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SEVENTEENのShadow
FACE THE SUNプロジェクトの1つのキーワードに、「Shadow」が挙げられるだろう。Trailerの「13 Inner Shadows」、アルバムの中の「Shadow」という楽曲。
「Shadow」はBTSがMAP OF THE SOULシリーズのモチーフにしたユング心理学の用語だ。MAP OF THE SOUL: 7にはユング心理学の代表的な3つの用語である「Persona」「Shadow」「Ego」をタイトルに冠した楽曲が収録されており、PersonaをRMさん、ShadowをSUGAさん、EgoをJ-HOPEさんが担当している。
私はARMYではないものの友人にARMYがいる影響でBTSの諸プロジェクトをなんとなく知っていたので、FTSの楽曲リストが出たときに「おっ」と思った。SUGAのShadowとどう差をつけてくるのか。そもそも、Trailerから始まったShadowというコンセプト自体、ハイブのリクエストである可能性は大いにありうる(もちろん憶測に過ぎないが)。
今回はSEVENTEENにおける「Shadow」を、BTSのShadowと比較しながら考えていきたい。
私はARMYではないためBTSの諸楽曲に対する理解が浅く甘いと思うが、いちオタクの勝手な解釈、戯言ということで許されたい。
挑戦状としてのCHEERS
Shadowの話と言いながら、TrailerでもShadowでもなくまずCHEERSから手をつけたい。
というのも、CHEERSという楽曲、私はBTSに対するオマージュではないかと考えているからだ。
「!」と思ったのはこのウジのシーンだ。
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実はここ、SUGAさんのShadowのMAP OF THE SOUL: 7 Comeback Trailer(と言いながらソロMVになってる)のこのシーンに酷似している。
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しかもこの部分のウジの歌詞は「僕もわからない どこまで上がるのか」。
SUGAさんのShadowは簡潔に言えば「高く上がりすぎて落ちるのが怖い」という内容なので、ぴったり対応している。
そのほかにも、CHEERSにはいくつかオマージュが隠されている。
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MV終盤に出て来るこのレコード店は、サイズ感こそ違うものの、BTSのWINGSというアルバムのShort Film、SUGAさんのFIRST LOVEに出てくる店の陳列によく似ている。
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しかも、SUGAさんが弾いているのと同じ位置にあるピアノに、CHEERSではエスクプスが土足で乗っているのが非常に……ヒリヒリする。
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「ピアノの上に俺は何かを吐き出す」(物理)……。
またビジュアルの印象がかなり違うので微妙だが、CHEERSの大きなモチーフの一つであるドリフト走行はAgust D(SUGAさんのソロプロジェクト)のDaechwitaのMVに登場するし、ドリフトではないが円状に車を走らせるシーンはBTSのI NEED Uにも登場する。
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さらにBTSに詳しい方が見ればこれ以外にも似た箇所が見つかるのかもしれないが、私の知識の範囲内ではこんなものだ。
(お前SUGAさんのMVしか出してこないな? という点は察してほしい。)
またCHEERSの印象的な笛のフレーズも、これまでのSEVENTEENの楽曲では類似のものがなく、BTSのDNAやGo Goに似た音が使われている。(代表的な楽曲しか聴いていないのでほかにもあるかも……。)
アジアの民族音楽的なメロディー自体、BTSの楽曲に特徴的で、SEVENTEENではほとんど聴かない。
このようにおそらくかなりBTSを意識しておきながら、CHEERSはとてもSEVENTEENらしい楽曲だ。少なくとも「BTSっぽく」はない。
まあウジが作る曲は全部ウジ印になるので、何かに似せようったって似ないのだけれど。
でもリダズがCHEERSで示そうとしたのはそこなのではないだろうか。
