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ラクラク瞑想 −3−

☆ 雑念から離れる

この連載も3回めになりました。
ここらで雑念とはオサラバしたいところですね。

今回は、瞑想中に雑念が湧き起こる意味を説明してから、雑念を切るメソッドを紹介します。

雑念は無駄ではなく、このプロセスで意識の細かな働きに気づくために使える重要な要素である事に気づかれる事でしょう。

☆ アーナパーナ瞑想

ここまでで説明した瞑想は、アーナパーナ瞑想として知られている古くから伝わる方法です。
実際にやってみて、如何だったでしょうか。
いろいろな想念が湧き起こったのではないでしょうか。雑念とも言いますね。

☆ 思考を続ける習慣

思考やイメージが止まらないのは、これまで受けてきた教育や躾によって身についた習慣です。
私たちが慣れ親しんでいる文化は、自我を強化するようにできていますから、分別による思考も強化されています。
おかげで分別が止まらなくて、「無分別の智慧」などと言われても何のことやらという感じになってしまいます。

☆ アーナパーナ瞑想の効果

アーナパーナ瞑想には、さまざまな想念や感情を湧き起こさせる効果があるようです。
ですから、湧き起こる想念に取り合わずに、ただ観察に集中する練習に適しているのです。
そしてもう一つ、湧き出てくる想念を出し尽くすという効果もあります。
出し尽くすと言っても、本当に尽きるまで続けたらいつまで続くのか見当もつきませんが、その前に疲れてあきらめる時がやってきます。

☆ 避けられない重要プロセス

このプロセスの最中は苦しくもあるのですが、今まで無意識のうちに無駄な思考を止めど無く続けていた事に気付くには、重要なプロセスなので、避けて通れません。
そして、このプロセスのどこかで、想念を断ち切るという作業を体験すると、そこから瞑想中の体験が変わってきます。
断ち切るというのは強い表現ですけれど、もう少し普通の表現をするならば、想念を止めるということになります。

☆ 意図的に想念を止める

この想念を止めるという行為を、意図的に行うのか、あるいは自然に起きるのを待つのか選べますが、待っていると時間がかかるとは言えます。
意図的に想念を止める方法は、あまり知られていないようです。
瞑想が苦手だと言われる方が多いのは、おそらく自然に起きるのを待てなくて諦めたという事なのだろうと思います。

☆ 想念を止める方法

イメージにしろ思考にしろ、理知的な精神活動を止めるのは、元々は簡単なのです。
むしろ続ける方が努力を要する行為であって、止めるにはただ止めれば良いのです。
それなのに止められない習慣が、身に染みついている事実を認めましょう。
この事実は、依存症いぞんしょうあるいは中毒と言っても構わないほどの執着しゅうちゃくです。

執着しゅうちゃくを断ち切る

さて、どうやってこの執着を断ち切るか?!
それは刺激しげきを使うのです。

思考やイメージ以外の、もっと気をく強い刺激しげきを利用します。
大きな音、強い光、刺激的な匂い、痛みの感覚など、強めの刺激があると注意はそちらに奪われてしまいます。
これを利用するのです。

☆ 刺激を利用する

強い刺激を受けると、その瞬間に関心がその刺激に向いて、それまでの思考が止まってしまいます。
日常でも、例えば会話中に外で大きな音がすると、音の方に注意を奪われてしまい、それまでの話を忘れてしまうことすらありますよね。

☆ 瞑想に適した刺激

ただし瞑想中のことですから、強い刺激と言っても、刺激が後を引いたり、怪我をしたり、周囲に迷惑をかけてしまっては瞑想を続けられません。
適度に強くて、周りに影響しない刺激が適しています。
また、特別な設備を用意せずに、いつでも何処でも使える方が便利です。

☆ 呼吸を使って想念を止める

これらの条件を満たす方法は、そんなに多くはありません。
簡単なのは、一度だけ強く息を吸う方法が挙げられます。
瞑想中に、雑念から離れられないと気づいたら、ワザと一回だけ強く息を吸います。
この方法は、周りの人に呼吸の音が聞こえて迷惑になる場合は遠慮した方が良いですが、それほどの音量でないとか、1人で瞑想しているなどの状況では便利に使えるでしょう。

☆ 視覚刺激を使う

もう一つ挙げられるのは、閉じていた目を数秒ほどの短時間だけ開けて注視する事です。
しっかりと焦点を合わせて注視すると、それまで目を閉じて瞑想していた場合には、強い視覚刺激になります。
音がしないので、周りへの影響を気にする必要がありません。

