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これはきっと

連番したギュペンは最近仕事が充実していてSEVENTEENはほとんど追えていないのだそう、だけど今までで一番大声出して、本当に楽しそうで、ご飯行っても今日本当に楽しかった!!!SEVENTEEN最高!!!って話してバイバイした。これはきっと本当の永遠。



好きな人たちが他にもできたおかげで、SEVENTEENとCARATの何が好きでどこに救われててどう必要なのかがはっきりとして、好きが強くなった気がする。
あの会場の一体感が好き。SEVENTEENとCARATのノリでどんどんつくられていくその日のライブが好きで、そこに前のめりに参加できている実感が好き。人生ずっと外側にいた私が、外見も趣味も好みも性格も全然違う人たちと一緒に同じ輪に入れているのが本当に好き、希望。
SEVENTEENとCARATがいるおかげで、私は人間を根底から嫌いになってしまわずに、社会に参加していく勇気を持てるのだと思う。
SEVENTEENとCARATがいなかったら「でも社会は私に何もしてくれないじゃないか」とか思ってしまう。でもそんなことない。こうやって人とともにいることは、人間普遍の喜び。

変わらない気持ちがここにある。SEVENTEENが好きで、CARATが好き。何度見ても新鮮に好きで、何度行っても今日が最高。
自分の中に変わらない気持ちがあるかどうかは確かめてみればわかるから、少しでも不安になったら確かめに行けばいい。彼らはそこにいるし、私たちもここにいる。できれば不安よりも大きな希望を携えて行ければもっといい。


ダンスっていうのは生で見るとやっぱり画面越しと全然違う。生身の肉体が起こす波動がここまでビシバシ伝わってくる。ディノの筋肉の力強さ、ホシの切れ味、ドギョムの体幹。ミンハオの落下曲線、ウジの細やかな重心移動、ミンギュの存在感。
Crushの、11人のスイミーみたいなうねりのダイナミズムに見惚れていたら、曲の最終盤で、めっちゃ好きな人がいた。誰あれめっちゃ好きなダンスの人おる、と思ったらバーノンさんだった。バーノンさんだと思う前に、もうその人しか目に入らなくなった。曲が終わるまでずっと、自分の意思とは無関係に目が釘付けになって追っていた。見つけるまではずっと全体のフォーメーションにあんなに夢中になっていたのに。現場落ちってこういう感覚なのか、と思った。3周年にして現場落ちした。


いや、それは言い切ってしまうには早くて、というか公演はまだまだ長くて、トロッコ、今回も見つけてもら、いや、見つけさせた。周りはバーノンペンがいっぱいいるみたいだった、忙しそうでいいことだった。絶対視界に入ってるやろ!と思う位置に来てもまだ気づいていなかったのでめっちゃCARAT棒を振った、私は公演を通してめちゃくちゃ楽しんでたので超笑顔で。バーノンさん気づいて手を振った、でもそんなん関係なく私はバーノンさんに楽しそうな私を見せたかったので3倍くらい手を振った。
何もいらない、あなたに見せたい、それはずっと変わらない。
手を振って気づかせることが申し訳なくて恥じたHANABIの苦い思い出、あれから2年半が経って、私はこんなふうに手を振って「バーノン!」と呼ぶことが申し訳なくも怖くも恥ずかしくもなくなった。私にこんな自信をくれたのはまた別の人なんだけど、でも、ここに持ってこられてよかった。

今までのバーノンさんは会場中をしらみつぶしに見ていたから、「あなたがこれを見つけられなかったらあなたも私もゲームオーバー」なんていうマインドでいたけれど、そんなのマジで健康的じゃない。だってバーノンさんが見つけてくれなかったのはLOVE2公演とFOLLOWベルーナの3回だけだって記憶してるから日産も絶対もらってるはずなのに、どのタイミングでどんなだったか全く覚えていない。大鬱期だったから書き残してもないっぽい。そんなことならいくらやっても意味がない。

ああ、もう、何もいらないなと思った、何も求めなくて済むと思った。バーノンさんへの執着から自由になれた。ただ私がバーノンさんを好きなだけで、私にとっての「かっこいい」がバーノンさんなだけで、それが全てで、それがいいじゃないか。だって何回陽が昇ったって私はどうせバーノンさんが好きなんだろう、バーノンさんのいろんな仕草がぶっ刺さってるんだろう。

バーノンさんを好きな理由をたくさん集めていた。バーノンさんがしてくれることをたくさん数えていた。だけど本当はそうしなくてもよかったんだ。そうしていた時間もかけがえのない時間だったけれど、じゃあそんなふうにして集めたその一欠片さえあれば十分なのかって絶対そんなことはないはずで、その一欠片だけでバーノンさんになるはずがないのだから。人間はそんなに単純じゃないのだから。私が好きなところも、好きじゃないところも、知らないところも、バーノンさんすら意識していないところも、全部ひっくるめてバーノンという一人の人間で、あるいはチェハンソルという一人の人間で、私はその一人の人間を見て、一人の人間からにおい立つ何かを感じて「好きだ」と思うんだろう。それは総てじゃないか。私が好きなのはバーノンの総体じゃないか。それが人間じゃないか。

だから私はバーノンさんの好きなところも好きじゃないところも知らないところも全部が好きだ。私にとってのかっこいいはけっこう世間とずれてるのに(ぶっ刺さってるバーノンさんの仕草をパブサしても自分しか出てこない)(そもそもCARATの中でバーノンペンの割合は高くないしその中でも私と似たツボで好きになってる人はマジでいない)、それでも私の思うかっこいいをまるまる体現して生きてる人が、今をときめくアイドルをやってるっていう現実が奇跡で、ありがたくて、この大推し活時代にあなたのおかげで私の居場所がある。キャーキャー(ギャーギャー)言ってもはいはいって感じでゆるやかに受け入れてくれるあなたがいて、私もみんなみたいにキャーキャー(ギャーギャー)言える。あなたになら。あなたにだけ。みんなみたいじゃないあなたのおかげで、みんなみたいじゃない私が、みんなみたいになれる。


わからなくてもいいんだよ、と思う。CARATを見ていると私とは全然違う人生の人だらけだと思って怯えてしまう日もあるけれど、でもそんなの、ドームに入ってみんなで歓声を上げて同じ歌を歌えばどうってことなくなる。私も一部だ。私もちゃんと、この地球の一員として生きている。ここに席がある。
バーノンさんのことも、全部わかりたい、全部わからなきゃいけない、全部わかろうと努力しなきゃいけないと思ってたけど、そうじゃなくなった。わからなくてもいい。どっちだって、好きだということは変わらない。だってそれはひと目見てわかることでしょう。他の何かなんていらないでしょう。好きってそういうことでしょう。
でも知りたいよ。あなたが知ってほしいと思って公開することはできるだけ知りたいよ。だって好きだから。

バーノンさんに頼る日々は終わり。だけどずっと好き、これはきっと本当の永遠。あなたはずっと、私のアイドル。

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