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ウォヌのためのセンイルnote

自担以外のセンイルnoteを初めて書く。
もう2回もnoteに書いたことだけど、改めてきちんと書いておきたい。
私の中の「CARAT」をたった一人で守ってくれた、ウォヌのことを。



2024年7月、私はようやくCARATに復帰した。

MAESTROの初週が終わった5月の頭から約2ヶ月間、私は徐々に徐々にCARATではなくなっていっていた。
心の余裕が戻ってきた今なら、何が起こっていたのか少しは見当がつくが、渦中にいる時は、ただもう“違って”しまったんだとしか考えられなかった。

カムバ後1週間MAESTROを再生しまくった後、ぷっつりと糸が切れるように逃避した。
HMVでビートルズの評伝本に出合い、そこから50〜90年代英米ロック&ポップスをいろいろと齧った。SEVENTEENの曲は一瞬たりとも聴かなかった。聴けなかった。

5月末の日産スタジアムは楽しかった。7万人が一丸となって、素晴らしい公演だった。しかしその「一丸となる」ことが恐ろしかった。私はCARATでなくなったらここから弾き出されるのか、と……。7万対1、はあまりに恐い。
それを考えないようにして、頭をストップさせながらでないと楽しめなかった。その時点で不安も違和感も募りきっていた。

今振り返れば、原因はこうだ。
昨年まで、私は書籍情報系のWeb媒体で働いていた。会社の業績悪化でその媒体が畳まれることになり、今年1月から、買い物情報やグルメ情報系の媒体に異動した。
私は本が好きだ。本を含むあらゆる人間的な表現を、真摯にやっている人たちのためになりたいと思っている。SEVENTEENにも、そういった気持ちで心を寄せていた。

でも、そればかりやれる状況ではなくなってしまった。書籍情報も扱えるには扱えるけれど、頻度はうんと少なくなり、そのかわりにコンビニやチェーン店の大量生産・大量消費の情報を追いかけなくてはならなくなった。
バズっている商品。刺激的な見出し。“読む”ではなく“チェックする”文章。
業績が悪いので、とにかく数字を出さなくてはいけなかった。本の記事は数字が取れないので、必然的にお荷物になった。

社員の人柄が良く、いじめもパワハラも一切ない職場なのがせめてもの救いだった。自分のやりたいことじゃないけどまあこの人たちの言うことなら、と思って働いた。
でもそんな優しい人たちが、ギラついて数字を追いかけたり、安売り情報に目を輝かせたり、自ら夜遅くまで残ったりする姿を見るたびに、私はぞっとした。普段は心地よいコミュニケーションが取れる分、余計に気味が悪かった。人間の形をした、人間ではない何かのようだった。多分向こうからしたら、私のほうが人間ではない生き物に見えていたのだろうけれど。

染まったら自分という人間が失われてしまう、と思った。でも、毎日働く以上、その環境を否定しては過剰につらくなるだけだった。だから、絶対に熱くはならないままで、それでもこの仕事の中にもいいところがあるだろうと思いながらやっていた。
そう思おうとすると、必然的に、SEVENTEENには熱狂できなくなるのだった。真逆の価値観だから。

何にも染まらず何もつらく感じないように、何があっても心拍数を一定に保った。そのうち、あらゆる強い感情を感じなくなっていった。


話は遡る。今年の3月に、パレスチナ連帯のためのデモに参加した。
新宿駅の、かなり大規模なものだった。発起人のコールを、大勢で繰り返す。最初は使命感を持って参加していたが、だんだんと、コールの中にイスラエルへの罵詈雑言が混じっていった。
私はそういうことを言いたいわけではない。でもこの場にいる以上、それに“賛同している”とみなされるし、大勢の中でそのコールを繰り返していると、感情が昂って本当にその言葉通りのことを思ってしまうように感じた。
だから私はそれを最後に、デモへの参加をやめた。
どんな目的であっても、集団は恐ろしい。“個”が消えていってしまう。イスラエルの内情もそうなのではないか。

それでも心では停戦、終戦を願いながら、私は、ボイコット対象である親イスラエル企業の商品を、何度も記事に取り上げて褒めちぎった。それが仕事だから。
私はバラバラになりそうだった。というか、なっていた。

