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love

2024年12月6日 SEVENTEEN 個別お見送り会
第2部・第4部 VERNON



生理と寝不足でギリギリまで準備ができず、第2部受付終了5分前に東京ビッグサイトにたどり着いて、3分前に受付を通った。最後から2番目だった。

あまりの不調さに、2部はパスして4部だけ入ろうかという考えもよぎったけれど、いざとなると私は全力疾走していた。やっぱり私はバーノンさんに会いたいのだった。

トークステージはスングァンとバーノン、だけどエスクプス側が前だったので低身長の私にはほぼ何も見えず。どうせ後で会うんじゃんね、と思うのが私という人間。バーノンさんがなんかしゃべってる間に、行きがけにコンビニで印刷してりんかい線の中で切ったメッセージカードを、いつものごとくメガネにセロハンテープで装着する。回を追うごとに手順に慣れ、きれいに貼れるようになっている。

何回入ってもお見送り会は緊張する。これはバーノンさんに会うからという緊張ではなく、チャンスが一回きり、一瞬きりで、後で修正や言い訳ができないから。友達なら後からLINEで弁明すればいいけれど、バーノンさん相手にそうはいかない。一瞬で的確にパスして受け取ってもらえないと、後悔や恥ずかしさはずっとこちらに残ることになる。

メッセージの内容は「NEGATIVE VIBES IS OK TOO」。SPILL THE FEELSのプロモーションで使われた13人の”悩み”のうち、バーノンさんの「POSITIVE VIBES ONLY」に対する応答だ。正直「POSITIVE VIBES ONLY」自体がバーノンさんにとっての何でどうなのかはわからなくて、率直に自分が思ったことを書いた。ただただ「受け取りましたよ」のしるしになればいいと思って。

ラスト数人は回転が死ぬほど高速だった。時間調節を誤ったのか、スタッフさんたちは巻きで終わらせたいらしい。CARATが3人くらい同時にブースにいた。私の時間も短かったけれど、カードを指差すとバーノンさんは一瞬で目を走らせて読み「yeah〜」と頷いた。意味は後で考えろ。私は念を押すようにバーノンさんに向かって指を差した。カッコつけた。テヘ。一旦ミッション終了。

バーノンさんは今日も肌が真っ白く、なんだかいつもよりも童顔に見えた。額が大きい。あの額の中に、いろいろ生み出す脳味噌が詰まっている。両の瞳は淡い茶色。

4部は名札もなく手ぶらだった。もともとかなり直前までノープランで、決まったのが12月4日、東京ドーム公演の日だった。連番相手を待つ間にTVerで見たWEST.の子ども向け冠番組で、今年の9月頃からお世話になっている新しいもう一人の自担の重岡さんが、家族に好きと伝えた小学生に「ちゃんと好きな人に好きって言えるのすごい!」と言っていた。その言葉に胸打たれ、私は好きな人に好きと言うことにしたのだ。好きな人に好きと言える人って、確かに、本当にかっこいい。

愛しています。大好き。サランヘヨ。いろいろあるけれど、I love you一択だった。

口で言うのは、直前で気分が変わってもいいようにということでもあった。やっぱりI love youは気恥ずかしくて、Stay healthyのほうが真意に近いかな、でもヘルシーの発音難しいな、バーノンペンとしてのこれまでを振り返るとYou saved meが一番かな、でも意味が限定されすぎるからな、とぐるぐる考えていた。

発音の不安はけっこうあって、こんなにありふれたフレーズなのに、loveは日本人の苦手なl-r問題もb-v問題も入っている。できるだけ英語らしく言えるように、Apple MusicでI love youと検索して、ヒットした洋楽をいくつか聴いた。特にセリーヌ・ディオンの〈I Love You〉は曲自体の雰囲気も良くて、何度も繰り返し聴き、4部の前のお手洗いでも聴いた。

