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褒め言葉と記憶

私は人から言われた褒め言葉に対して判断したり期限を付けたりを無意識にしてるらしい。条件付きの愛だと自動変換してたらしい。(自覚があまりなかった)
相手から言われた褒め言葉やそう伝えてくれた気持ちを考えたらとても嬉しい。
イメージとしては《褒め言葉⇒自分に向けられることは嬉しい》
が、自分自身その言葉達を受け取ることができてなかった。
受け取るというか元々記憶する力が激弱いのもあり、言われた瞬間は感謝&嬉しみなんだけど正直記憶として内容を覚えておけないんだよね。(これまで言ってくれた方達本当にごめんね)

話は少し変わるが、先週末に仲良い友人達と話して色々指摘されたり励まされたりした。

●指摘されたこと↓
①ソラみさんは褒め言葉が「記憶」として定着しにくい
②褒め言葉を受け入れる「受け皿」ができてない
③「受け皿作り」をするには?
⇒判断しない(そのままを受け取る)
⇒条件や期限を付けない
④自分で「条件付きの愛」に変換してる(←これ永遠の愛を求めてるように見える、と言われたが私自身それは求めてない)
⑤過去、食わず嫌いor試しに食べたら激マズだったのではないか?(イメージの話ね)

⑤の件は思い当たる節アリアリだった。母親がよくアメを配ってきた。私にとってはあれば嬉しいものであったり手に入れば便利でいられるもの。(お金なども含む)。だけどアメは同時に毒も含んでいてそのまま警戒せず食べると痛い目を見た。言質をとられたり「これをあげたんだからこれをしろ」の命令が無言の空気の中に含んでたり。だから一見ポジティブに見えるものや言葉も警戒しないと受け入れられなかった。

⑥記憶に残ること⇒興味深い、いつどこでの出来事    /記憶に残らないこと⇒私が感じた(であろう)嬉しい、幸せ

⑦自他分離にかこつけてバリア張ってるだけではないか

⑧愛を食べてるのに身になってない、得た経験値をトイレに流してるor冷蔵庫の中に入れたまんま腐らせてる(イメージの話ね)

⑨相手に愛を与えると奪われるイメージがあるのでは?⇒ブラックホールで吸収されて自分がなくなっちゃう感覚がある

⑩褒め言葉を他人事として受け取っている

指摘されたことは大体当たっていた。特にビックリしたのは私の記憶してることの種類だ。⑥のことね。そういえば私自分の感情のことってあまり記憶の中に残ってないな…

途中友達と話していて気付いたことがある。

●言葉に乗せられた愛(褒め言葉)を受け入れてない⇒これを受け入れるには?

と、自問した時に湧いたのは【体感】だった。

それと同時に過去のことを思い出した。私は15年くらい前に眼鏡屋に勤めていた。そこの眼鏡屋は小さいお店ながらもとても変わった眼鏡を置いていたり同僚も上司も社長もみんな変わっていてとても面白かった。そんな勤務先で遅刻→無断欠勤→黙って退職をしたことがあった。その時のことはずっとその後何年も何年も罪悪感と後悔で縛られていた。だがある時お店に直接出向いて「あの時はすみませんでした!」と謝りに行ったことがある。号泣してしまい上司や社長からは許しをもらい「いつでも遊びにおいで!」と言われとてもホッとしたことがある。その時のことは今でも大体記憶に残っている。

そこまで思い出した時に閃いた。「そうか!私の場合【順番】が大事なんだ!」と。

頂く褒め言葉は最初に他者発信が一番目に来る。自分発信が一番目に来て他者からの受け入れが二番目に来た時に私は愛を感じやすいのではないか、つまり実感として感じやすいのではないか、と仮定した。(もちろん人から褒めて頂くのはとても嬉しいしありがたいです)

例えば普段私が主催してるイベントや自助会など。これもある意味自分発信が最初に来るよね。どういう趣旨で開催するか、いつするか。それらを考えた上で実行してる。そしてイベントに対してお客さんが来てくれる。正に①自分発信②他者受信の順番だなぁ、と。だからモチベーション尽きないんだなぁ、と再発見した。

色々指摘されたことはほんとびっくりで私の知らない私がそこにいた。だけどよくよく振り返ってみると「あぁー当たってるー」「そう考えてることあるあるー」てなった。あまり自分の感情に実感がないためすぐには反応しないんだよね、私。

こうして分析得意な友達数人によって私っていう人間がわかってきた感じ。過去のこと解離で覚えてないからこうやって自分の輪郭と出会えるのが嬉しい(*´∀`*)

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