だから日産スタジアムの7万人が恐ろしかった。これに飲まれたら、私はCARATではない全ての人類を排除することになるのだ、そしてこの人たちは、CARATではなくなろうとしている私を排除するだろう、と。
歌を知っていることが大前提のシングアロングが恐怖だった。私は掛け声の練習を呼びかけてきた今までの自分を恥じた。私はあらゆる人を排除していた。今の私を排除していた……。

お金に困っていなくてたくさんアルバムを買える人が、渡韓できる人が、自分の仕事に誇りを持っている人が、「CARATの一員だ」と声を大にして言える人が、恐怖だった。
SEVENTEENにはありあまるほどの富がある。お金で作れる夢や永遠に何の説得力があるだろう?SEVENTEENがどんなに願っても、もし売れていなければ契約はすぐに終わっていたのだ。
どんなにSEVENTEENに縋っても、お金がなければ私は飢え死ぬのだ。その時、SEVENTEENにできることは何もない。

SEVENTEENの顔を見られなかった。SEVENTEENの曲を聴けなかった。MAESTROなんて成功者の自慢にしか聞こえなかった。どうせ私は敗者だ。この人たちは私を踏みつけて行くのだ。

誰一人として人間らしいコミュニケーションが望めない中で、それでも、一人でも耳を傾けてくれる人がいれば、まだ人間を信じられるかもしれないと思っていた。
それで、とことん弱っていることをさまざまな方法で見せたのだけれど、信頼していた友人たちからは一切連絡が来なかった。唯一連絡をくれた人も、会ったら“耳を傾けて”はくれなかった。

匿名で、こんなメッセージも届いた。
「気持ちが冷めている人の手にチケットが渡ってほしくなかった」
「(私が日産のメントで思わず口に出したレスポンスがメンバーに届いたと明かしたことに対して)該当ペンでないとわかって悲しかった」
ああ、スライムから異物がちゅるんと排出される要領で、私は吐き出されようとしている、と感じた。

鬼籍のミュージシャンたちが心の拠り所だった。生きている人は誰一人信用できなかった。
鬱にはニルヴァーナ。ビートルズは、何も考えず元気になれる。現代の音楽はBPMが速すぎるし、加工された音は耳障りだった。

映画館に通い詰め、常に本を携帯した。仕事で思考停止する分、仕事以外の時間で何か知識や表現をドバドバ注入していないと不安だった。そうしないと、仕事に飲み込まれて自分の脳が書き換えられてしまいそうだった。アイドルすら、思考停止を促すように思った。アイドルこそ憎き資本主義の権化で、速すぎる現代社会の象徴で、過剰な刺激で行き過ぎた消費を煽る搾取構造だと思った……私はもはや“アイドルオタク”をできなかった。

12年以上続けた“アイドルオタク”を手放した。本当はそれこそが、最も自分らしさを失う要因だったことにも気がつかずに。

映画も本も音楽もたくさん摂取して、好きなものをたくさん見つけたはずなのに、自分の姿は輪をかけてバラバラになっていった。あまりにもまとまりがなかった。私は本当に、何も強みや自分らしさを持っていないことに気がついた。これでは、いよいよ会社にいられなくなっても、どこにも採ってもらえない。この資本主義社会で、何の価値もない私には、生きていく権利がない……。

そのうち少しずつ、DMや匿名でメッセージが届くようになった。たいていは「CARATに戻ってきてほしい」、あるいは「今はお休みする時で、落ち着いたら戻ってくるだろう」と思っている立場の人たちだった。
きっとその人たちは、CARATの私を本当に好きだったのだろう。それでも私には、その立場からの言葉が何よりも負担だった。私がSEVENTEENどころかアイドルそのものに拒絶反応を示しているこの状態が、彼らからすれば「治すべきもの」だったからだ。しかし、私は私なりに正当な筋道を持って、この考え・この感覚に至っていた。だから、悪気のない言葉にも今の自分を否定されたように感じ、余計にCARATに帰れなくなった。

