まんまと桜を見に行った


買ってしばらく置いていたほとんどのページが令和ロマンくんのお笑いブロスをぱらぱら読んでいたら、蓮見さんが「演劇はその日1日として記憶に残るものになっていかなければならない」みたいな話をしていて大学時代のことを思い出した。

演劇や映画の勉強をしていた。そういえばこの前の単独は大学時代のことを思い出すことが多くて、嫌な意味で言いたいわけじゃないんだけどなんか課題の発表の時間みたいな感覚になったときが何回かあった。これは同じところで同じことを学んだ人にしか共有できない感覚のような気がして大学の同期にしか話さなかったけど、でもこの人たちもいくらか同じような勉強をしたりしたのだろうかと思った。わたしは偏差値とその後の人生を捨てきれなかった負い目のようなものがあり、わたしが進学先として選択できなかったところで学んだ彼らについてそういうふうに思ってはいけないと感じていたのだけど、でもまぁいくらかは似たようなことをすることもあったのかもしれないし、まぁなかったかもしれないけど、でもこんなふうにダイレクトにそれを感じたのは初めてだったからびっくりした。

それで、お笑いブロスのその一文を読んだ時も同じような気持ちになった。そんなの、別に大学じゃなくたって出会える価値観ではあるけれど。懐かしかったし好きだった。わたしが大学で学んで、こういうことを大切にしてきた、と思っていることを、この人が言っていて、じゃあこの先もきっとわたしにとって心地の良いものであり続けてくれそうだなといううれしさがあった。

そういえば単独でもらったカードの裏に桜の綺麗な緑道のことが書いてあって、わたしは公演終わりにちゃんとそこまで桜を見に行った。まだ咲く前だったけど、蕾を見に行った。その日はこの春ようやく暖かくなった日で、エンドで彼が「きょうからあったかくなってよかったね。季節が進んでるよね、うれしいね」って言ったことと、膨らんだつぼみの緑道と、大学の時とはもう違う下北沢の町と、それ全部含めて大切な「あの日」だった。そんなこと言われる前から、ちゃんとそうだったことを、言われて改めて思った。幸福だった。

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