旧暦で過ごす
魔が差して、数日、日記をあげなかった。
いかん、いかん、と自分の尻を叩いて、しぶしぶnoteを立ち上げた。
しぶしぶ、かよ。
今日(1月31日)は、旧暦の大晦日。
今年もお世話になりました。
明日(2月1日)からは、旧暦の新年。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
2021年、「月のこよみ」という旧暦のカレンダーを飾っていた。
現在の日本はグレゴリオ暦(太陽暦)で回っているけれど、
昔は月の満ち欠けを基にした太陰暦を基本周期としていた。
グレゴリオ暦と旧暦は、だいたい1か月くらいズレがある、
というのは多くの人が知るところだと思う。
例えば、明日2月1日が、旧暦では1月1日であるように。
さらに旧暦では、「睦月」「卯月」「弥生」・・・と
和風月名が用いられていた。
国語の授業で12か月分を覚えさせられたのを思い出す。
さて、「月のこよみ」カレンダーを使っていると、
和風月名というのが、なんともその時候にぴったりな妙名だったり、
その和風月名にあわせて二十四節気を当てはめてみると、
なんとも的を得ているというか、
納得感があって「う~む」と唸ったりして、
さまざまな発見があった。
「穀雨」「大暑」「十五夜」などの二十四節気って、
旧暦をもとに使われていたんだよなあ。今更ながら気づいた。
太陽暦に当てはめてもいまいちピンとこなくて、
よくわかんないし、なんの意味があるんだろう、とすら思っていた。
旧暦で過ごしてみて、私が感じた納得感というのは、
実際に、旧暦での和風月名、二十四節気、月の満ち欠けを
専門のカレンダーなんかで日々日々眺められる状況でないと、
おそらく理解し難いものだと思う。
今日でおさらばとなってしまう2021年の「月のこよみ」を振り返っても、
なにに納得していたのか、あんまり思い出せないのだ(なんだそれ)。
とにかく、一年間旧暦にふれてきて思ったのは、
日本人の日々の営みを支えている、目に見えぬものに触れるというか、
自然への敬意と畏怖をあらためて身近に感じられるような気がして、
とてもいい、ということだった。
あ、新年になっちゃった。
あけまして、おめでとうございます。