中には「どんなLEONさんでも好きです」というメッセージもあった。でもそれは匿名だった。「好き」を感じるのはあなた側のメリットであって、あなたは私に何もしてくれないじゃないか……。
私はただ、誰かが話を聞いてくれるだけでよかった。でもたったそれだけが、どうしても叶わなかった。


そんな中で、6月17日、ジョンハンとウォヌのユニット「JxW」がカムバした。すっぱりと突き放してしまうのは惜しくて、一旦収録曲を聴いてみた。
表題曲Last Nightの生っぽいギターには惹かれた。一昔前の音の質感にハマりきっていた私にはちょうどよかった。
ジョンハンさんのソロBeautiful Monsterは、初聴では正直、可もなく不可もなく。

3曲目がウォヌのソロ、Leftoverだった。
前2曲とは全く文脈が違うように感じた。ただの収録曲にしてしまうには、曲の盛り上がり方にも歌い方にも、気持ちが入りすぎている。
遅いBPMと、ウォヌの好きなJ-POPとも相性がよさそうな(でももちろん韓国らしい情感たっぷりの)コード進行やメロディーラインが、とても聴きやすかった。
SEVENTEENは聴けなくなったけれど、これなら聴ける、と思った。

そして何よりも、普段物静かであまり感情を表に出さないウォヌが、こんなに感情的に歌っているのが気になった。
私はずっと心拍数を一定に保ち、何事にも何も感じなくなっていたのに、ウォヌの歌声にだけ、胸から喉のあたりがぎゅっと詰まるのを感じた。

歌詞を読んだのはそれから数日後の雨の日、発車時刻を待つ電車の中だった。
誰の解釈も介さず直接受け取りたくて、韓国語の歌詞をコピペして機械翻訳にかけた。

私のための歌だとしか思えなかった。
電車の座席で一人ボロボロ泣いた。

体に沁み込む 恋しい声
砕け散った 恋しさの記憶が
積もった 寂しさのてっぺん
最後に そこでまだ息をしているんだね
君はどのあたりを歩いているのかな
(君は僕に見えないのに)
雲の向こう側にいるのかな
だけど 僕は 僕は
僕は隅にぽつんと残ったごみ箱一つ
君が捨てた傷と一緒に抱えたまま生きている
捨てど空けれど僕はいっぱいになって
遠いいつか 言ってあげたかった
君が捨てて行ったごみは 愛になったって

傷が心の上に育って
落ち葉になって降るように
過ぎ去った日に 恋しい気持ち
最後に かさかさと思い出が踏まれる
君はどのあたりを歩いているのかな
(君は僕に見えないのに)
雲の向こう側にいるのかな
だけど 僕は 僕は
僕は隅にぽつんと残ったごみ箱一つ
君が捨てた傷と一緒に抱えたまま生きている
捨てど空けれど僕はいっぱいになって
遠いいつか 言ってあげたかった
君が捨てて行った 君の全てのものが
君の傷全部 僕に捨てたから大丈夫
君はどこにいても幸せになってほしい
ひどい風邪みたいに痛みがまたもう一度
積もったら僕を思い出してくれ
どんな明日にも 待っている僕がいるって

(拙訳)

自分では思いつきもしなかった、私が本当に欲しかった言葉が、そこにたくさん並んでいた。

私はSEVENTEENを好きでいられなくなって、ひどい離れ方をしていた。まさにごみを捨てて行くように。
でもそのごみを、傷を、ウォヌは自分から抱きかかえ、「愛になったよ」と言った。

私だって望んでネガティブになっているわけではないのに、この動かしようのない状態を、攻撃したり、休めば治ると言ってきたりする人ばかりだった。
その中でウォヌはたった一人、私のごみや傷をそのまま、「僕に捨てたから大丈夫」と引き受けてくれる。

「どこにいても幸せになってほしい」と、CARATではない私も肯定してくれるし、でももう帰ってこないだろうと諦めて突き放すのではなく、また僕が必要になったら思い出してほしいと言ってくれる。「早く戻ってきて」ではなく、「いつでも戻ってきていい」なのが、何よりも救いで、安心だった。

