現存地獄とは?(2)遠距離ケアラー、貧困、銀行、戦争、災害、
経済は悪いと言われるイタリア。ニュースでは悪い話しか出ないが、
実は低安定している気もする。やはりイタリアは闇経済もあり、表面的だけでは語れない。
金持ちの中流化は進んでいるが、若い子で、クリスマスイブにルイヴィトンなどのブランド紙袋を下げてる人もいる。慌てて彼女や彼への贈り物?
最近のドイツ、オーストリアなどと比べると、悪くない状況。
それがクレカで買ったとしても。
お金持ちが中流になり、中流がひどく貧乏になったのである。
その国のスーパーへ行くと、経済がわかるとよく言われるが、まさしくイタリアのスーパーの溢れるような光と、食べ物の多さ。メルカートの賑わい。
どこをとっても、貧国ではない。エンゲル係数が上がっているのは、わかるけど、、、、なんやかんや銀行に記録されないところで人は稼いでなんとか生きているイタリア。たくましい!
幸せムード地獄
この華やかなクリスマス最中、地獄なのは、病院に家族がいる、家で介護をしている人たち。投げ出せない。当たり前ではあるが、楽しいことから疎外された気分。惨めな気分は払拭できない。
入院患者はクリスマスなのかさえわからない人も多い。ぼっとしていて宙を見る、無呼吸のいびきをかいて眠る、大声をあげ唸っている。その病院地獄を私はじっと見ながら、う〜ん、と銅像のように固まった。肩も背中も痛い。
クリスマスのシーズンに、病院へ行くのは真面目に辛い。
それが毎日繰り返されるたびに、だんだん心がひんやり。
まさにケアラー地獄である。家族の面倒を見るのは当然だというこの現生社会のあり方、当たり前だけど、う〜ん、小家族でこれが続くのは厳しい。
入院患者の見舞いは落ち込みすぎて行けないという人も多くいた。私はほぼ毎日行ったが、気持ちはわかる。
↑ 前回の投稿、
遠距離ケアラー地獄
ちなみに夫は、ヤングケアラーであったわけではない。でも高齢になった両親から生まれた子供なので若者ケアラーであった。
20代後半からすでに親のために病院へ行くことは多く、その頃ミラノ在住でトリノ出身の彼と付き合いだした私も、彼の家族のために病院へよく行った。トリノへ行く=病院へであった。
病気がちだった義父がだいぶ前に亡くなり、義母を支えるのは夫と、従姉妹の一人。従姉妹もトリノ在住ではない。(車で一時間かかるところにいる)
夫は今や立派な海外移住遠距離ケアラーの一人となった。
夫の海外移住の理由は若い時オランダへ交換留学もしているほど海外志向が強かったのと、イタリアは日本同様、親リッチ、親コネがないと未来が明るくないということもあった。
いい仕事は、どこかのボンボンが親の仕事をとってきてそのまま彼らが会社のいいポジションに上り詰めるのが当たり前。(電通か‼️)
夫は希望がないとイタリアで仕事をしていて感じたらしい。
このままでは気持ちが冷え上がってしまうと、オランダの大手の会社に受かり、私と一緒にオランダへ移住をした。(私はその頃イタリアへ留学をした後に、カメラマンの仕事をしていた)
イタリアで知り合う優秀オノコたちは、いま考えると親コネがなく、初デートで私に移住を一緒にと持ちかける人が多かった。仕事はみなさんバリバリしている人だったから一見では分からない。夫と同じような考えをしている人はその頃から結構いたのだ。すでに25年前からそうなのである。
医療費や福祉費が半端なく高齢者にいってるのは日本だけではなくイタリアも同じ。医療の進歩=薬大好き=長生きが善=死ぬのは怖い、と信じてる人も多い。若い人の年金はあるのかどうかが疑問なのも同じである。
現在イタリアの若者は、その頃よりもっと積極的に海外へ移住している。親が金持ちでもそうなのだから、イタリアの未来は厳しい。