いつもメッセージを文字にして見せていたのは、本当に発音に自信がないからで、しかも日本語でも関係なく、私は「口で話して伝える」ことにとことん自信がないからだった。子どもの頃からなんだかずっと、私は自分の声が誰にも聞こえないと思っている節がある。それくらい、話を聞いてもらえたと感じた経験がほんのわずかしかなくて、口頭でのコミュニケーションは常にストレスのもとだった。

その点、文字なら間違いようがない。だから私は書くことが好きだ。話すよりも書くほうが、自分の思いをうまく表現できると思っている。読む側が咀嚼する時間は必要だけれど、べつに返事が欲しくて書いて見せているわけではない。この日の2部でも然り、ただバーノンさんに伝わって受け取ってもらえればよかった。

でも、この日に口で伝えたいと思ったのにはもう一つ理由があった。新しい自担ができて、この先、バーノンさんとSEVENTEENに今までほどの時間とお金を割かなくなってしまうかもしれない。究極、これで最後になってもいいように、文字で伝える時よりも長い時間、バーノンさんと目を合わせたかった。バーノンさんが一人一人としっかり目を合わせてくれる人だって、よく知っているから。

4部は早めに待機列に並んだ。受付を済ませ、トークステージを待っている間に、2部の後にお会いしたFFのジュンペンさんにいただいた手紙を読んだ。以前、スペースを一緒にやりましょうと約束して実際にやったことについて、「社交辞令とは受け取らず私の思いを実現してくれて、本当にありがとうございました。」と書いてあった。

私はI love youを言おうと決めた。どんなに気恥ずかしくても、バーノンさんに対して手加減した社交辞令みたいな言葉を言いたくないと思った。

考えてみれば、loveは本当にいろんな意味を内包する。Stay healthyも、You saved meも、もちろん恋も、恋じゃなくてただ幸せでいてほしい愛も。なんだか全てがloveじゃん、これがSEVENTEENの歌うloveか、と気づいた時に、決まり文句のI love youが、しっかりと実感を持った言葉になった。

トークステージのホシがCARATへ問いかける言葉に「ネー!」と返事をするのを個人的な声出しがわりにした。何度か呟いて練習しながら、列はブースへと進んでいく。この緊張は何回経験しても慣れない。一回きり。一瞬きり。どれだけシミュレーションしたって、本当の一瞬がどんなものだかわかりっこないことだけは、よくわかっている。

バーノンさんの前へ進み出る。私はほんの少しの間ためらった。息を吸う一瞬がまるで永遠のようだった。「I love you」と出た声はすごく細くて、友達と話す時の半分以下のボリュームで、普段だったら絶対に誰にも聞こえない声だった。バーノンさんは名札のついていない私の赤いトレーナーの襟周りに一瞬目を走らせた。空振りしたその視線は、胸元に書いてある「THE BEATLES」まで読んだだろうか。

バーノンさんは視線を私の顔へ戻して、とてもにこやかに「Me too」と言った。手のひらを自分のほうから私のほうへぱたんと向けてみせながら。それはあまりにもアイドルだった。

今まで見てきた中で一番キラキラした笑顔だった。こんな顔するんだ、と思った。弓形になった目の真ん中、瞳の色は神戸で見たあの黄緑がかった淡い緑色だった。神戸の時は湖の景色が見えたけれど、今度は新緑の山のような若々しい緑だった。

私は自分の顔が綻ぶのを感じていた。きもちわるーい笑顔をしてるだろう、と思いながら、バーノンさんの目をまだ見ていたい気持ちと、このきもちわるーい笑顔をあんまり見られたくない気持ちがまぜこぜになって、そそくさとブースの外に出た。ありがとうの一つでも言えばよかった、でもありがとうって言えていたらちょっと人として味気なさすぎる。私がどんなに嬉しかったかは、あのきもちわるーい笑顔で伝わっていればいい。「あなたを愛しています」に「僕も」なんて言われて、嬉しくないやつがいるわけない。