BTSと同じ事務所になり、勢力的にも何かと比較されがちだが、同じK-POPの人気男性グループであっても「SEVENTEENはBTSの二番煎じではない」。「どれだけBTSに似せても、SEVENTEENはSEVENTEENのオリジナリティがある」ということを証明する意図が、CHEERSに含まれているのではないかと私は考えている。
もしそうなら、リダズが3人でCHEERSをやったことにも頷ける。
ほかの10人はSEVENTEENにだけ集中していればいい。周りを見る必要はない。周りを見るのはリーダーたちの役目だ。
Shadowの手を取って
話をShadowに戻そう。
大前提として、ユング心理学におけるShadow=影は、このように説明される。
私たちが気づいていない、いわば背後にいるパーソナリティの部分を言い表すためのイメージだ。影は意識のふちに存在し、直接的に見つけることは難しい。影のことを、誇らしいとは思えない、あるいは自分の責任とは思いたくない、動機、思考、感情、行動が集まったものと考えてみてもいいだろう。影とは普通は認めたくない、もしくは認めることのできない、パーソナリティの部分のことである。
マリー・スタインら著 大塚紳一郎訳(創元社)
表向きのパーソナリティ(=Persona)と正反対の、望ましくないパーソナリティ(=Shadow)が、誰の中にもいるというのである。
私が参照した『BTS、ユング、こころの地図』(BTSがMAP OF THE SOUL制作で参照したガチのユング心理学者が、回り回ってBTSを論じた解説本)では、SUGAさんのShadow=影は名誉心だと解釈されていたが、私の考えは少し違う。
SUGAさんのShadowで歌われているSUGAさんの影は、恐怖心だと思う。高みへの野心を燃やし続けてきたSUGAさんが、いざ高みに辿り着いて「墜落しそうだ、怖い」と思ったその恐怖心が、SUGAさん自身にとって受け入れがたいもう一人の自分だったのではないだろうか。
翻って、CHEERSのウジは「僕もわからない どこまで上がるのか」とは言うが、そこに恐怖心はまったく抱いていない。
CHEERSでは一貫して、高みへ上ることが肯定的に捉えられている。その分SUGAさんのような文学性には欠けるが、BTSとはまったく異なるスタンスを、この楽曲で高らかに表明したと言える。
では、そんなSEVENTEENのShadowとは一体どんな存在なのか。
FACE THE SUNの楽曲Shadowには、こんな歌詞がある。
Oh 이제 난 알아 너 또한 나인걸
Oh もう分かったんだ 君は別の僕だってこと
Amebaブログ|くまくまの韓流生活
ユング心理学におけるShadowの理解と一致する。
SEVENTEENは、一時はShadowから逃げようとしたし、「憎かったり苦しかったりもした」が、最終的には「I want to hold your hands」つまり影の手を取りたいとまで言ってしまうのだ。
明るいアップテンポな曲調にのせて爽やかにこんなことを言うのは、BTSではまずありえない。(SUGAさんのShadowはめちゃくちゃ暗いし映像もトラウマ系なので一度視聴してみてほしい。)
SUGAさんのShadowが念頭にあった私は、SEVENTEENのShadowを初めて聴いたとき驚嘆した。
Shadowという曲名でこんなに明るいことがある!?
受け入れがたい自分にまで手を差し伸べるのが、SEVENTEENならではのマインドなのだ。
しかもこの曲、自分の影に対して歌っていたはずなのに、サビの最後には「Baby I'm a shadow of you」と、自分が「影の影」になってしまう。
確かに、見て表向きのパーソナリティ(Persona)から見てShadowが正反対の自分なら、Shadowから見てもPersonaは正反対のShadowだ。
もちろんこんな議論は少なくとも先ほど挙げた『BTS、ユング、こころの地図』にはなかった。
SEVENTEEN、理論の飛び越え方が斜め上すぎる。
なぜディノなのか
ではメンバー一人一人に焦点を当て、具体的なShadowの正体と位置づけを探っていきたい。
Shadowという楽曲を手がけたメンバーは、ウリPD・ウジと、ウリマンネ・ディノである。
なぜディノだったのか。はっきりしたきっかけは知る由もないが、ディノである必然性は、「SEVENTEENのShadow」を考えると自ずと説明がつくように思う。
FACE THE SUN Trailerの「13 Inner Shadows」を見ていて、特にバーノンまでのメンバーは個人的な内心の恐れを赤裸々に表現していたので、毎日息を呑んだ。
このTrailerはメンバー本人への聞き取りをもとに構成されたという(ごめん出典忘れた)。観客のいないステージにうなされるウジ、どれだけ走っても出口が見つからないスングァン、笑顔が描かれた袋を被るドギョムなど、普段の彼らと重ねて納得感のあるコンセプトが多かったのも頷ける。
