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ニュースな女からリアルな女性へ『Black Box Diaries』、ドキュメンタリー映画の傑作!?
伊藤詩織さんと言ったら、そう安倍晋三氏と仲良かった記者、元TBS記者の山口敬之から性被害を受け、司法へ訴え、刑事裁判では不起訴だったが、民事裁判では勝利を獲得した人。
このBlack Box Diaries、をまだ観ていない人は、難しいだろうけど、その伊藤詩織さんの、というフィルターをかけないで欲しい。
この映画の中では、何かの時に日本女性に起きるであろう社会や法律の闇が浮き彫りにされているだけではなく、彼女の人となりがリアルに迫ってくる。多分、傑作!?
私自身は見終わった時に、彼女の勇気と力に快哉を叫びたくなり自然に涙が溢れた。簡単に涙がでない私が、この映画では、恐ろしいほど涙がでた。
何かが私のツボに入ってしまった。
頑張ろうとすればするほど叩かれる社会、
法律で見過ごされている女性への暴力、
性暴力以外での言葉の暴力、
東京新聞の望月記者もこの映画の中にでて来たが、そういえば彼女も伊藤詩織さん同様、生意気な女とバッシングされた人だったと思い起こした。
沢山の受賞と、それプラス、元弁護士の会見などで問題作としても最近は浮上してきたことを最後の方で触れようと思う。
サイレンスブレーカーとしての詩織さん
レイプ被害を訴える、、、、、、、、
それにしても日本では訴える人が少ない、レイプ被害。
沈黙する理由は、多くの人が知っていること。
家族からも疎まれる。そして周りからも被害者、あるいは有名になるためなどという批判の目で見られ、警察では人形相手に、やられたことを再現しろということになる。
世間からはレイプされる側が油断していたからだ。その服装がいけないなどと、叩かれる。セカンドレイプと言われるダブル被害! セカンドレイプを避けるため、多くの人は訴えない。
それも、とてもわかる。
訴えた彼女は実際、日本社会という十字架に貼り付けられた
今までこういった被害を多くの人があまり訴えてない状況の日本で、訴えるということは、未到の地を一つ一つ歩んでいく彼女の行動を、世論がそして女性もバッシングした。(有名な女性には杉田水脈や、はすみとしこ他)
被害を訴えたことで、彼女を批判する声が時には大変重く彼女にのしかかり、この映画の中にも出てくるが自殺未遂もしている。
「もう、ダメです」と。最後の言葉もセルフで撮影して。
有名になるために何でもする女というレッテルを彼女に貼る人はどういう人なんだろう。彼女の容貌もスタイルも頭も人並外れた人への嫉妬なのか?
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多くの中傷は全て有名税なのか?
いや違うだろう。
女性が大声でこういう訴えを出さないというのが、昔からの日本社会の決まりのようなものであり、それを破る存在を長い間、誰もが歓迎しなかった。
世界的にちょうど広がっていた #metoo 運動も彼女が出てきたのでようやく日本では始まったようなものだ。
なぜ、現在の法律が女性を守るようにできてないの?
女性に優しくないこの種の法律を女性の観点も入れた法律に変えることが、なぜ今までできなかったのだろう?
今ある社会を壊すことに躊躇う人がなぜここまで多いのだろう?
日本は恐ろしいくらい、明治時代からの社会性から変わってない男性優位社会。そういう意味では都会とか、田舎とか関係なく、どこであろうと日本社会は恐ろしいほど村社会なのだ。
民主主義も成り立っていないそういう日本の頂点に立つ首相の御用記者、山口氏に、ほんと、一人頑張って、ジャンヌダルクのように立ち向かったのが詩織さんなのだと思う。
詩織さん曰く、「仕事として考えないと。自分が被害者だと思っていたら、辛い」
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応援は、
初めは応援する人も少なかったのだが、次第に警察の上層部証拠を握りつぶされて起訴に持っていけなかった刑事や、あるいはホテルマン、タクシーの運転手など次々と彼女の味方になる。
その中には彼女と同じマスコミの女性たちもいる。一人の年上女性が、「私は、同じことがあったけれど、そういう時代(社会)だからと諦めていた」ことを彼女に話す。詩織さんが、「温かいブランケットをかけていただいたようだ」と話しながら泣く。
一歩一歩、応援団ができあがっていくことにはっきり言って感動。
サイレントブレーカーは、社会を動かす力なのだ。
一人の女性が口を開いたことにより、社会は動いたのだ、と思った。
それにしても、愚かな男である。相手が悪かった。想像力に欠けている。
社会から抹殺されるのが被害者であってはならないが、
今回は、名誉毀損で訴えられ伊藤詩織さんも支払いをさせられたりしているが、これは日本的に言うと、お騒がせしましたという罰金のようなものなのだろうか? 海外在住が長い私には、日本社会のまだまだ男性を中心にした法律や、空気感に違和感しかない。
