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愛着を怖れている人は執着しない|特別な恋愛・夫婦関係をつくる

愛着障害は執着を恐れるとあった気がするのですが、愛着不全と思われる自分も執着が怖いです。それは「執着したら見捨てられるかもしれない 」からです。見捨てられ不安から起因する執着への恐怖です。愛着障害の執着への恐怖はどんなものなのでしょうか? 未知のものへの恐怖ですか?

高間しのぶの「質問箱」より

※今回の記事はラジオでも視聴できます。テキストを見ながらどうぞ▼

※この記事は、Twitterの質問箱に来た質問を深掘りして回答したものです。

■見捨てられ不安は誰にでもある

質問者さんの「執着したら見捨てられるかもしれないことへの恐怖」というのは、執着が怖いのではなく、見捨てられることが不安(恐怖)なのです。つまり不安型愛着スタイルの「見捨てられ不安」が根本にあります。愛着不全の方々の、典型的な恐怖・不安といえます。

しかし、この不安は、安定型愛着スタイルの人々にもあります。つまり見捨てられ不安というのは、誰にでもあるのですね。程度が違うだけ。

とりわけ、不安型の人々にそれが強く出ている感じです。就学前の児童の分離不安も、弱い不安もあれば強い不安もあるものです。

■執着があるのは普通の世界

愛着障害の人々は、親密が怖いです。

愛着障害の人には、もともと基底欠損があり、(母)親からの愛着によって育まれる基本的信頼感の部分が抜け落ちています。人を信頼できないので親密になれません。つまり、愛着を感じるものへの恐怖があります。

愛着と執着は似ていますね。ですから、執着を怖れているようにみえることがあります。でも実態は愛着を怖れているのです。正しく言うならば、「愛着を怖れているから執着しない」ということです。

好きな異性ができたとしても、それほど執着しないのも、こんな理由によります。異性としては物足りなく感じるでしょう。こういう特別な恋愛関係、夫婦関係を作るのが愛着障害の人々です。

■未知なものは怖くないのが愛着障害

さて、愛着障害の人にとっては、執着とは未知のものへの恐怖なのでしょうか?いいえ、そうではありません。

愛着のある人々にとっては、未知のものには恐怖があります。少し実態が見えると、その恐怖は期待感や野心や興奮に変わりますが、最初は怖いでしょう。

しかし愛着障害の人は、未知のものには、最初から、それほど怖い感じはありません。むしろ未知から既知になっていくにしたがって、怖さが喚起されていきます。なぜなら未知なものには愛着が生まれていないからです。

これは対人恐怖と同じです。対人恐怖の人は初対面の人には緊張しません。だんだんと会う回数が増えていくと緊張し始めます。このように見ると対人恐怖は愛着への恐怖なのです。

■執着と依存症

執着がないから、愛着障害の人は依存症からも回復しやすいのです。なぜなら依存症とは執着の権化のようなものだからです。

■執着がある(普通の)支援者へのメッセージ

執着のある普通の世界で育った人がどの程度、「執着がない」という状態を理解できるか?それは人が育ってきた環境によっても違うし、それと向き合ってきた時間(勉強してきた時間)によっても違うでしょう。

もし理解の程度について、現在が限界だとすれば、いったんその限界で止めてみるのもマインドフルな生き方です。

いずれまた、その限界はカタチを変えてあなたの前に現れるでしょう。そうやって多角的に立体的に見ていると、見えなかった影の部分も見えてくるかもしれません。限界突破です。そのとき、愛着障害への理解が深まるでしょう。

◇ラジオおやすみカフェ:今宵のメニューは…あしたは新横浜です。

■愛情がクールすぎる人のために

もし、あなたが愛情にクールすぎると感じるならば、臨床心理士などの心理の専門家にアドバイスを求めるとよいでしょう。時間はかかるかもしれませんが、あなたのカウンセリングがうまくいきますように。

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