しかしそんな中で、私は特別にディノのTrailerが気になった。それまで「うわぁわかる……」ばかりだったのが、ディノだけ「えっ、ディノってそんなこと考えるの?」という感想だったからだ。
これは私がディノをよく観察できていなかったせいかもしれない。
しかし、誰よりも人前に立つことが大好きなディノが、すべてのコンセントを引っこ抜いて照明やテレビの明かりを消し、ストーリーで「いつか誰も僕のことを知らないところへ行きたい」と語るのは、とても意外だった。
今振り返れば、この気持ちこそディノが隠していた「Shadow」、もう一人の自分だったのだろう。
ただし、ここで着目すべきは、「(少なくとも私にとっては)他のメンバーは意外ではなかった」という点である。
Shadow=影は、隠しておきたいもう一人の自分だ。隠しておきたいのにどうして私たちは彼らのShadowをあらかじめ知っているのだろう。
それはつまり、SEVENTEENの多くのメンバーが、Shadow的なものを普段から「隠していない」からにほかならない。
Shadowは、表向きのパーソナリティ=Personaと正反対のパーソナリティを示し、Personaが偏れば偏るほど、『ジキル博士とハイド氏』のようにShadowも極端になり暴走する。
つまり人は一面的なパーソナリティではいられず、バランスを取るパーソナリティが必ず必要ということだ。
SEVENTEENメンバーのパーソナリティについて、私がよく思うのは、「ギャップという言葉では済まされないくらい矛盾のある人が多い」ということだ。
以下、私の観察眼と言語化能力が及ばず全員ではないが、特にわかりやすいメンバーの「矛盾したパーソナリティ」の例を挙げていく。
エスクプス
普段は甘えん坊で赤ちゃんのよう
↔︎ バシッと締める統括の顔、ステージでの攻撃的なパフォーマンス
ジョンハン
一部で「ジャイアン」と言われるほどのいたずら好き
↔︎ 弟思いで面倒見がよく、あまり自我がない
ジョシュア
とにかく優しい紳士
↔︎ バラエティで突飛な行動に走りがち
ジュン
「不思議ちゃん」と思われがち
↔︎ 誰よりも冷静で芯がある
ホシ
普段のヘムチ的な愛らしいキャラクター
↔︎ ステージでの「虎」の姿
ウォヌ
穏やかで大人しく優しい
↔︎ 頑固で負けず嫌い
ウジ
普段はドのつく現実主義者
↔︎ 書く歌詞はロマンチックで理想的
ディエイト
茶道を嗜む趣味仙人
↔︎ TikTokで暴走する
ミンギュ
体格が男性的、頭脳はエリート的
↔︎ 少女っぽい好みや言動がある
ドギョム
神様の次に優しい
↔︎ 普通に怒るし喧嘩する
スングァン
明るく社交的で働き者
↔︎ 神経質で不安を感じやすい
バーノン
フレンドリーな平和主義者
↔︎ はっきりとした自分の考えがあり譲らない
ヒョンたちがこんな感じな一方で、ディノはわりとどこにいても「明るく堂々としていて、立ち回りが器用で、精神年齢が高い」印象なんじゃないかなと思う。
あらかじめさまざまなパーソナリティを提示していたヒョンたちと違って、ディノはFACE THE SUNで初めて己のShadowを告白したのではないだろうか。
たいていの人は、表向きのPersonaがあり、バランスを取るためのShadowを内側に隠し持っている。
しかしSEVENTEENで印象的なのは、先ほど挙げたようなパーソナリティの両面を、メンバーがフラットに了解して受け入れていることだ。
たとえばTCI診断でジョンハンのまったく「ジャイアン」でない面を解説されると、メンバーは「本当にそう」と同意するが、同時にメンバーたちはジョンハンの「ジャイアン」的な面もよく理解していたずらや無茶振りに付き合っている。
ドギョムの優しさを享受しながら、ドギョムの優しくないわがままなところをメンバーたちはよく知っていて、身勝手だなどと責めずにドギョムの機嫌を損ねぬよう配慮するシーンもしばしばある。
パーソナリティに矛盾があろうが、どちらもその人自身であり、どちらが表でどちらが裏ということもない。
だからSEVENTEENのメンバーの多くはパーソナリティのバランスが健康的に取れており、自分の影の手を取って「僕は君の影だ」なんて爽やかに言うことができるのではないだろうか。
BTSのユング心理学的試みはたいへん価値があり、世界中の多くの人の心を動かしている。
一方でSEVENTEENは、SEVENTEENならではの価値観で、まったく新しい「Shadow」の捉え方を提示した。
FACE THE SUNのShadowはSEVENTEENだからこそ表現できた楽曲であり、彼らなりの成功をおさめた試みの一つと言えるだろう。