他の海外移住ケアラーたちの地獄
海外での友人は、自分の親(この場合日本)に何かあると遠距離ケアラーとして自国へ出かける人が多い。私たちのようにカップル両方が外国人という例もある。
ある友人の夫、アメリカ人は日本やオランダ滞在国からアメリカまで遠距離でよく出かけていた。『死にそうです』という一声が介護施設からかかると高い飛行機チケットを買い、訪問する。すると、高齢の両親は息を吹き返す。その繰り返しし。両親どちらもが亡くなった二、三年後、彼は自分の最愛な家族、まだ小さい子供たちを残して心臓発作で亡くなった。これが、遠距離ケアラーの現実。
海外移住組の多くの人が、親を取るか自分の命を取るかという選択を取らされる可能性大なのだ。
また、東京などの大都市出身の海外在住女子の場合、いわゆる引きこもりの兄弟を持つ人が多い。完璧主義な男性が多く、打たれやすいのかもしれない。家に篭ってる兄弟が親を面倒見てくれる場合も時にはあるが、既に、人生をやめている人が多く、親への介護負担ができない。
そうなると残された子供、この場合、海外在住女子が親の状況を見に行き、介護施設を決めるかなどの手続きをする。こちらの子供は夫に任せて、自分の仕事は休む。
リモートで、医療現場と直接やり取りをする場合も多く地獄のようだ。
地方出身女子の場合は、違う地獄が加わる。コロナ期、空港からタクシーを使い地元に帰らなくてはいけない、介護しないといけなくなった女子たちは、行きと帰りで、25万他、飛行機代の他に払っていた。
そして古いしきたりの地方の場合、実際の介護をやるのが当然ということで、実家、あるいは親の住むところで介護をする。女子にとって、人生はなんて過酷によりなるのだろう!
そして、これを書いている今、日本の叔父が死んだ。去年の冬に続き二人目。どちらも私が小さい時、従兄弟の中で一番上の私を何かと可愛がってくれた叔父たちだ。どちらの叔父の葬式にも行けない。もちろん余程の財力と時間が余っていたら、ここからでもいけるだろう。去年癌の手術をした母のことも気がかりだが、妹に任せきりでまだ日本へは行けてない。(←私が引きこもり男子的な)
そう、財力不足の私たちがこれから心配しなくてはいけないのは、お金にまつわる地獄だろうか? 老後貧困は嫌なので、なんとかしないといけない。
義母にはバダンテ(24時間ヘルパー)雇用契約を結び給料を払うことになった。私たちはどこまでこの状態で行けるのか? どう考えてもそんなに長く続くわけはない気がする。どう考えても私たちは年金生活まで遠い道のりの歳月がある。こちらの仕事をやめて、イタリアに移ることは難しい。(イタリアに移っても義母と住むことは今更できるのだろうか、できないだろう)
銀行地獄
夫が銀行地獄にハマった。
バダンテの為の新しいカードの発行etc。今までのヘルパーへの支払い、どれも、入院している人ができることではないので、夫がやることになった。
デジタル化自体は普通のイタリアだが、ある一定額以上の現金を下ろすにはアポを取り窓口で受け取ることになる。予約時間から二時間以上待たないと、番は訪れない……。
extraカードは、初めから本人(義母)は入院していると話していたのに、銀行員は、「本人がここに来ると思っていた。来ないならダメ」と傲慢に言う。
イタリアボンド(債券)にお金を移そうとしてチェックすると問題のある契約書であった。
恐ろしく信じられないことばかりなのだ。
銀行員に文句を言うと、「私や、あなたが変えられることではない、この銀行システムは」と言い切られたらしい。古すぎる!
銀行業務が昔、始まったのは貴族や商人たちのためだったわけで、いわゆる今で言うところのプライベートバンカー的な?
