〔短編連作〕弟月町のひとびと 最終話
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・町が見る夢
「あれは酷かったぞよ、オッコ」
湯飲みの茶をふぅと吹きながら繁三さんが言う。
「あぁ? なんぞ言うたか。今日は補聴器の調子が悪うてのう」
織子さんは補聴器をいじりながら、知らん顔をしている。
弟月公民館の談話コーナーは窓越しの日光があたたかい。70余年のうちに何度か補修や耐震工事を繰り返したものの、あちこちに昭和の名残がある建物は、レトロなどと表現するには余りあるほど、長い時間が染みこんだ色をしている。私は高齢のお二人を気遣いつつインタビューを続けた。
――昭和30年のダンスパーティで繁三さんが奥様の咲さんと出会われたのは、この公民館だったのですね。
「そうよ、洋裁教室の小町娘といわれた咲ちゃんを、まさかこのボーッとしたシゲやんが嫁にするとはのう。あたしが舞台で目立たせてやったおかげじゃ、感謝せい」
「うるさいわい」
――結局、織子さんはシゲやん……繁三さんたちと同じ職場だったという。
「わしゃ知らなんだがなあ」
「あんたは女寄のほうでも有名やったぞ。映画バカのシゲやんゆうて」
「バカは余計じゃ。オッコこそ、どこの隙間に潜んどったんじゃ」
「人をフナムシみたいに言うな。工場は多い時にゃ三千人おったんじゃ」
――織子さんは英語の歌をどこで覚えられたのですか。
「オッコのは英語いうてもカモナマイハウス一曲だけじゃろうが。途中から日本語になるやつ」
「うるさい。女寄の娯楽室にレコードがあってな、毎日聴きまくって覚えたんよ」
「ダンスにも行きまくったのとちがうか」
「ああ行ったよ。踊りより音楽が好きで通うた。帰りが遅うなった時は、だれぞの自転車の尻に飛び乗って……」
「それが元でもっさんの彼女とモメたんじゃろが」
――そのお話、聞きたいですね。
「たいしたことじゃないわい。帰り道にもっさんが自転車で通りかかったもんで、自転車乗せろ! いうて荷台に飛び乗っただけじゃ。そしたら寮の入り口でヤエちゃんが……」
「あー恐ろしや」
「オコちゃん、いつからあの人と付き合ってたの! て仁王さんみたいな顔で怒りよる。はあ? アホらし誰が付き合うか。門限に間に合いそうにないんで荷台に乗っただけじゃ。ヤエちゃんこそ、もっさんに気があるんならしゃんと捕まえとけーいうてな。けしかけてやった。ヤエちゃん真っ赤な顔しとった」
「な。ひどい奴じゃろ、この婆さん」
「あの二人もあたしがくっつけてやったようなもんよ。感謝せい」
「よーいもっさん、感謝せい言われよるぞー。あれ、そこらにおると思うたが」
――幹さんはお孫さんが迎えに来られて、先に帰りましたよ。
「ええ孫さんじゃ」
「シゲやんとこの息子もええ子やろが」
「あれは弟の子。うちは息子おらん」
「そうやったかね」
「オッコはとうとう独り身のままじゃったの」
「天涯孤独の唯我独尊じゃ、自由なもんよ」
――お話を伺っていると、皆さんの青春時代は弟月町の青春時代でもあったように思えます。
「まあ……確かにのう。あの頃は町がどんどん大きうなって面白かった」
「景気が良かったのはあれから20年、いや30年くらいかね。平成になってから怪しうなって、令和に工場が撤退してからは寂れてしもうたね」
「若い者がおらんようになったのう。右を向いても左を向いても爺と婆だけじゃあ」
ハハハハという元気な声で笑った後、織子さんはふと神妙な表情をした。
「若いときもあれば年取ることもある、か。もしも町が大きな生き者だとしたら、あたしらはその腹の中で、町が見る夢に付き合わされとるだけかもしれんね」
――町が見る夢。
私は心の中で、今回の記事のタイトルは決まったなと思いつつ、長いインタビューの礼を言って頭を下げた。
「なぁにがじゃ。あんただまされんぞよ、オッコは閻魔さんも恐れん舌を持つ婆ぞ」
繁三さんはよっこらしょと立ち上がり、ご家族に介助されながらゆっくり手を振って帰っていった。
織子さんはといえば……おや、小さな子と手を繋いで出口に向かっている。今時めずらしいおかっぱ頭に可愛いセーラー襟のパンツスーツ。お孫さん、いや曾孫さんかなと思ったが、直後私は愕然とした。
――織子さんは独身のはずだ。天涯孤独と言っていた。
出口のドアを開けて、二人はこちらを振り向いた。
眉の上で切り揃えた前髪と、驚くほど雰囲気の似ている顔。
二人は同じ表情でニヤと笑うと、手を繋いだまま夕暮れの弟月町に消えていった。
〈了〉