英語の勉強をするのではなく、英語で勉強するの
時々、人生のすべてを英語力向上のための勉強にかけているのかこの人は?と思うような人のツイートを見るんだけど、それはそれですごいことだなと思う反面、他に勉強することもあるだろうにと思うことがあるのね。
そういう人の中には、TOEIC満点を目指し、満点をとってもまだその試験を受け続け、日常生活の大半を「英語の勉強」に費やしているように見えるわけ(実際どうかは知らないけど)。「英語検定最上位級〇冠達成」みたいなプロフィールをのせていらっしゃる方もお見かけします。そして、「ネイティブ並みの英語力をつけるために頑張る」みたいなことも書いていらっしゃる。
その人たちのことを、私は批判するつもりは全くなく、すごいな、立派だな、相当努力されたんだろうなとは思うけど、どうしても共感できないのはコレなのよ。
それって、自分が英語ネイティブの人に劣っているって蔑んでいるみたい。
そりゃ確かに「英語力」という意味では劣るかもしれないけれど、そんなの当然だし、人として劣るわけでもないし、なんで日本語を母語として生まれ育った人間が、わざわざ英語母語の人に語学力の面で挑まなきゃならないのよ。なんで「追いつかなきゃならない」のよってね。
いいじゃない、日本語風の英語でも。
いいじゃない、日本語的発想の英語でも。
そりゃ、「英語の感覚」ってのが身についてくると、英語話者の思想や文化がちらっと見えてきて面白いという面は多々あるし、外国語を学ぶことで、改めて別の言語について感じるところも多々あるけれど。
なんで英語話者の思想や感覚に合わせなきゃならないのよ。
まあ、思考力や知識の面で優れていて「合わせてあげる」というならそれもスゴイけどね。
英語力向上のために毎日の大半を英語学習に費やしている人に、たいして努力していない私がとやかく言う気はないけれどね、たまには絵本を読むとか(そりゃ極端か^^;)楽しく英語に接するのもいいんじゃないかな。
私は「英語の」勉強はしない。
「英語で」勉強することはたくさんあるけれど。
でもね、たしかに英語は便利よ。
何か調べたい時に検索して、日本語ページはないけれど、英語のページはあるし。他の言語のサイトでも「英語ページはこちら」ってボタンはあるし。
旅行に行った時に、英語圏以外の国では、なんだかんだ言ってい英語が役に立つのは言うまでもないしね。
そういう意味では、英語の勉強は「必要ないとは絶対言えない」けど、ネイティブ並みに習得しなければならないと必死になって勉強しなければならないものでもないと思うわ。
その時間に他の言語を勉強するとか、本を読むとか、旅行に行くとか、なんか楽しむ方が人として豊かになれる気がする。
ま、価値観はそれぞれなので、そうしろとは言わないけれど。
さ、じゃこれ書き終わったら...フランス語のお勉強でもしようかな^^
でも、文学を楽しむの。
それだって立派なお勉強。
...や、やっぱり映画にしよかな。
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