私がどんなにSEVENTEENを嫌いになっても、どんなに遠く離れても、それでもウォヌは、ごみ箱一つ抱えて、ずっと待っていてくれると言う。私が戻れるようになるまで。ものすごく長い時間がかかるかもしれないのに。
どうしてそんなことを、今の私の事情を知らないのに、自分から望んで、どこにいるかもわからない誰かに向かって言えるんだろう……。

CARATはウォヌの目の前にいるはずだから、CARATに向けての歌ではないということは明白だった。じゃあどうして。誰に向けて。答えはいまだにわからない。


それからLeftoverしか聴けない時期が長かった。Leftoverを聴き始めてから、英米ロックからも少し距離ができた。Leftoverを聴いていないと耐えられそうになかった。今、まだカムバから1ヶ月しか経っていないのに、Leftoverは私の2024年の再生回数ランキングのトップにいる。MAESTROを超えて。

ウォヌの声しか届かなかった。ウォヌの声だけはここまで届いた。私の世界に帰ってきた、たった一つの生きた心だった。

そういえば、ウォヌの 무릎 カバーが公開された時は、睡眠導入剤として毎晩聴いていた。その時も確かかなり忙しくて、あれを聴かないと眠れなかった。本当に心がダメになってどんな音楽も聴けなくなっても、最後にウォヌの 무릎 だけは聴ける……そう思っていた。
ウォヌの歌は私にとって、全部がダメになってしまった後で、唯一そっと残っていてくれる味方だったのだ。

少しずつ、本当に少しずつ、SEVENTEENのバラードや、他のメンバーのソロ曲を聴き始めた。13人のアップテンポな曲はまだ難しいけれど、今はだいぶいろいろと聴けるようになった。

結局、会社は近いうちに退職して、業務委託に切り替えることになった。
お世話になった出版社に頼んで、7月からお手伝いをさせてもらえることになったのと、時を同じくして別の出版社からもお誘いがあり、委託で書籍編集をやらせてもらえることになったので、運良く、その身の振り方を選ぶことができた。

一番仲の良いゼミの同期と久しぶりに会って、時代や暮らしについての不安と不満を共有できたり、CARATさんともまたぽつぽつお話しできる機会ができて、なんとか、なんとか、また人を信用できるようになってきた。
数字や能力や商品としてではなく、私の私らしさに価値を見出してくれている人たちがいることを、やっと確認できた。

長かった。一人で生き抜いた。また人を信用できるようになったからって、一人で取り残された事実は消えない。いつ何時も「ひとりじゃない」なんてことは、ない。


ウォヌがいなかったら、今頃どうなっていただろう。
誇張でも比喩でもなく、命の恩人だと思う。
あまりにも借りが大きいから、今後たぶん、自担とか2推し3推しとか以外に「ウォヌ」という枠ができる。
何があっても、誰もいなくなっても、一人ただ静かにそこに残っていてくれる、安全圏。

雨の日に歌詞を受け取ったから、私にとってのLeftoverのウォヌは、雨の中一人で傘を差して、ずっと待っていてくれているイメージだ。
寒いのに。足元や肩が濡れてしまうのに。他に誰もいないのに。一人で、ずっと。

そんなにまでしてくれるこの人に、私は一体どうやってお返しができるだろうか。
「ありがたくて申し訳ない」……雨降る地面に跪きたくなった。

その時、私はCARATだった。



☆☆☆

あなたがこうやって一人の人を救ったのだということ、そしてあなたの歌とあなたという人の美しさを、たくさんの人に知ってほしいと思ってこの文章を書きました。
センイルnoteなのに自分の話ばかりでごめんなさい。それから、他ペンなのに、私物化するような書き方をしてごめんなさい。
でも、このように書くのが一番伝わるだろうと思ったんです。

SEVENTEENのメンバー、ウォヌさん。切なくなるくらい心優しい人。
お誕生日おめでとうございます。
あなたがくれたものに、感謝してもしきれません。
この年も、一日でも多くあなたが笑顔で、幸せでありますように。
その幸せの一部にCARATがなれたなら、こんなに嬉しいことはありません。


2024年7月17日

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