「常連」、「いきつけ」。そして「マスターいつもの」
「マスター、いつもの」
バーなどでそう言えるようになるのを憧れる人は多いと思う。
同席した人からみると、「なんだか格好いい」と思うかもしれない。
「マスター、いつもの」とは、その店にしょっちゅう来てないと言えないし、それだけでなく「常連」という称号をもらっていないといけない。
「常連」という称号には、最低限の条件がひとつある。
マスターがその人の何かしらのパーソナリティを知っていることが必要だ。
名前である必要はないが、なにかその人が「どんな人か」というパーソナリティでもって、マスターはそのお客のことを把握する。正体がわかれば親近感のようなものができ、何度も来てくれるうちに「常連さん」とラベリングするのである。
もちろん、名前を知ってもらっているのは大きい。名前が一番強力なラベルだ。
そのうえで、いつも同じものを注文して、マスターがこの人はいつもこれを注文すると覚えた時に、ようやく、「マスター、いつもの」に達するのである。
いつも通う店のことは「いきつけ」というが、この響きもまたいい。
「常連」、「いきつけ」、そして「マスター、いつもの」に行きつく。
これらはいずれも日々の積み重ねがなしうる称号である。
僕は、常連になるほど同じ店に通い続けたことがない。
僕のあこがれは、小料理屋を「いきつけ」にすることだった。
ただ、「いきつけ」ができたとしても、僕は「いつもの」は言わなかっただろう。言おうと思ったこともない。
なぜなら、毎回同じものしか頼まないなんて、退屈だからだ。
たとえばバーにはたくさんの自分の知らないお酒がある。
世界を広げたい欲求があるから、いつも違うものを頼みたい。
ただ、本当にいろんなお酒を知った後、やっぱりこれが一番大好きだと思うお酒に到達したら、その時は、いつも同じお酒を頼むのかも知れない。
いうなればそれは真の達人。
そういう人の「マスター、いつもの」が最強だと思う。