜にいくつもの星が「地面から空へ帰るように」流れるのを目撃した人もいるとかで、話題が話題を呼んだらしい。
ことの真偽はともかく、おかげで思い出したことがひとつある。
あの時のお星さんの種は、カメムシ臭なんてしてなかった。
あれは、薄荷のにおいだったのだ。
テイさんはやっぱりたいしたもんだ。
(次の話)