ただ、詩織さんが誹謗中傷訴訟で勝訴判決を積み上げる中で、社会の空気を変えていき、Twitterなどの投稿が不法行為と認定されたことで、『ここまで言ったらアウト』というルールが社会に広く再確認され、『攻撃抑制規範』が高まったのはいいことだと思う。そして2023年の性犯罪に関する刑法改正で、「同意のない性行為は犯罪」であることが明記されたのは大きい成果。
彼女の後に続き、被害を訴える人がでてきているのは大きな進歩なのだろう。
映画作家としての詩織さん
2015年、レイプ被害を訴えると決めた後、彼女は自分の行動を一から十に至るまで、全てを記憶した。
音声クリップ、監視ビデオ、vlog、秘密の録音を集めた。
彼女は実際の裁判を検証し、日本の衝撃的に厳格な法律と社会の姿勢に立ち向かう。その結果がこの映画。ほぼ5年間の活動記録なのだ。
この映画は現在、2024年のドキュメントフィルムフェスティバル、アワードで多くの賞を獲っているが、これからよりたくさんの賞を獲るに違いない。当然の結果として……。
日本人の私にとっては、海外にいても何気に知っているこのレイプ被害と、伊藤詩織さんのストーリーだが、それをほとんど知らない海外の観客にとっては、内容自体もセンセーショナル。
二番目の理由は自分を被写体にしてドキュメンタル映画で上手くいくというのは珍しいこと。この映画はセルフドキュメンタリーという、新しいジャンルを確立した。
予定調和的なドキュメンタル制作は普通リサーチしてそれを元に台本を作流。それとの違い、起きてることを全て取るという新しい手法により、観客には次何が起きるかわからないといった、ワクワク感がより湧きあがった。
また、この映画では、言語的には日本語と英語、SNSのユーチューバー発信のようにアップロードされているところなども新鮮に映る。
起きたことをただだつなぐだけではなく、彼女の心象と音楽、あるいは景色、動いてる揺れと、視覚効果としてのフォーカスなどが組み合わさり、なんとも言えない彼女の映画の世界が作り出された。
編集人、Ema Ryan Yamazakiさん、この方のセンスも素晴らしい。
私が生きている間に映画界に、こんな才能がある人が生まれてきたことは素晴らしい。それが彼女に起きた事件から発症したものであろうが、それは彼女の運命なのかもしれない。単にジャーナリストとしてではなく、クリエイターとして生きろと。
チューリッヒのドキュメンタル映画祭で、最高賞と観客省のダブル賞を獲得。サンフランシスコ国際映画祭で、審査員特別賞、Sundance Film Festival 審査員賞ノミネート、NBR(National board of Review) ノミネート、サラエボ映画祭観客賞受賞、CPH:DOX、人権賞受賞、インターナショナルドキュメントアソシエーション、エマージェンシー賞受賞
ハイブリッドの詩織さん
もう一つ、別の観点からこの映画がウケるわけは詩織さん自身である。
英語話者としての彼女が、一人の時の話し言葉さえ、流暢な英語。バイリンガルなのだ。日本語ももちろん完璧である上、英語力がすごい。
帰国子女でもなさそうなので、どうやってこの人はバイリンガルになれたんだろうと好奇心から調べたら、分かったのは高校時代から留学、短大卒業後アメリカの大学のほか、イタリア、スペイン、ドイツでも勉強していたらしい。(親はお金を出さなかった)
上の動画でもわかるように、なぜか英語を喋る時、手の動きがイタリア人になっているのは、面白く、可愛いところかもしれない。
若い頃の留学はその後の語学力や勉強の成果だけではなく、心の筋肉の鍛え方にも影響する。
そしてそれはハイブリッドの人を生み出すのだ。
元弁護士が会見、修正を求められる詩織さん
そして今、
映画順調、賞取りまくりの詩織さんであるが
ここで、この逆風。
これは映画に対して、いくつかの重要なシーンは、もともと使わないで欲しいという話がでていたのに、それを彼女が無視したので、映画の修正を求める会見を元弁護士がした。
あらら、、、、、😨😂
あのシーンがあったからこそ、リアルさが出たのであるけれど、
ホテル側からの映像他、色々なシーンは誓約違反になるらしい。
私は、この『人権上の問題』というのが、半分は理解するけど、半分は納得しない。ドキュメンタリーなのだから、それがリアルであればあるほど、いいものに仕上がるのは当たり前、生きるか死ぬかを潜り抜けたクリエーターとしては、そこは譲れないかもしれない。
実際に、ホテルがカメラの映像について、刑事さん他、実際の声を使われた人が訴えてくるなら、わかるのだけど。う〜ん。
まぁ、この辺りが、法律家と、クリエーターの違いか?
この件は、彼女を訴えるとかしないでお金で解決してほしい。(ぼそっ)
ちょっと長くなりました! これからは、ただ呟きたい映画も、noteに書いていくつもり。
もちろん、深掘りしたい映画は、ちょっと長く。
よろしくお願いします。