私の傷の『原体験』

※原体験とは人の生き方や考え方に大きな影響を与える幼少期の体験のことをいうようです。

先日バズったこのツイート。
よくよく過去の記憶を振り返ってみたらここの部分とリンクしてた。

昨日オンラインACちゃんぽんが終わった後に友達と通話してたんだけどそこで小さい頃の記憶の話をいくつかしたのね。
私幼少期~実家出るまで、勿論出た後もなんだけどほとんど記憶残ってないのね。
一部残ってるけどそれは色んな人にその記憶のことを話してるからそれによって残った…ていう感じ。
その記憶たちの共通点が上記ツイートの内容にあるなぁと結びついて。
あっ!元は一緒やんってなった。
それを少し話していこう。

毒親エピソード的な話になるんだけどね。
私は小さい頃からしょっちゅう叩かれ蹴られ殴られは当たり前だったの。
+精神的暴力もあった。
身体が大きくなって高校生くらいになる頃には身体的暴力はなくなっていったんだけど、精神的暴力(暴言)は今も普通にあって、直接会うなどの接触があった時は必ずしもチクリチクリ言われてた。

①これが一番古い記憶になるかわからんのやけども。
幼稚園位の時の話。
その日も散々どつかれて押し入れにこもってワンワン泣いた後に紙にペンで強い筆圧でぐしゃぐしゃっと書いたのを親に見せて「私はこれくらい傷ついたんだ!わかれ!」みたいに出したことがあった。
それもあの母親は相手にせず歯牙にもかけなかったけど。


②中3の時に。
クラスで元は仲良かった友人達数人にハミゴにされたこと。(イジメまでいったかは判断つかない)
そのボスの子が一時期親友と呼べるくらい仲良かったのに何かが引き金となって私は独りになった。
そのイジメ経験はそこまでの傷ではないんだけど母親の態度がね…
その頃はどつかれても暴言吐かれてもまだ親のことが好きな時期だったし、母親に学校で何があったかは話してた。
(でも感覚的には相手敵なのに自ら弱みを話すような吸い取られるようなそんな感じ)
それでそのイジメのことを母親に恐る恐る言うたら「そんなこと大人になったらいくらでもあるわよーアハハ」と笑い飛ばされて。
それを言うまでに私の中でめっちゃ葛藤してて。思い切るまでにどれほど大変だったか。
そりゃ大人になった今、そういうことは転がってることかもしれない。それはわかる。
でも中学生にとっては学校と家庭が全ての世界を覆ってて、元は親友くらいだった子の態度が180度変わって。それが何が原因か(当時)ハッキリわからないってのは恐怖しかない。
家庭環境も安心できない、学校でもそんなことがある…となってあの時期に心凍らせたよなぁて今じゃ思う。
その出来事がキッカケで「親には心開かないでおこう、話しても傷つけられるだけ」て自分を封印した気がする。

③これは上記ツイートとちょっと違うかもしれないけどトラウマの1つになった出来事。
私、大学を中退したんだけどその時の親子喧嘩がほんとひどくて。
家出して友達のうち逃げ込んだり色々あったなぁ。
その時に母親から言われ続けた「私に『説得と納得』をさせなさい!!」がずっと残ってるなぁ。
その大学中退てのも大学がしんどかったんじゃなくてね。
当時SSFF(ショートショートフィルムフェスティバル)ていう短編映画祭と出会ってね。
それのある映画と出会ってめちゃくちゃ感動して私もそんな映画を撮りたい!てなったの。
そのためには学校辞めなければ!て考える辺り短絡的なんだけど、ネットとかTwitterとかない時代だったし友達も少なかったし年上のアドバイスしてくれるような人もいなかったからね。あと私一人っ子てのもあるからお手本になるようなロールモデルも身近にはいなかったのね。
だから最初はそれを言うてたけど、言うてる内に責められる内に自分のほのかな灯りのような将来の希望なんてなくなっていったのね。
ただこの苦しみから逃れたい、怒らないでほしいてのが強かったんじゃないかな。
あ……でもこれも上記ツイートとリンクしてるわ。
自分の意志を出そうとしたor自分の意見を言ったのにコテンパンにやられるの。
その積み重ねで自分の気持ちやSOSを発信するのが怖くなったんだろうな。


上記3つは相当大きいトラウマだけど、ほんとうっっすら覚えてる程度だからきっともっとたくさんの数否定されてきたんだと思う。
この繰り返しが私の中で無価値感になりSOSを発することにブレーキがかかる要因となったんだろうなぁ、と。

これ普通に生活してる分にはあまり困り感少ないんだけど、SOSを言う場面であったりネガティブな気持ちやNOを相手に伝える時にものすごくブレーキがかかる。
信頼してる友人数人には「NOを言ってもネガティブな気持ちを伝えても関係はこれまでと変わらず維持されていく、(これまでと変わらず続くことを)信頼しても大丈夫」ていう安心感が少しずつできてきた。
この体験が私にとってはほんと目からウロコ的な体感で「言っても大丈夫なんだー!」て安心に繋がった。
最近はこの友人達だけではなく他の人に対しても「NOを言うべき時に言う」ができてきて、自分の領域も相手の領域もそれぞれ守れた感があってなんとなくメンタルステージ?が上がった気がする。
逆に相手から「NOを言われる」てことにも大丈夫になってきてむしろハッキリ言うてくれてありがとう、と好感を持つようになった。
元々前々職がクレジットカードの募集の仕事してたから、日によっては100人以上のお客様に断られることも日常茶飯事だったのね。(年会費あるカードだったし)
だから『断られ力』みたいなのはあったんだけど、でもそれはあくまで仕事の話だからねぇ。

そしてこのトラウマを今後どうしていこうか…という分岐点にかかってる。
その信頼してる友人達との間で私のこのへんがブレーキかかったり過度に反応することによって話することすらできなくなるのを、なんとかしようて話を持ちかけてくれた。
「変わらなくてもいい」と言ってくれてるのだが、私は戸惑ってたり。

そんなこんなで私自身の頭を整理するためもあり書き出してみた。
『原体験』てほんま大人になっても影響するよなぁ。。。

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