完全に想定外だった。私は「Thank you」あたりが関の山だと思っていた。というか、「好きです」に「ありがとう」が言える人は素敵だよな〜、くらいにずっと思っていた。だって、一方的に好きだと言われても好き返す義務はどこにもない。そんなのは欲しがれない。渡せればよかった、伝わればよかった、言えればよかった、ただそれだけだった。

想定外の返事が返ってきたことで、私の目の前に私とは別の脳味噌が一つあったことを強烈に感じた。人間だ、と思った。私、今、人間としゃべった。私の細すぎる声はそれでもきちんと他人の脳を通って、別の出力が私に返ってきた。

私、もうなんでもしゃべれるかもしれない。伝わらないなんて怖がる必要、二度となくなるのかもしれない。伝わるんだ、声って聞こえるんだ、涙がボロボロ溢れてきた。一人で歩きながらボロボロ泣いた。私もう話せるんだ、人と話せるんだ。嬉しかったのは、バーノンさんが何かしてくれたからじゃなくて、自分が勇気を出して一歩踏み出して、何かをできたからだった。でも「できた」を完成させてくれたのは、もちろんバーノンさんだった。

I love youなんて言うの、本当は恥ずかしかったし怖かった。こんなやつに愛されても、って、自分でも思うから、ただ受け取ってもらえるだけで、それだけで嬉しかった。なのにバーノンさんは、I love youと言われたら、相手が誰であれ即座にMe tooと返す人なんだ。ありがたくて、わけわかんなくて、申し訳なかった。

可愛くて美人なCARATだらけの中で、普段通り化粧もしないし、SEVENTEENと全然関係ないビートルズのトレーナーを着て、お気に入りのヨレヨレのデニムジャンパーを腰に巻いて、もちろん顔も美人じゃない私なんて、気持ちが悪いだけなのに。それでも、取り繕わず、そのままの私で会いたいと思わせるのもまたバーノンさんなのだった。ただ大勢の人がいる中で周りに合わせずそのままの私でいられるだけで、その強さをくれただけでありがたいのに、本物のバーノンさんは、愛するCARATの中にこの私を含めてくれた。あまりにも当たり前のように。

私はきっとずっと愛されたかった。愛されるとは、話を聞いてもらうことだった。誰かに合わせて愛されるような見た目で、誰かに合わせて愛されるような話し方をするんじゃなくて、ただ私を、この私を、誰かに聞いてほしかった。それが、生まれてこの方私の人生に欠けていた愛だった。

大好きなCARATたちとご飯に行き、たくさんしゃべって笑って別れた後、家で一人でセリーヌ・ディオンの〈I Love You〉の歌詞を読んだ。

I, I love you
Please say you love me too
These three words, they could change our lives forever
And I promise you that we will always be together
Till the end of time

私は、私はあなたを愛しています
どうかあなたも私を愛していると言って
この3つの言葉、これは私たちの人生を永遠に変えられるかもしれない
そして私はあなたに約束します、いつの日もともにいると
時が終わるまで

So today, I finally find the courage deep inside
Just to walk right up to your door
But my body can’t move when I finally get to it
Just like a thousand times before
Then without a word, he handed me this letter
Read, “I hope this finds the way into your heart”

そして今日、私はついに奥深くの内なる勇気を見つけました
ただあなたの扉へと歩いていくための
だけど、やっとそこへたどり着いた時、私の体は動けません
以前に何千回もそうだったように
その時、黙ったまま、彼は私にこの手紙を手渡しました
読むと、「これがあなたの心へ入っていく道を見つけてくれることを願っています」

Well, maybe, I, I need a little love, yeah
And, maybe, I, I need a little care
And maybe I, and maybe you
And maybe you, and maybe you
Oh, you need somebody just to hold you
If you do, just reach out and I’ll be there

ねえ、きっと、私は、私はほんの少しの愛が必要、そう
そして、きっと、私は、私はほんの少し気にかけられることが必要
そしてきっと私は、そしてきっとあなたは
そしてきっとあなたは、そしてきっとあなたは
ああ、あなたはただ抱きしめてくれる誰かが必要
もしそうなら、ただ手を伸ばして、私がそこにいるから




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