「虐待は連鎖する」という都市伝説|虐待の最多は情緒的ネグレクト
【お返事】いまのところセミナーをする予定はありません。私がやらなくても、他の先生たちがやられているもので十分です。あえてやる必要はないですが、虐待の連鎖にはモノ申さないといけないとも思ってます。
※今回の記事はラジオでも視聴できます。テキストを見ながらどうぞ▼
■虐待の世代間連鎖を理解するには
最近、児童虐待で死亡事件が増えており、その被告弁護で証言する心理士も増えています。しかしその原因として「虐待の連鎖によるもの」と、まことしやかに証言しているのを見て、暗い気持ちになっています。
何十年前の説だ?とガッカリします。1980年代には、ハーマンも中井久夫先生もすでに虐待は連鎖しないと言っているにも関わらず、一向に消えません。この理由の一つには、愛着についての理解が追い付いていないからです。
心理士の方、法廷で証言するにしろ、しないにしろ、愛着に関しての勉強が必要ですし、社会的(情緒的)ネグレクトについても、もっと知るべきことはたくさんあり、これらの書籍も整備されていないのが実情です。ネット情報はほぼ皆無です。下記はその少ない情報の一つです☺
これについては、虐待は連鎖しないことを主題に、もっと啓蒙していかないといけないと思っており、そういうセミナーあるいは書籍執筆だったらやってもいいかなと思っています。「虐待連鎖という都市伝説」と「情緒的ネグレクト」この2本でしょうか。
■世代間連鎖という都市伝説はなぜ生まれたのか?
精神分析や社会的学習理論などで世代間連鎖が説明されてきました。これが都市伝説になったのです。詳しくは下記記事を参照してください。
では、どんな場合に愛着が形成されないのでしょうか。その筆頭は、
①母親が軽度知的能力障害(⇒多数)
その他まれに、母親が統合失調症、母親に被虐体験がある、母親が思春期心性で心理的虐待がある、2歳までの間に養育者が頻繁に代わっている、施設などで1人の養育者が多数の子どもを見ている場合などがあります。
◇軽度知的能力障害の問題点
子どもの気持ちを理解する能力は、単純な学力という数値では計れない、かなり高度な知的能力が必要です。しかし知的能力障害は脳の障害で、そこは改善することはありません。この疾患がもたらすものとして、
愛着が形成されない⇒虐待行動へつながります
助言が効かない⇒対応方法を考える際に重要です
最近の事件、3歳女児放置死裁判の弁論を検討して、虐待は連鎖していないということを解いていきましょう。
■3歳女児放置死裁判|虐待は連鎖しないという視点から
虐待は継続性と重症度の2軸で決まります。被告の放置行為は何度(20回)も行われており(常習性あり)、これは明らかに虐待であり、親子間の愛着は切れていると考えられます。虐待の2軸判断については、下記の記事をご覧ください。
また、被告は幼児期に激しい虐待されており、表面上は虐待が連鎖しているように見えます。しかし、この事件を始めとして、多くの虐待には、虐待の連鎖はありません。これからそれを確認していきましょう。
以下、弁論を検討した結果、連鎖しているのは虐待ではなく、知的能力障害であることが分かります。虐待によって発症する愛着障害(心因)ではなく、もともとの知的能力(器質因)が問題であることが分かります。
◇弁論の問題点
この裁判の弁論を愛着理論に基づいて心理学的にチェックしました。弁論は文春オンラインからの抜粋です。弁論引用のあと、高間の解説が入ります。
自己が確立されるのは、自我同一性の確立であり、思春期の発達課題です。被告はそれが確立していない(空虚な自分)ということです。つまり精神年齢的には思春期以前であるということです。しかし思春期以前の人がみんな空虚かというとそうではないでしょう。被告が実母に虐待されてきたという事実は報じられており、それは真実でしょう。
しかし一般的には、虐待された人々(愛着障害)の精神構造は複雑で、精神年齢が幼児期でストップしていると同時に「かりそめの成人期」の自分を形作って生きています。
この被告はこの精神状態であったのか?それについては、かりそめでも成人期の部分を見つけることはできないでしょう。
かりそめでも成人期の部分があれば、長期の放置はあり得ません。長期放置がもたらす子どものこころへの傷や身体的負担が容易に想像できるからです。つまりかりそめでも成人期の部分があるなら、子どもと情緒的な交流が成されているので、ネグレクトはあり得ません。
被虐者は、自分の過去を否定する力はありません。過去を忘れ去るだけです。そのため健忘(解離の一種)という心理的操作が働きます。
被告がだんだんとゴミ袋に入れられた記憶が戻ってくる記述がありますが、それが健忘からの記憶の回復です。
しかし、被虐者が嘘のストーリーをきれいに作り上げられるかというと、そんな余裕はないはずです。確かに被虐者は嘘をつくということは養護施設でも知られています。しかしそれは生存戦略の一つであり、ストーリーを作り上げるようなものではありません。自分のこれまでの代替ストーリーを作り上げる余裕もパワーもありません。
弁論は口当たりの良い単語を並べただけのもののように見えます。虐待の本質を外しています。被告は表面上は被虐者のように見えますが、被虐者の心理を持ち出して弁論を進めるにはムリがあるのです。この事件の本質である「器質因」を問題にしながら弁論は進めるべきです。では器質因とは何でしょうか?
被虐者は基本的信頼感がゼロなので、人と親密な関係になることを徹底的に避けます。そのため親密な人間関係を求めることはしません。過去は忘れているので、埋めたいという気持ちもありません。
また、埋めたいという気持ちを持っているということは、愛着を知っていることです。つまり埋めたい気持ちがあるなら、虐待されてこなかったということです。被告は虐待されてきたので、埋めたいという気持ちは浮かびようがありません。
被虐者は、親密を避けるために希薄な人間関係を作りがちです。被虐者が男を転々とするのは、親密を求めているわけではないのです。もし、親密を求めるために男を転々としているなら、それは被虐者とは言えないでしょう。思春期心性か、発達の問題がありそうです。
被虐者は、自分が空虚であることは実感はしていますが、それを埋めようと必死になることはありません。この世界では、そういうものは埋まらないものだと分かっているからです。そのため愛情を求める欲求も弱くなります。
そのため自分に対して執着がないため、自分を優勢にすることはありません。子どもがいた場合は、子どもを第一に考えます。
被告は、そうではなかったということですので、被告は被虐者としてよりも、違う要因があるということです。それが軽度の知的能力障害なのでしょう。
被虐者も他人に合わせていくので断れない心理があります。ただ、精神構造は「かりそめの成人期」を保っているので、善悪の判断はかなり厳しく行います。当然、自分を罰します。被告は、これができないので、被虐者の精神構造ではなかったと断じることができるでしょう。
「解離している」記述は見つけることができませんでした。上の弁論を検討してみると、「強い愛情欲求」があるならそれは、虐待が影響しているものではありません。また「断れない心理」も、虐待が影響しているものでもないでしょう。
以上から、被告の問題は、虐待の連鎖ではなく、知的能力障害の連鎖であると考えたほうがいいでしょう。
今後、被告に必要なのは、虐待による愛着障害の治療というよりも、軽度知的能力障害者への教育と支援になるでしょう。
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