要するに庶民のためではない。
その精神がイタリアには今もあるということである。
オランダのシンプルな制度に慣れてる私たちから見ると、はっきり言って異常である! オランダの銀行はATM自体が少ないが、チャットで会話もできれば電話で相談、口座を開くのも簡単だ。
イタリアでは新しい銀行を開けるにあたって、金持ちには、銀行を紹介するエージェントもいるが、庶民の私たちには関係ない。
銀行を閉める、変える、なども労力的にもお金的にも割が合わない。(私はイタリア留学中に二度経験済み、大変だった)
友人たちに、オランダへお金を移すほうがいいと言われるが、オランダの税金には財産税もあることを彼らは知らない。(利息にではなく貯金に税金がかかる)
この件はまだ解決はしてない!
デジタル化された国から、中世の時代へ足を踏み入れないといけない。
生活のために海外移住、年をとるにつれ悩みが拡大。
各国医療ギャップ地獄
ところで、オランダは私たちが移住する前は福祉の国だったが、21世紀になり、隣国などと違い福祉国家をやめてアメリカ的とも呼べる物質主義の国になった。老人ホームも、一部を除いて閉鎖した。サービス付き高齢者向け住宅だけがある。
高齢者という条件だけで安楽死ができるようにするという国民投票を(元ルッテ政権誕生時=現在Natoのトップ)したときは流石に驚いた。これは映画『プラン75』のようなもの。流石に国民投票で否決された!
安楽死を一番最初に始めた国なので、基本的な条件を満たせば安楽死ができるのは確か。私は周りが安楽死で亡くなることにはだいぶ慣れた。
オランダの医療制度はというとデジタル化されてて便利。介護にはロボットがはいる。ただ高齢者がイタリアや日本のように簡単に入院もできなければ、手術もできない確率も高い。延命は少ない。
切り捨てるプロットコードが高いのである。(体重が40キロ以下、カルシウムが足りない場合、他)
オランダは抗生物質などの薬をださないのでも有名だし、日本やイタリア、英国のように簡単な病気ではかかりつけ医にさえいかない。だから病院へ行くことも少ない。
来させないということで、人手不足を補っているのだ。
(医療崩壊を防ぐ)
ポジティブ面では障害者が生まれても手当が手厚いし、その辺りはさすがにオランダ! であるが、基本全てはその人の自然にもつ生きる力次第。
何度か死にそうになった私と夫の場合で見ると、一度助かると、その後の専門医での治療は、納得のいく十分なものになっている。
ただ高齢になりいざという時、私たちは手術ができない可能性があることは簡単に予想できる。その場合、私たちに残されているのは、海外での手術で延命か、オランダで自然死か、安楽死しかない。
私たちは延命ほぼ無しな国住み。親は延命第一な国に住んでいる。
そこには埋められないほどのギャップがあり、矛盾や問題が生じる。
私たちの方が先に死んだら、親はどうなるのか? もう時期91歳の義母は、100歳まで生きれる体とかかりつけ医に言われてる。
イタリアの福祉制度と医療充実のおかげででもある。
オランダという資本主義バリバリの国に住んでるケアラーの私たちは先に死ぬことで、役目を終えるのか? どちらの運命も地獄なのか?
戦争。ガザや、ウクライナの地獄から、自然(?)災害の地獄
『幸福の形はいつも同じだが、不幸の形はそれぞれにより違う』というが、
ロサンジェルスが火災地獄である。まるで、私が見た、『Civil war』前夜と言っておかしくない。まるで地獄の中を彷徨ってる人がたくさんいる、なんていう年明けだろう。
自然災害であると思うが、放火犯も捕まっている。この機に合わせて火をつけている人もいるということだ。鬼だな!
全てを失った人の姿が、悲しい。
戦争に巻き込まれた人たちや、あるいはガザの地獄も考える。
『どう生きるかがよく死ねることの鍵』だとはよく言ったものだけど、ジェノサイドで死んでいく赤ん坊を考えながら、生きる自由がまだある人は、よく生きることを考えるべきなのかもしれないと、最近おもう。まだ私たちは屋根のあるところに寝れている。
とても長くなり、これも二つに分けようと思いましたが、このままで。この雑記を元にして、そのうち違う作品にしていこうと考え中です。今後もよろしくお願いします。