☆ 意識の変化に注意する

これらの方法は、単なる手順として行うのでなく、その瞬間に起きる意識の変化に細心の注意を払う事が重要です。
刺激のあった瞬間に注意を奪われて、それまで取り憑かれていた思考が止まってしまった事に気づけるかどうかが重要です。
初めのうちは思考が止まったとしても、すぐに再開してしまいます。

☆ 見逃す場合は練習を重ねる

刺激に気を取られ過ぎて、思考がどうなったかを見逃すこともあります。
見逃す場合は、観察する分解能ぶんかいのう(細かく精密に識別する能力)が未発達という事ですから、繰り返し練習を重ねましょう。
努力を必要としますけれど諦めずに、また同じように繰り返してください。
繰り返すうちに、意識の変化により細かく気づき、想念が再開するまでの時間が長く保てるようになります。

☆ 禅からのヒント

私自身が想念が止まらなくて悩んでいた頃、「坐禅はこうするのだ」(井上希道著、地湧社刊)という本に出会いました。
そこには、坐禅中に雑念が止まらないとき、上体を捻って左右どちらかの横の畳に両手を着いてから肘を曲げ、目を開けて畳の目をしっかり見るという方法が書かれていました。
他にもいろいろな工夫が書かれていて関心を持ち、参禅をお願いして訪ねた事がありました。
そこでの体験は、それまでの疑問を悉く解決するもので、今でも生き生きと思い出します。
この方法については、とても優れていると思うので紹介せずにはいられませんが、井上老師のオリジナリティに敬意を表す意味で、ここでは深く言及せずに出展を示すに留めたいと思います。

☆ 実践する

さて、解説が長くなりました。
ここまでの解説を踏まえて、実践に移りましょう。

  • 座って姿勢を整えましょう。

  • 目を静かに閉じて、いつも通りの呼吸をします。

  • 鼻口付近の呼吸の感覚に集中しましょう。

  • 何も考えないでいます。

  • イメージを思い浮かべたり、数を数えたりはしません。

  • マントラのような特定の言葉を唱えたりもしません。

  • 考えやイメージが思い浮かんだら、追いかけずに止めましょう。

想念が止まらないときは、一度だけ強めに息を吸ってみましょう。
鼻口付近の感覚とともに、その時の意識の変化にも注意します。

あるいは、上体を左にひねり、椅子のへりに手を置いて上体を支えながらかがんで少し下を向き、目を開けて見える物をしっかりと注視します。
目を閉じて、静かに元の姿勢に戻ります。
鼻口付近の感覚とともに、この間の意識の変化にも注意しましょう。
次に行う場合は、右に上体を捻ります。(左右交互)

思考やイメージを追いかけ続けずに、それらを止める体験を重ねます。
止まっている時間が長く保てるように、繰り返し練習しましょう。

瞑想する時間は、1時間以上が望ましいです。
30分以下でやめてしまうと、しないよりはマシですが、効果を感じるには条件が整わない可能性があります。
雑念に飽きるというか、疲れるというのも、一つの要素として効果を持つので、簡単に諦めずに続けてください。

☆ 姿勢を再チェック

足が痺れたり、背中や腰が痛くなったりする場合は、姿勢に無理があるはずです。
もう一度、座り方を見直してください。
椅子を使う瞑想では、姿勢が正しければ、足が痺れたりしません。太ももなどに局部的な圧迫がないか点検して、クッションの入れ方を工夫してみてください。

皮膚にかゆみを感じたり、チクチクしたり、ゾクゾクしたりといった微かな感覚が生じるのは良くある事なので心配は要りません。
自我の防衛機制の一種だと思われます。

☆ 無念無想に近づく

いかがでしょうか。
ここら辺までは、瞑想と言っても雑念との格闘のような経験になるので、まだ準備の段階です。
とはいえ、想念や思考が止まる瞬間を捉えられるようになると、いよいよコツを掴んだ感じがして、「無念無想」に近づくのが楽しみになるでしょう。

☆ 深まる意識と体験の変容

想念を起こさず、思考もしていない状態を保つようになると、理知的な解釈とは違った感覚で物事を感じたりします。
急に起きると戸惑う場合もありますが、順を追って体験を深めるならば、恐れる必要はありません。
次回からは、深まる意識と体験の変容について、体験者が戸惑わずに済むようにお話しを続けたいと思います。
どうぞ、お楽しみに。

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