愛なんだか恨みなんだか
感情をすぐ見失う。わたしは精神的にあんまり強くない。一人暮らしを始めてからそれが露呈して、医者に通ってギリギリ「普通」を生きて、でも医者に通うっていうのがわたしにとって多分あんまり良くなくて、歪な自己肯定感と自尊心のバランスが出来上がってしまったのだと思う。
愛について考えることが多い。愛をベースに生きたいと思っているし、それが間違っているとは思っていない。わたしはわたしが好きだ。人には「考えすぎだ」とすぐに言われる。できるだけの努力をして考えすぎているのだから、もうどうにもならないことを前提で悩み相談に乗ってほしい。
好きな人を好きだと思ったきっかけをなんだったかひとつも思い出せないが、そう思ったのは彼と知り合ってから随分経った後だった。彼に対する複雑な感情に、大切な人間に後押しされて「好き」という名前をつけてからはだいぶ生きやすくなったし、うれしいことや楽しい時間も増えたけど、でも本当はそんなんじゃないのかもしれない。好きなところと好きじゃないところの積集合が大きすぎる。そこにいてほしいと思うけど、一緒にいると消耗する。不思議な人だ。
尊敬している。彼を好きでいる。でもわたしはあんなふうには生きられない。一緒にいると自尊心がゴリゴリに削られていく。こうなりたいと思えたらよかったのに、という、「普通」を、普通の中の強さを求めるわたしが彼を心の底から好きでいる。それとは別に、「普通」になりきれないわたしを愛してきたわたしが自分の心をよしよししている。歪な自己肯定感と自尊心のバランスが、変に大きな積集合を作っている。
本当は愛なんかではないのかもしれない。彼と一緒にいたいと思うことは、わたしの感情の責任を彼に引き受けさせようとする態度なのかもしれない。わたしは日々彼の「正しさ」に傷つけられ、傷つけたことに対する責任としてそこへいろと思うだけなのかもしれない。愛ではなく、恨みかもしれない。わたしはわたしがなにを思うかを知らない。感情は外側からやってくるのだ。仕方がない。
みんなは強く生きている。わたしは弱い。そう思うことこそ間違いなのかもしれない。女であることを弱さと認識する自分も疎ましい。でもそう思う。自分の女性性に直面したときに恥ずかしくなる気持ちこそ恥ずかしいのに、強く生きることができない。わたしがどれだけわたしの中で苦しもうと、戦おうと、努力しようと、わたしのこの葛藤を知るものはいないので、それができるすべての人間に「甘え」と言われて生きていく。
くやしいなー、くやしいー。