知識が増えると、見える世界も広がってくる。 例えばスーパー店先に山積みにされているリンゴ。今までなら値段と品種ぐらいしか目に入っていなかったが、今では「サンふじ」と書いてあるから無袋栽培のふじで、無袋栽培の場合色にムラはあるが味が良くなる傾向にあること。時期から考えて、恐らく収穫後貯蔵庫で保存されていたものだろうと予想がつく。 こんな感じでリンゴに関して色々なものが見えてしまうのは、ききりんご紀行(谷村志穂/集英社文庫)という本を読んだからだ。 北大農学部出身の恋愛小説家が
東京都写真美術館で行われている本城直季さんの写真展に東日本大震災で被災した釜石市の写真がある。かつて街だった場所に瓦礫は散乱し、作業のための車がある。 しかしミニチュア化された被災地はちっぽけで現実離れして見える。 だがその地では数千・数万という人が亡くなり被災している。その現在とのギャップに恐ろしいものを感じた。そして、311や被災地というものから随分と心が離れていってしまったことを突きつけられているような気もした。そして311を忘れるなという強い意思も感じた。 ミニチュ
集中力が続く時間は平均すると50分ほどらしい。 これが子どもだと15分ほどで、大人になるにつれて集中できる時間が伸びてくるのだそうだ。 アニメは30分。ドラマは1時間で映画は2時間。しかもテレビであれば15分ごとにCMが入るし、映画は緩急をつけてく息抜きみたいなシーンがあったりする。なるほど理にかなっている訳だ。 しかし、いまの自分は集中力が続かない。アニメやドラマ・映画を観るときは1カットごとに一時停止を押しているし、本は数ページをめくるごとに手を止めて、この文章も一段落ご
1度大きな病気になったことがある人は、健康に対して気を使うようになる。 うつ病を経験している自分も例外ではなく、社内評価や預金残高を増やすことより睡眠時間を気にするようになっていた。ドラクエで言うところの「いのちだいじに」。それでも社会人としての責任や役割を果たさなくてはとがんばっていた。 自分では「ここぐらいまでなら大丈夫だろう」と考えていたが、それが限界ギリギリだったりして、たぶんアレ以上踏ん張っていたらもっと悲惨なことになっていただろう。自分のことを客観的に見るのは難
きっとどこかの会社では、抜けた人員を埋めるために、納期に間に合わせるために、売上を上げるために、馬車馬のように働いている人がいる。 そんな人たちに悪いなと思いつつも、いまこの場に流れる風、のんびりと流れる時間を感じている。 でも、あのまま働き続けていればこの場所を知ることはなかったんだろうな。 自分が俳人か歌人ならなにか思いつきそうな二子玉川・多摩川河川敷。
昨日から降り続く雨、季節外れの寒さ、月曜日。しかし心は軽い。逆説的に仕事がいかにストレスだったかを知る。 人間関係は問題なかったと思っているし、残業はツラかったが、ある程度仕事量を減らしてもらって残業を少なくしてもらってた。しかし成果を求められるプレッシャーや、納期に対する焦りなんかが思っていた以上に負荷になっていたのかもしれない。 いや、そもそもとして自分の持ってる気質みたいなものがストレスに弱いのも問題がある。 ただ、いますぐ答えをだす必要はない。時間はまだたっぷりある。
国木田独歩とか読んだことないけど、里山の良さはなんとなくわかる。 季節は春。桜は咲き、鳥はさえずり、子どもは駆け回る。 休みだし、こういう場所に行くのもいいでしょ。
いま人生何度目かのどん底の中にいる。 1度目は友達がいなかった高校2年生のとき。 2度目は自分の才能のなさと将来に対する不安に押し潰された大学生のとき。 そして今回は、週5日9時から5時まで憂鬱すぎて働けなくなったから休職することになった。 なぜ憂鬱になったのか。そこらへんは自分でもよくわかっていない。ホワイトと言えないまでも、体調に合わせて仕事量を減らしてくれたり、親身になって話を聞いてくれようとする上司もいた。会社に対する不満がなかった訳じゃないが、メンタルを病んでしま