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夢を諦めた人に、夢をもう一度与えたい

最近、アフリカで起業することの究極のゴールはなんだろうと考えます。

アフリカでの起業も何かの手段でしかありません。

太陽光発電を普及させることも、アフリカに子ども図書館を作ることも、
究極的には何かを実現するための手段でしかないのです。


そんなとき、前々から思っていたことを一行で言語化できたので、
noteに残しておきます。

今、この瞬間での、僕にとっての人生の使命は、

「夢を諦めた人に、夢をもう一度与える」ことです。

少し時を遡って、なぜそう思うようになったか、
今回はお話できたらと思います。


【第一章】夢がなかった幼少期

以前の自己紹介noteでも少し書きましたが、
僕はサッカーを小学一年生からしていましたが、

夢もなく、楽な方に常に逃げるような子どもでした。

友達を作るのは苦手だし、外で走り回るのも疲れるので、家で1人で遊んでいるのが好きというのが、幼稚園や小学校1,2年生くらいまでの自分でした。

地元の少年サッカーチームの練習も、乗り気じゃないとすぐに仮病を使っていました。仮病がばれて、母親に無理矢理連れ出され、母親の自転車の後ろに乗って練習に送ってもらったことも何度もありました。

当時の自分でも恥ずかしいことをしているのはわかっていましたが、
それでも面倒くさいことやキツイことは嫌いで、楽な方へ楽な方へと逃げていました。


【第二章】夢が僕を変えてくれた

そんな夢も、やる気もない僕を変えてくれたのは、かっこいいサッカー選手たちでした。

2005年12月、世界最強のクラブチームを決める大会の試合をテレビで見ました。

これが恐らく人生で初めてちゃんと見たサッカーの試合です。

当時8歳、小学三年生でした。

スティーヴン・ジェラード選手率いるリバプール(イングランドのクラブチーム:当時のヨーロッパチャンピオン)の選手たちのプレーを見て、
「かっこいい!!」となりました。

ジェラードサッカーダイジェストWebより引用

サッカー選手への強い憧れがここから始まります。

2006年の夏に開催されたドイツW杯では、開催国ドイツを率いるミヒャエル・バラック選手が、自分と同じ背番号13番を付けていたこともあり、そのプレーや熱いキャプテンシーに完全に魅了されていました。

バラック選手nikkansports.comより引用

そんな2人の偉大な選手が、僕の人生を変えてくれたのです。


【第三章】夢があるから頑張れる

すっかりサッカー選手になることが夢になった当時の僕は、次第にサッカーと本気で向き合うようになっていきます

小学校時代、逃げで選んでいたキーパーのポジションから、フィールドプレーヤーへの転向を決意したときも、

中学校時代、サッカー部12人で自分だけレギュラーじゃない期間が続いたときも、

高校時代、『もう今後の人生でこれ以上肉体的に辛いことはないだろう』というキツイ練習のときも、夢があったから頑張れました


【第四章】夢は終わらない

結果的には、サッカー選手にはなれませんでしたが、
なりたかったものの本質は、「人々を熱狂させて活力を与える」ことでした。

憧れていたサッカー選手は、スタジアムが揺れるほど観客を沸かしていました。そして、何よりテレビの向こう側の少年に大きな夢を与えました

アグエロ

そんなかっこいいサッカー選手のような生き方をすること自体が、自分の人生の目的だと最近気付くことができました。


【第五章】もう一度夢を見てほしい

周りを見ると、同世代でも夢を諦めて安定の道を選んでいる人もいます。

安定を捨てて不安定な道を歩んでと言うわけではありません。

何か自分に制限をかけたり、知らず知らずのうちに妥協の選択肢をとっているのを見ると、もったいない気がしてしまいます。

一度夢を持ったことある人なら、夢を追いかけているときの輝きを覚えていると思います。

みんなが輝ける世の中になってほしいです

諦めた夢を、もう一度追いかけてみようと思ってもらえるような、そんなきっかけを少しでも与えられるような人間になりたいです。

最後に、ウォルトディズニーの言葉を贈ります。

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All our dreams can come true, if we have the courage to pursue them.

夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。



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