雨の歌は悲しい歌ばかりではなかった。
雨が降り続いている。
雨が降るのを見ているといろんなことを考える。
それは皆同じなのかなと思う。
僕は雨が降るのを見るのがなぜか好きだ。
雨音も好き。雨の音はいろんな雑音を消してくれる。
人の活動も止めるから、自然に街の騒音も少なくなる。
時折、水をはじきながら走り去る車の音が心地いい。
こんな日は、雨の歌を聴いている。
雨のことを歌った歌は多い。
洋楽だと
カーペンターズの「雨の日と月曜日は」
ビートルズの「レイン」
キャット・スティーブンスの「雨に濡れた朝」
ブルーノ・マーズの「It will Rain」
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「雨をみたかい」
ガンズ・アンド・ローゼズの「ノーヴェンバー・レイン」
プリンスの「パープル・レイン」
レディ・ガガの「レイン・オン・ミー」
誰もが知っているところなら、
ジーン・ケリーの「雨に唄えば」
B・J・トーマスの「雨に濡れても」
たいていは悲しさや憂鬱な気分を歌った歌詞が多い。
カーペンターズの「雨の日と月曜日は」の歌詞が分かりやすくて、月曜と雨の日を同じように憂うつだよねと歌っている。
雨は心情的なたとえに使われている。
雨そのものが感情、こころを象徴している。
人は感傷的になると、こんな雨の歌が聞きたくなるみたいだ。
歌を書く人も、悲しいときに雨の詩を書くのだろう。
そして、それはたいてい名曲になる。
例外は、ジーン・ケリーの「雨に唄えば」だ。
雨の中にいても平気だよ、僕は笑顔だ、僕の心の中には太陽があるから。という歌だ。有名なダンスシーンでもわかるとおり、気分は明るい。
タロットには四大論という考え方で物事や事象を分類する考え方がある。
四大論というのは、世界の万物は4つに分けられるという考え方で、風水火地のことである。タロットではそれらを、剣と杯と杖と玉という象徴で描く。雨は水そのもので、水が感情、心情を象徴するのだ。絵としては杯や水を汲むもの、水そのもので描いている。
何かのたとえに雨を使うとき、水は流れるもので、雨が何か悪いことや悪いものを流してくれるという考え方もする。
あるいは、悲しみに暮れるだけでなく、雨が降ってもいつか止んで晴れるの待つという考え方で雨をとらえることも多い。
僕はどちらかというとその考えが好きだ。
雨が上がれば、空は晴れ上がり、太陽が照らしてくれる。
そして、虹が出る。それを見た時はすごくうれしくて、ハッピーな気持ちになる。
雨が降る日は、そんなふうに窓の外の雨を眺め、そして雨の歌を聴きながら明日のことを考えている。
長雨が続くような、今のこの沈鬱な社会状況が早く終わり、そして太陽が輝き、虹が出てくれますように。
一番大好きなのはこの曲。大好きなクラプトンもライブの最後に必ず歌っている。